魔術師の残した罠
ライオネルはシルヴィアを抱えて屋敷の空き部屋に入ると、そのままベッドに彼女を降ろした。
「よし、じゃあちょっと休んでろ。すぐに医療兵を…」
そのまま背を向け医療兵を呼びに行こうとしたライオネルは、急に服の裾をくいっと掴まれる。不思議に思い振り向くと、シルヴィアが上目遣いで自身を見つめていた。
「シ、シルヴィア…?」
「…ね、食べてもいい…?」
ベッドに座りながらライオネルにぎゅっ…と抱きつきねだるように迫るシルヴィア。
「待ていや待て待て落ち着け待てどうしたいきなり」
「だって…ふたりきりになったから…」
誰よりも落ち着いていないライオネルが、自身の腰元に手を回して迫る少女へと落ち着きを促す。
「ぐ、具合悪いんじゃなくて腹が減っただけなのか?なら別に食べればいいけ…ど…?」
「ん…」
そのまま引っ張られてベッドに座らされたライオネルが、言い終わるか終わらないかのうちにすぐさまシルヴィアは身体を寄せて唇に吸い付いてきた。
「はっ…んぅっ…」
「っ…!」
いつもよりももっとねだるように首に腕を絡めてくるシルヴィアに、思わずライオネルも抱きしめ返す。そして長々とキスをした後ようやく唇を離したが、シルヴィアは潤んだ瞳でみあげてきた。
「はぁっ…。ね…足りない。もっと…触って?」
「はっ…触って…ってお前!待て待て待て!」
ライオネルはなぜかいきなり服の前をはだけさせてすりついてくるシルヴィアを押し戻そうとするが、彼女はその手を握って己の頬にすり寄せた。
「ん…これ好き」
「お前っ…!ほんとうにちょっ…待て!!」
まずいまずいさすがにこれ以上はまずい。健康な青少年としては我慢しきれる自信などあるわけがない。しかしそんなことは構わずにシルヴィアはライオネルを押し倒して再びキスをする。
「んっ…」
「…っ!くそ!」
ぐいっ!と押し倒されていた体制を反転させ、逆にライオネルがシルヴィアを組み敷く形になる。
「あっ…ん…!」
「シルヴィア…」
熱のこもった声で呼びながら服の中に手を入れてくるライオネルの首にしがみつき、シルヴィアは甘えるように恋しい男の、その名を呼ぶ。
「アシュ…」
「…は?」
ぴたりとライオネルの手が止まる。その名を聞いて急激に頭が冷えていく。今、なんと言ったかこいつ。
「アシュ…?」
「違ぇよ!!」
急に離れたライオネルに、シルヴィアは不思議そうに呼びかける。ずっと会いたかった恋しいご主人様の名を。
「お前…さては魔術にかけられたな!?」
「魔術…?アシュがいてそんなのにかかるわけない」
絶対の信頼を持った目。そんな目で見つめてくるシルヴィアから思わずライオネルは目を逸らす。彼女が見ているのは確実に自分ではない。その事実に打ちのめされたのだ。が、そんなことはお構いなしに彼女はまた手を伸ばしてくる。
「こらやめろ!俺はお前のご主人様じゃねえ!」
押し倒したままシルヴィアの両手をぐいっと片手でおさえつけながら、ライオネルは神聖術で魔術の解除を試みる。
「くそっ…術の解除は苦手なんだよ…」
「う…んん…?」
「女神エスメラリアよ、その慈悲を愛の恵みをかの者に与えたまえ…」
彼の神聖力なら本来は詠唱もいらないのだが、集中力が散漫状態な今は敢えて祝詞を唱えたい。ぱちぱちと小さな光の粒が散るが、効いている気配はない。シルヴィアはいまだ蒸気した顔で見つめてきている。
そこへノックの音が響く。
「ライ、医療兵を連れて来た。入っていいか?」
「バース!ああ、頼む!」
気を利かせたバースが連れてきてくれたらしい。お前こそが女神の助けかとライオネルが入室を許可したが、ドアを開けたバースと医療兵は固まった。
「…いや、入ってよく、なくないか?」
「げ、猊下…」
「待て違う!こいつ魔術にかかってんだよ!早く診てやってくれ!」
服をはだけさせて明らかに事に及ぼうとしている真っ最中な姿に引いた2人だったが、誤解を解こうとライオネルは必死に呼び止めた。
バースと医療兵の2人は顔を見合わせて頷き、そろそろとベッドに近づく。
「…魔術師が最後に残して行った魔術ですかね」
座らされたシルヴィアの頭に、手をかざしながら医療兵は呟く。
「さっき魔術師が恋しい人間への欲を解放させるとかどうとか言ってたな。あれが発動していたのか?」
「恋しい…」
だからハウズリーグ王の名を呼んでいたのか?“アシュ”とは恐らく奴の愛称だろう。そう思うとライオネルは苛立ちが沸いてきた。
「…精神感応系の魔術は解くのが難しいんです。その思いが強ければ強いほど。しかも契約者のいる晶霊相手では迂闊なことをすれば術が混ざり合って危ないかもしれません」
すでに晶霊術と魔術が絡み合っているような状態だ。しかも先ほどすでに使ってしまったライオネルの神聖術により若干ぼうっとしている。術者本人に解かせるのが1番いいが、魔術師が素直に解くとは思えない。それに奴の魔術封じを解くこと自体危険である。
「てっとり早いのは欲さえ満たせれば魔術も消えるので、つまり…その…」
「じゃあライ、やってやれ」
「やんねえよ!」
言いにくそうにする医療兵に、横からさらりとバースが言葉を引き継いだ。
「…こいつが恋しく思ってんのは俺じゃねえ。人の事をご主人様と錯覚していやがる」
苦々しそうに言うライオネルだが、医療兵はおずおずと告げる。
「人物を誤認しているならそのまま欲を満たしてあげれば正気には返るかと…」
「こいつを騙してヤっちまえってことかよ!?」
「ひいいっ!」
あんまりな言葉に即座に怒りの声をあげるライオネル。しかし横からバースが怯える医療兵から遠避けるようにライオネルの肩をつかむ。
「落ちつけ、ライ。あくまで診察しているだけだ」
「…ああ、悪い」
「い、いえ…」
頭を抱えながらも素直に謝るライオネルに医療兵は動揺した。そもそもこの医療兵はシルヴィアのこと自体ハウズリーグの晶霊で何故か聖王の婚約者ということしか知らない。だからシルヴィアの持つ欲がなんなのかは薄っすらとしか分かってはいないのだ。
そして今現在ベッドにぼんやりと座っているシルヴィアにバースが近づく。
「お前が罪悪感で出来ないなら俺がやる。お前らは部屋を出てろ」
「いや駄目に決まってんだろ!?それは一応俺の婚約者だ!」
あっさりとやる宣言をしだしたバースの肩を、今度はライオネルが掴み掛かった。
「魔術に苦しんだ女性を放置するのは俺の騎士道に反する。これは人助けだ。女神もお許しくださるだろう」
「ん…」
バースがシルヴィアの頬から首筋をするりと撫でると、彼女は小さく声を上げた。
「待てバース!…わかったから、やめろ。俺がなんとかする。お前らはしばらく部屋を出てろ。さっきいった通り暫く指揮を任せる」
「承知した。行こう、お前には他の負傷者たちをを頼む」
「え、あ、は、はい…!」
ライオネルの言葉を待っていたかのように、バースはすぐさま狼狽えている医療兵をつれて部屋の外へ出ていく。そうしてパタリとドアが閉められた。
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