第10話『箱根道中1』
樫木坂と呼ばれる、急勾配で箱根最大の難所を何とか越えると、猿滑坂と呼ばれる嫌がらせのように歩きづらい坂が連続であり、いつしか俺とサクヤ様は無言になっていた。
雨なんて降らなくて良かった。
こんな坂、雨の中行くなんて絶対できないだろう。
俺は天気に感謝しつつ、水筒を口に当てた。
一口、ごくりと喉を潤す。
しかし、唇に水が当たる感覚がなくなった。
真っ青になった顔で、サクヤ様に報告する。
「サクヤ様……水が、無くなりました」
サクヤ様は返事の代わりに指を差した。
いつしか森が開けて、湖が見えていたのだ。
「やっと芦ノ湖が見えてきたわ」
そう言ってサクヤ様は笑う。
湖だ!
やった、水に困らなくて済む!
水分補給できることを喜んだが、サクヤ様がさらに嬉しいことを教えてくれる。
「急勾配の上り坂はもうないわ。箱根峠を越えれば、あとは下っていくだけよ」
「うわ、やった! もう足が限界きてましたよ」
「あっちの世界ならこの辺に、とっても美味しい甘酒茶屋があるんだけど、こっちの世界に無いのが残念だわ」
「えっ、甘酒ですか!? うわぁ、飲みたかったなあ」
急にお互い口数が増える。
サクヤ様も嬉しそうだ。
「芦ノ湖畔に温泉宿があるから、ちょっと浸かって体力を回復するわよ」
「えっ、温泉!?」
涙が出そうになる。
汗でベタベタな体を、すぐにでも洗い落としたい。
「一泊しないから夜までね。箱根峠は夜中に越えなきゃいけないから」
「えっ、夜中にですか?」
温泉宿というから、泊まるのかと思った。
「箱根峠の向こう側に、山中城っていう北条家の城があるの。その横を強行突破する必要があるわ」
強行突破……。
嫌な予感しかしない……。
怪訝な顔でサクヤ様を見ると、サクヤ様は笑って俺の肩を叩いた。
「大丈夫よ! 私に任せなさい!」
眩しいくらいに、いいドヤ顔だった。




