やすらぎの膝枕
夢を見た。誰だかわからない、けれど昔から知っているような、どこか懐かしい銀髪の女性の夢を。
「冷たい氷の中に閉じこめた…。湖の中、深く深く…」
「けれどこれが…正解だった?」
「この氷は決して溶けない。神の炎でもない限り…」
――
パチパチ…
火の匂いがする。これは焚き火か。そう思いながらぼんやりと目を開くと、やはり炎が見えた。
「…ん」
「お、目が覚めたか?」
身じろぎをしながら声わずかにあげると、気遣わしげな声が上から聞こえた。
「大丈夫か?花の効果は…さすがに解けたか?」
「花…?」
心配してくれているようだが、シルヴィアには何の話だかわからない。ただこの膝を貸してくれているのは…。
「ライ…?」
「あぁ、そうだ。ちゃんと正気に返ったみたいだ、な…?」
ぎゅっ!
起き上がると同時にいきなり抱きついてきたシルヴィア。その唐突な行動にライオネルは固まる。え、まだ催淫効果続いているのか??と。
「暖かい…」
「あ、あぁ。寒いのか??氷に震えてたからな」
先程まで凍っていた場所から少し離れてはいる。それでもまだ寒さがあるのだろうか。ライオネルは特段寒くはないが、ギクシャクしながらシルヴィアを抱きしめ返す。
「良かったなぁ、猊下…」
「ずっと神聖術で優しく温め続けてたもんなぁ…」
「愛の力は無限大だな…」
周囲の聖騎士たちはほっこりとした目でライオネルを見ている。少しでも報われたようで良かったなあと。
「おい、お前ら余計なこと言うな…」
「ライ…神聖術って炎も出せるの?」
聖騎士たちにからかうのはやめろと言いかけたが、シルヴィアはまだ寝ぼけている様子で、急によく分からない質問をしだした。
「は?炎?…いや、まあ出せるけど」
「じゃあ…湖、見つけたら、溶かして…」
うつらうつら…としながら告げるシルヴィア。ライオネルをはじめ、ドルマルクの面々は皆困惑顔だ。
「ライ、それは寝ぼけてるんじゃないか?」
「おい、シルヴィア?なんの話だ?」
「…ん…?…は!?」
改めて聞き返されて、ようやくシルヴィアは半開きになっていた目を完全に開く。今、目覚めたかのような反応と共に。
「え?あれ?ここどこ?」
「どこって…まだ神秘の森の中だ」
キョロキョロと辺りを見回すと、確かに森だ。薄暗く、時間は分からない。
「アシュは?アシュはどこ??」
「アシュアシュうるせぇよ…。ハウズリーグ軍は離れたあっちで休憩してる」
目が覚めたと思えばこれだ。腹立たしいくらいご主人様に忠実な犬だ。
「じゃあ私も行かなきゃ…」
「行くなよ。お前のご主人様が俺にお前を温めてろって言ったんだ」
「アシュが…?」
立ちあがろうとしたシルヴィアを、ライオネルの腕がガッチリと掴んで離さない。
「確かに言っていたな。ライにご飯をあげておけとも」
「え??」
若干言い回しが違うような気もするが、バースの言った事は間違いではない。
「す…捨てられたって事…?」
「いや、それは…」
呆然とするシルヴィアにさすがに胸が痛んだのか、ライオネルはフォローの言葉を考える。捨てられたって言うよりは、預けられた?いや、それはそれで犬みたいだな。そうじゃなくて…。
「ハウズリーグ軍の晶霊たちは壊滅状態だったから…じゃないか?立て直したら迎えにくるだろ」
「壊滅?」
どうやらそこから理解していないらしい。
「お前ら晶霊はアホエロ状態だった。アリモラウニの花とやらのせいでな。もともとアホエロなお前もライに迫って大変だったぞ」
「あ、あほ…??」
バースの発言にさらに動揺するシルヴィア。アリモラウニの花については、何となく聞き覚えがあるようなないような気はする。しかしもともとアホエロとは納得がいかない。
「解毒剤を飲んだからお前は今目覚めたんだ。他の晶霊たちはまだ時間がかかっている可能性は高い」
「解毒剤…。そっか、トラちゃんがいたなら持ってたのかも」
いまいち記憶はあやふやだが、トラッドがいたのならあらゆる解毒剤があっても不思議ではない。そう考えてシルヴィアはふと気になることがあった。
「私…ライに、何したの?」
「いや…まぁ、そ、れは…」
じっと見られて、ライオネルは思わずふいっと目を逸らす。顔を赤く染めながら。そこへバースがすかさず逃さず横槍を入れる。
「言えないようなことをしたんだ。我らが聖王猊下にだ。責任は取って貰おうか」
「えぇ!?」
バースはまるで下っ端チンピラのような物言いだったが、シルヴィアはオロオロし出す。一体自分は何をしでかしたのかと。
「べっ…、別に大したことされたわけじゃねえよ。気にしてないから気にすんな」
「ほら見ろ。ライがいかにもツンデレらしいことを言い出した。ひどい女だなお前は」
「で、でも、その割にお腹いっぱいになってないし…」
どこまでしたと想定したのだろうか。シルヴィアはお腹いっぱいになってないなら違うと思ったようだ。
「お前その考え方はどうかと…って、また腹が減ってきてるのか?」
「え…」
呆れたようなライオネルだったが、ふと気づいたらしい。お腹いっぱいじゃないという言葉に。
「だ、だって、寝て起きたらお腹って少し空くものだし…。私が食いしん坊なわけじゃないし…それに…」
「それに?」
言い訳のようなことをぶつぶつ言うシルヴィアに、バースは続きを促す。
「…何でもない!アシュのとこに行く!」
パキパキパキッ!!
「わぁぁぁ!」
「陛下ー!どうかこれ以上はお許しをー!」
「晶霊の頭が冷える前に我らが凍死しますー!」
数十メートル先くらいで、局地的に氷の柱が発生しているのが見えた。そして何やらハウズリーグ軍のものらしき悲鳴も。
「え…」
「お前のご主人様の晶霊術だろう。さっきも放ってたぞ」
「移動中にも発情した晶霊に抱きつかれそうになってぶっ放してたぞ。本当に味方にも容赦ないんだな」
何が起きたかわからず固まるシルヴィアに、バースとライオネルがやや引きながら答える。あれはアシュレイが放った術だろうと。
「あ、アシュは…他人に触られるのが苦手だから…近寄られて嫌だったの、かも…?」
「そこに行く気かお前は?ご飯をくれと?」
「…」
何とかしどろもどろご主人様をフォローをしようとしたが、バースはやめとけと言う態度だ。ライオネルは何やら考えているのか、複雑そうな表情で黙っている。
「い、今行ったら怒られる気がしてきた…」
「あぁ、やめとけやめとけ。ライの肩で寝てろ」
シルヴィアはいつ触ってもいいとアシュレイから言われている。しかし、かと言って凍らせられないという保証はない。何よりハウズリーグ軍が忙しい状態なのは確かなようだし、煩わせるのだけは避けたい。
「まだ眠いなら寝てろよ、それとも実際腹減ったのか?」
「だ…大丈夫。それに、ライこそ疲れてるんじゃない?膝、貸そうか?」
「なっ…」
「そうだな。聖王猊下には休息が必要だ。貸してやってくれ」
シルヴィアの申し出にライオネルは顔を赤くしたが、すかさずバースがそれを受け入れた。当人の意見を遮って。
「はい、どうぞ?」
「いやいや、お前そういうことを簡単に…」
「猊下は非常に慎み深い。お前ら、手伝って差し上げろ」
「「はっ!」」
「は?うわ、ちょっ…!?」
無駄にチームワークの良い聖騎士団に、あっという間に転がされるライオネル。恋しい少女が差し出す柔らかそうな膝の上へと。
「よしよし、いい子いい子」
「いや、おい!また子ども扱いかよ!」
バースに押さえつけられたのもあるが、絶賛口説き中の少女から子ども扱いされて脱力したのもあり、ライオネルは大人しく撫でられてしまった。
「やーすらぎーのー、ひーとときーをー♩」
「良かったなライ。子守り歌までつくみたいだぞ」
「完全に子ども扱いかよ…」
何やら気分が乗ったのか、寝かしつけようとした親切心なのかはわからないがシルヴィアは唐突に歌い出す。
「あふれーる愛をーやーさしいー光をー」
「ん…?」
シルヴィアの歌に何か気付き、ライオネルは喋るのを止める。バースや周りで微笑ましく見ていた聖騎士たちも同じ反応だ。
「ぬーくもりをー我が子ーらにー」
正直歌は上手くはない。むしろ調子っぱずれだったので初めは気づけなかった。だが…。
「え、なんか…疲れが取れていくんだけど」
「俺も…神聖術使いすぎて空だったのに…」
「というか、この歌…」
きらきらと降り注ぐ光が、聖騎士たちの周りを包む。その光に当たると体が回復するような、神聖力に包まれるような感覚だった。
「おい、ドルマルクの子守唄なんて何で歌えるんだよ??」
「え?」
シルヴィアが歌ったのは、ライオネルの言う通りドルマルク神聖国では誰もが知っている子守唄。しかしハウズリーグの、しかも王城では誰も歌うものはいないであろう子守唄であった。