凍る一面
魔獣と戦うドルマルク軍を、少し離れた場所からアシュレイはシルヴィアを抱えたまま眺めていた。
「ご覧シルヴィ、聖王様の放つ神聖術を。あれは君への愛の輝きだねえ」
「うぅ〜…」
「ご主人様〜多分聞こえてないですよ〜」
遠目で見ながらふざけたように言うアシュレイだが、トラッドの言うようにシルヴィアには伝わっていないらしい。当の彼女は花による催淫効果を堪えるのに精一杯のようだ。
「ははは、可愛いなぁ。ほら、我慢できないなら俺のをくわえてていいよ?」
「ん…」
「おい待て!聞こえてんだよ!こんなところで何させる気だっ!?」
また1匹魔獣を斬り捨てながら慌ててライオネルがすっ飛んでくる。どうやら魔獣と戦いながらもシルヴィアの方が気になり、耳だけでも傾けていたらしい。そんな彼にアシュレイは笑いながら言う。
「辛そうだから俺の指でも噛ませようかなって。気が紛れるだろう?」
「言い方がエロいんだよ!止めろ!」
「そんなつもりはないんだけどなぁ。それよりいいのかい?まだ魔獣はいるよ?」
「くそっ…」
確かにまだ聖騎士たちは魔獣と戦っていた。当たり前だがそちらを放置もできはしない。ライオネルは渋々踵を返してまた魔獣へ向かおうとしたが、ふと気づいて足を止める。
「って、よく考えたらあんたは晶霊術が使えるだろ!?そこの3人はピンピンしてんだろが!」
「ははは、そうだね。でも今は両手が塞がってるからなぁ」
そもそもアシュレイの沢山いる晶霊の中で、この場にいて被害に遭っているのはシルヴィアだけだ。他の数名とて現在どこにいるかはともかく、晶霊術が使える距離の可能性は高い。そう考えると彼の戦闘力に殆ど支障などないはずである。
「だいたい魔獣だったらシルヴィアの晶霊術で消せないのかよ?」
「魔術師が作り出した魔物ならともかく、純粋に繁殖で増えるタイプの魔獣は消せないよ。だいたいこんな状態のシルヴィに術を使えと言うのかい?聖王様は案外非情だなぁ」
「晶霊本人じゃなくて契約者のあんたが使えって話だよ!」
契約者なら晶霊本人よりも術の力を強めて使えるはずだ。まあこんな状態のシルヴィアから力を借りるのも無理な話かとライオネルは思ったが…。
「そもそも俺はシルヴィの晶霊術を、美味しい水を出す以外ほぼ使ってないよ」
「は?」
しれっと答えたアシュレイの言葉に、何言ってんだこいつという顔で返す。そしてそれを声に出そうとしたが…。
「陛下!魔物がそちらに!」
「猊下!」
魔獣に応戦する聖騎士団と、晶霊を引きずるハウズリーグ軍の間を縫うように魔獣が一頭アシュレイたちの方へと飛びかかる。
「!」
「やれやれ…」
キィィ…ン!
アシュレイが面倒臭げに片手をかざすと同時に、晶霊術が放たれた。すると瞬時に魔獣は足元から凍りつき、動かなくなった。
「やっぱり出来るんじゃねぇか!だったら残りも片付けろよ!」
「別にいいけど、後が大変だと思うよ?」
出し惜しみするなとライオネルは怒るが、アシュレイはあくまでペースを崩さない。
パキパキパキッ!
アシュレイは自身の足元から晶霊術を放ち、魔獣共々辺り一面を凍らせた。その速度と威力にドルマルクの聖騎士たちも思わず感嘆の声を上げる。
「凄いな…」
「敵ながらさすがと言うべきか…」
「いや、しかし…」
もちろん人間や晶霊は凍らせていない。しかし辺り一面を凍らせたのだ。当然ながら…。
「さ、寒い…」
「ははは、ほらやっぱりそうなるだろ?」
シルヴィアを含め周囲の者たちは人間も晶霊も等しく寒さに震え出す。
「加減しろよ!本当に雑なんだな??」
ライオネルは爽やかに笑っているアシュレイから、寒さに震えるシルヴィアを奪った。慌てて脱いだ自身の外套で包みながら。
「ご主人様って見た目は繊細な造形なのに〜中身は大雑把ですよね〜」
「でも、ついでに、花も、凍った、よ」
ロウルの言うように、混乱を招いていたアリモラウニの花も魔獣と一緒に凍っている。効力が即座に切れる訳ではないが、これ以上悪化はしないだろう。
ちなみに番人兄弟は相変わらず平然としているが、ヒューズはその横で普通に寒さに震えている。
「この寒さで服を脱ぐ晶霊もいなくなったし〜頭も冷えたんじゃな〜い?」
「まさかこれが狙い通りとか言うなよ…」
トラッドのご主人様に対する前向きな評価に、ライオネルは呆れた声をあげる。神聖術による熱でシルヴィアを暖めながら。
「ん…暖かい…」
「ひょわっ!?こら!舐めるな!?」
ライオネルに抱きしめられながら、まだ催淫効果のとけていないシルヴィアは彼の首筋を舐めた。
「おやおや、舐められたのかい聖王様?どこをだい?」
「分かってて言ってんだろ!?首を舐められただけだ…って、だからやめろって!」
頭からライオネルの外套を被せられているためシルヴィアの様子は外から見えにくい。が、さすがにとんでもないところを舐められてはいないことは周りにも分かってはいるはずだ。そもそも抱き抱えて立っている状態だ。そう思いつつライオネルは首を舐めてくるシルヴィアの頭ををどけようとしたが…。
「ひゃぁんっ!」
「!??」
びくっ!としながらシルヴィアが甘い声をあげた。
「聖王様…シルヴィが可愛いからってこんなところでイタズラかい?」
「猊下…」
「いや、違う!舐めるのをやめさせようとしただけで…!」
「や…耳元っ…くすぐったい…!」
アシュレイの言葉に聖騎士たちすらライオネルを少し引いた目で見ている。誤解を解こうと声を出すも、耳元で喋ったのがいけなかったのか彼女はまた甘い声をあげた。
「うぅ…我慢できないぃ…」
「誘惑するなんてひどいなぁ聖王様は。シルヴィは頑張って耐えているのに」
「何もしてねぇ!おい、これどうにか治せないのかよ!?」
もはや言いがかりのようなアシュレイの物言いに、ライオネルとしては文句しかない。しかしそれより花は凍らせたが催淫効果はまだ残っていのだ。とにかくこれを早く治してやれないかと心配していた。
「まぁ花を凍らせたからそのうち効力もきれるけどね。ここまでちゃんと我慢したからご褒美はあげようかな?」
「ん…?」
シルヴィアの頬を指で撫でるアシュレイ。その手つきに何かいやらしさを感じたライオネルは思わず彼からシルヴィアを遠ざけた。
「おい!婚約者の前で変なことしようとするな!」
「うん?何か誤解があるようだけど…解毒的なことをするだけだよ?」
「こんなところでその気にならないんじゃなかったのかよ!?」
この変態野郎に婚約者を触らせてなるものかとライオネルは睨む。が、その警戒ははははと笑顔で一蹴された。
「だからしないよ。やはり思春期なんだなぁ聖王様は。…トラッド」
「ん?もう出していいんです〜?」
「!?」
アシュレイが後ろにいたトラッドに指示を出すと、彼は上着の前を開く。その左側の前身ごろをバサッと開くと、何やら大量の薬瓶がそこにはあった。そしてその中の一つを恭しく主人に捧げる。
「ご主人様、どうぞ〜」
「なんだよその、薬…?」
「解毒剤だよ。人数分はないけど、命令通り我慢したシルヴィにはあげようね」
アリモラウニの花は珍しくはあるが、拷問が趣味のトラッドだ。ありとあらゆる毒薬と、それに対応する解毒剤を網羅している。さすがに今この場で全てを携帯してはいないが、この状況は想定内なのかそれは持ち合わせていたらしい。
「はあぁ!?持ってるなら早く出せよ!」
「シルヴィほら、あーん」
「ん…う…」
ライオネルの抗議は全く意に介せず、シルヴィアに手ずから薬を飲ませるアシュレイ。その様子を見るに、面白いからしばらく放置していたんだろうなと周囲は皆予想して引いた。
「全部飲めた?…よしよし良い子」
「ん…」
そのままライオネルの腕からシルヴィアを奪うかと思いきや、彼女の頭を撫でるだけで特にそれはしない。そのまますやすやと寝息を立てるまでを確認し、アシュレイは頷いた。
「…うん、寝たね。じゃあ少し先へ進んだらハウズリーグ軍は休息をとるよ。晶霊たちはほぼ使い物にならないし、ドルマルク軍も今の騒ぎで疲弊しているだろう?」
「まぁ…そうだな」
ハウズリーグ軍を庇いながら大量の魔獣との戦闘を行ったため、ドルマルク軍はかなりの神聖術を使っていた。ライオネルはそれ程でもないが、両軍ともに休憩は必要だろう。
「シルヴィはそのまま温めてやっていてくれ。君の神聖術とは相性が良いようだ。気持ち良さそうに眠っている」
「いいのかよ?いやまあ、良くなくても渡す気はないけどよ…」
ライオネルは眠るシルヴィアをそもそも返す気はない。契約者から奪ってやると啖呵まで切っているのだ。しかしアシュレイはそんな素直な反応に思わず笑う。
「ははっ、聖王様は本当に真っ直ぐだね?シルヴィが寝首を掻くよう命令されているとは思わないんだ?」
「そんなことする理由もないだろ?それよりあんたは壊滅状態のハウズリーグ軍を早く立て直すんだな」
無駄に混乱を招く様な発言には乗らず、ライオネルは吐き捨てる様に応えた。そしてシルヴィアを抱きしめたまま歩き出そうとして、ふと何か思いついた様に止まる。
「…そうそう。こいつが起きたら俺がご飯を食べさせておくから、あんたは何も心配しなくていいぜ」
「そうかい?それは助かるよ」
挑発するような聖王ライオネルの言葉に、にこやかに答えるハウズリーグ王アシュレイ。
周囲の兵たちはそんな2人の様子をヒヤヒヤとした面持ちで見守っているのだった。