父王
シルヴィアたちがアシュレイと合流したその頃。そう遠くは離れてはいない場所で、同じようにバースとヒューズもまた鉢合わせていた。互いに主を探すという目的のもと、なんとはなしに共に歩みを進めたのだった。
「ライは気づいていなさそうだが…」
無言で歩くのも何だと思ったのか、もしくは単に聞いてみたいことがあるのか、案外よく喋る男のバースは歩きながらもヒューズに向かって口を開く。
「女神の娘と言うなら、ドルマルク神聖国としては何をおいても手に入れたい存在となり得るだろう。何せ国教における唯一かつ最高神の娘だ。粗雑に扱うわけにはいかないし、女神の怒りを買えばどうなるかわからない」
「…まあ、そうでしょうね。国としてはもはや婚約がどうとかいうだけの話ではないとは思いますよ」
その言葉にやや苦い顔をしながら答えるヒューズ。何やら思うところがある様子だ。
「この森には、晶霊王と女神が遺した神威あるいは秘術あるいは秘宝があると昔から言い伝えられていた。それが要は女神の娘…シルヴィアのことなんじゃないか?」
「人間の言い伝えの意味はよく分かりかねますが、まあその可能性はあるかもしれませんね」
無表情でペラペラと喋るバースに、依然として微妙な顔でヒューズは返事をする。
「女神の娘だということを何故公表しなかった?そうすればその存在を盾にドルマルク神聖国を半ば脅すことだって出来たはずだ。面倒くさいからなどとハウズリーグ王は言っていたが、小競り合いを続ける方がよほど面倒くさいだろう。他に何か思惑でもあるんじゃないのか?」
「我が君のお考えは私には計りかねますが…面倒臭いというのも本音かと。公表すればシルヴィアを掌中に収めようと誰が何をしてくるかわかりません。特に前王が生きていた間は…ね」
ライオネルは別の理由でシルヴィアを求めているが、本来ならば女神の娘というだけでもそれを手にしようと戦を仕掛ける十分な理由になり得る。
「前王…現ハウズリーグ王の父親か」
「ええ。我が君は王太子だった当時、この森で見つけたシルヴィアを連れ帰りました。しかし、彼女の素性は父王にすら報告していません」
「それは…何故だ?それも面倒だったからとでも言うのか?」
下手をすれば王や国への反逆を疑われかねないのでは?とバースは首を捻る。そうなれば面倒どころではない。
「言うでしょうね、我が君に尋ねたならば。そのためにあえて彼女本来の力の顕現を抑え、その辺にいるような水の晶霊だと周りにもシルヴィア本人にも思わせたのですから」
「宝の持ち腐れが過ぎるだろ…。せっかく契約したのになんでわざわざそんな真似を?」
アシュレイが何を考えているのか全くわからない。バース自身、使えるものは使う主義だからだ。
「前王は優秀な息子である我が君を妬みつつも、王太子としては便利に使おうとしていました。そんな男が万一シルヴィアの素性を知れば、どんな扱いをしようとしたことか…」
「なるほどな…」
アシュレイは前王からシルヴィアを守ったのか、単にごたごたを避けたのかは分からない。しかし知ればシルヴィアにとってだけでなく、ドルマルク神聖国にとっても不都合なことになっただろうことは容易に想像できた。
「我が君は、表向きには従順な態度をとっていました。そつのない完璧な王太子としてね。それなのに…前王はある時、側妃との間に産まれたばかりの末息子に王位を継がせようとしました。まぁそれだけなら我が君は笑って国を捨てたかもしれませんね。でもそうはならかった」
ヒューズの言葉の続きは何となく予想できた。
「周りの貴族たちがそれを認めなかった…か」
「当然ですよね。この戦時下で愚かな王と赤子の王子のみでは、魔術国や神聖国に滅ぼされるのは火を見るより明らか。我が君は王太子として優秀でしたが、それ以上に晶霊術士として替えがききません。術の威力もさることながら、性格の悪い魔術師たちが使う搦め手にも非常に強い」
ライオネルが苦手とするところだな、とバースは思った。だからシルヴィアも対魔術師の心得があったのだな、とも。そんな彼の心中を読んだのか、ヒューズは笑って言う。
「性格の悪さだけで言えば、聖王様は我が君の足元にも及ばないでしょうね」
「それは…言って大丈夫なのか?」
「まあとにかく… ドルマルクの中枢にも恐らく伝わっているのでしょう?前王のあまり良くない最期は」
恐らく大丈夫ではないのだろう。ヒューズはさり気なく話を戻した。バースとしてはそちらの話の方が言って大丈夫なのかとは思いながら、わずかに眉根を寄せる。ヒューズの言うように、色々な噂は聞き及んでいるのだろう。
「お前の…ご主人様が殺したというのは本当なのか?」
「おやまだ疑問形で?てっきりシルヴィアにでも聞いたかと思いましたが…」
その返しですでに認めたも同じなのだが、どうやらヒューズはまるで隠す気もないようだ。
「ご主人様に不利になるようなことは言わないだろあいつは」
「別に不利でも何でもありませんよ。ハウズリーグの貴族は皆知っている話ですので、話しても問題ありません。そもそも我が君は降りかかる火の粉を払ったとしか認識していないかと。シルヴィアも同様でしょう」
かくいうヒューズもその認識らしく、隠す気も特にはないようだ。追求したとて誰も得をしない公然の秘密、といったところか。
「前王が妬み羨んだように、我が君の晶霊術士としての才は別格ですから。他の兄弟に追随を許さぬほどにね。…おや、ここだけですと聖王様と似てますね?」
「…ライには、肉親を手にかけるなんて出来ない」
「いえいえ術士としての力の話ですよ?あとは結果ですね。で、どこまで話したかな…。国を滅ぼされてはたまらない臣下たちはみな、我が君を排除することを当然認めませんでした、という話でしたか」
「ああ」
バースとしてはライオネルが王位を継いだ経緯を、同じとして欲しくなどない。ヒューズのこちらをからかおうとする姿は彼のご主人様と似ていた。契約者と似てくるものなのだろうか。
「ただそれでも諦めきれなかった愚かな王は、我が君を秘密裏に抹殺しようとしました」
「恐ろしいほど悪手だな。ドルマルク神聖国としてはぜひ成功して欲しかったところだ」
「無理に決まってます。我が君は王位には何の興味もありませんが、大人しく消されるわけがない。即座に父親を返り討ちにし、前王の後宮も解体しました。その結果として、面倒な王位を早めに継ぐ羽目にはなりましたね」
その様があまりにも惨憺たる光景だったため、一部の臣下に恐れられながらもアシュレイは戴冠した。
「しかしそれならなぜ父王亡き後もシルヴィアをそのままただの水の晶霊として扱った?ハウズリーグ王が即位してからもう何年も経つだろう?」
「それこそ本当のところは我が君にしか分かりませんよ。シルヴィアをどうするつもりなのか…ね」
可愛がっているのは確かだが、どういう存在として近くに置いているのか。それが周囲の混乱を招くのだ。
「その点聖王様は分かりやすいですね。一貫してただ一人の女性として求めている。女神に決められた婚約者を」
「ライは決めたら迷わない。シルヴィアがハウズリーグ王の正式な妃というならまだしも、恋人ですらないというんだからな。…というか、ハウズリーグは政略結婚が普通の国だろう?昔から婚約者すらいなかったのか?」
愛の女神エスメラリアを信仰するドルマルク神聖国ならともかく、ハウズリーグは幼い頃から親の定めた婚約者がいても不思議ではない。というか王が今まで独身なことの方がおかしいのだ。
「そうですね…婚約者を決めていなかったのは、優秀な息子に強い後ろ盾を与えたくなかった父王の愚かさがあった故です。我が君の即位後は婚姻の申し入れが溢れ返りましたが…全て断っておりますね」
「それは何故だ?別に不能なわけではないんだろう?シルヴィアはむしろ元気だと言っていた」
そもそもそれならばあんな吸精方法のシルヴィアと契約を交わさないだろう。が、ふとバースはある可能性に思い当たる。
「いやまさか…キス以上のことを実はしていない、などは…あり得る、のか?」
「そうですねぇ…風呂も寝所も一緒で、あの距離感。それでそんな可能性あると思いますか?」
「…ないだろうな」
ライオネルに朗報かと思ったが、さすがにそれはないだろう。そもそもシルヴィア自身がご主人様とそういう事をしていると言っていたのだ。
「考えれば考えるほどハウズリーグ王が何をしたいのか分からないな。分かりやすいライとは両極端だ」
「聖王猊下はシルヴィアを連れ帰ると仰ってましたが…本当に出来るとお思いで?」
「さてな。ドルマルクの男は惚れるとしつこいからな。案外シルヴィアもライの情熱に絆されるかも知れないぞ?」
打算などないその体当たりな口説きに慣れていない少女だ。可能性はなくもないだろうとバースは口角をややあげる。
「どうでしょうね…、と、何やら声が聞こえてきますね」
「あっちの方だ。大勢の気配もする。…この声は…」
ようやく人々と合流できそうだと声のする方へと木々の間をぬけて近づく二人。その予感は間違いでなく、ドルマルク軍とハウズリーグ軍の多くがそこには集まっていた。しかし何やら様子がおかしい。
「晶霊たちが契約者に押さえつけられている…?それにこの匂いは…」
「ハウズリーグ軍の仲間割れか?」
どうやら騒ぎながら晶霊たちを押さえつけているのは、ドルマルク軍ではなくハウズリーグの騎士たちのようだ。ドルマルクの聖騎士たちは一点を集中して見ている。その視線の先には…。
「待て待て待て、やめろほんとにやめろ!危ない危険だ何するか分からないぞ俺が!」
「ライ…もっと触りたい…」
そこには押し倒されそうになり抵抗するライオネルと、その上に馬乗りになって抱きついているシルヴィアがいた。