魔術師マーズリー
「…ねえ、さっきの演説ってあれ女神様的には大丈夫なの?」
町人を先頭に歩きながら、シルヴィアがひそりとバースに尋ねる。馬は町の入り口に繋いだままだ。
「虚飾には虚飾を。むしろそこから真実を見極める眼を女神は要求するものだ。それに、嘘はついていないはずだ。多分」
「よく分かんないけど…まぁ大丈夫ならいいや」
堂々と答えるバースに、シルヴィアは本当なのか?とは思ったがいいならいいやと流すことにした。
「こちらです!ここが領主の館です…!」
案内の町人が足を止め、目の前にそびえる館を指した。外観は特に何の変哲もない領主屋敷に見えた。
「案内ご苦労、仲間の元に戻ってくれ。…お前たち、魔術師の居城だ!油断するなよ!」
「はっ!」
ライオネルは町人に礼を言うと振り向き、兵たちに警戒を促した。しかし屋敷の入り口には人の気配はなく、門番すら見当たらない。
「誰もいないのか…?」
バースが怪訝な顔で辺りを見渡すも、やはり誰も見当たらない。
「マーズリー=ブロア子爵!ここにいるのだろう!女神の名の元に、ライオネル=ウィル=ドルマルクが兄ミハエルの仇を討ちに来た!隠れてないで出てこい!」
ライオネルが大声で叫ぶ。しかし屋敷の者が現れる気配は無い。そこでシルヴィアが一歩踏み出し確認する。
「門には特に魔術の気配は無い。触っても平気」
「…3番隊は門の前に待機!残りは突入するぞ!」
「はっ!」
また背後から襲われる可能性を考え、部隊を一つ残して行くことにしたライオネル。そしてそのまま屋敷の門をくぐり、館の扉を開く。
ギィィ…
扉を開くと、そこには薄暗い部屋の中で両膝をついて祈るような姿勢の美しい若い女性がいた。
「マーズリー=ブロアか?何をしている」
「…神に、祈りを捧げておりました」
ライオネルの問いに、両手を眼前で握ったまま節目がちにマーズリーが答えた。
「神だと?貴様のいう神が誰かは知らないが、女神エスメラリア様は首を御所望だ。貴様のな」
「私が祈りを捧げておりますのもエスメラリア様です。愛の女神様は対話が必要と仰るはず。どうか誤解をなさらないで話を聞いてくださいませ…」
不快げに剣を向けるライオネルに、マーズリーは立ち上がりその潤んだ瞳を向けた。
「貴様が女神を語るな!魅了の魔術など邪法にも等しい術を兄上にかけた挙句王妃を処刑させ、王太后にもその身を蝕む魔術をかけたのは分かっている!」
「誤解ですわ…!魅了の魔術など私には使えません!あなたの兄君が無理矢理私を妾にしようとしたのです…!私は怖くて逃げ出しただけ…!」
その瞬間キラッ…!とマーズリーの眼が光る。
「うっ…」
「ライ、駄目!」
はっとしたシルヴィアはガシッとよろめくライオネルの手を掴み、自分の胸元へ持っていき…。
ムニッ!
そのまま自身の胸を握らせた。
「!!??」
「これ触ってていいから。さ、続きを」
平然というシルヴィアだったが、後ろにいる兵たちは続きってどっちの??と思った。ライオネルは何とか気を保ち、マーズリーに向き直る。
「えー、と。嘘だろ、お前が兄上を唆して義姉上を殺させたんだろう」
「違いますわ!そのような恐ろしいこと…!ご自分の意思で処刑を行い、結果あなたの兄君は女神様に罰されたではありませんか!」
キラッキラッ!
むにむにむに
「兄上は元来穏やかでむしろ優柔不断な方だった。なのにあの日は思い返せば人が違っていた。それが魅了の魔術の仕業なんだろう」
「そんな…!弟君には信じがたいかもしれませんが聖王といえど1人の男。時には己を御することができないこともあったのでしょう」
キラッキラキラッ
むにむにむにむに
「兄上は聖王だった!魔術にでも掛からなければそんな肉欲になど溺れ…」
「あっ…ライちょっと強い…」
「って俺が説得力ねぇわ!!!」
さすがに自分でも気づいたライオネルが叫ぶ。先程から魅了の魔術をかけようとマーズリーの眼が光る度にシルヴィアの胸を揉まされていたからだ。
「なんだこれ!?どういう状況だよ!」
「虚飾には虚飾を。魅了には魅了を。まあ要は…単純でわかりやすい肉欲の方が勝つ」
ライオネルの質問にドヤ顔で答えるシルヴィア。確かに手に意識の8割、いや9割が集中していたけども。
そんな2人を見てマーズリーは取り繕いきれなくなったのか単に腹が立ったのか、どちらかは分からないが表情を変える。
「くっ…!純朴な少年聖王かと思ったら戦場に女連れで来るドスケベだったなんて…!」
「そうだ!我らが聖王猊下のせいりょくを舐めるな!」
「四六時中チュッチュしてんだぞ!」
「やめろお前ら!!」
悔しそうに言うマーズリーに、聖騎士たちが後ろから囃し立ててくる。ライオネルはその全てに苛立ちながらも、何とか気を取り直して剣を突きつける。
「虚飾も偽りの愛も、女神の前では全て詳らかにされる。覚悟しろ!」
「ふふっ…!あなたの愛は本物だとでもいうの?じゃあ彼女の方を試させてもらうわ!」
そういうとマーズリーはシルヴィアを見つめた。
「え?」
「さあ、愛があればこそ感じる不信、嫉妬、相反する憎しみを曝け出しなさい…!」
マーズリーの眼がギラギラとシルヴィアを見つめたが、彼女は無反応だ。
「あ、あら…?あなた…彼に対して怒りや嫉妬や憎しみとか…」
「ない」
動揺するマーズリーにシルヴィアがさらりと返す。そもそもご飯に愛も憎しみもない。しかも美味しいし最近はいっぱい食べさせてくれるし割と満足している。
「そ、そんな清らかな愛が存在するというの…!?まさに聖王の伴侶たる器…!!」
なんか1人で勘違いして騒いでいるマーズリー。
「いえ、ならば恋しい人間への欲を解放すればきっと…!」
「いい加減にしろ!」
そこでライオネルはバチバチと雷撃を放ちマーズリーを弾く。その瞬間すかさずバースが押さえつけて拘束した。
「残念だったな!こいつとはそんな関係じゃねえんだよ」
「見え透いた嘘を…!対になる祝福を女神から受けているのに…」
「祝福?」
ライオネルがきっぱり否定するも、マーズリーは尚も食い下がる。シルヴィアが首を傾げたが、ライオネルは気にせず手に光を集めた。
「まずはその魔術を封じる」
「や、やめ…!」
ライオネルは神聖術で魔術封じの腕輪を作ると、押さえつけられたマーズリーにがちりとはめた。
「お…お…お…」
「うおっ!」
その瞬間マーズリーは一気に皺皺になり、老婆へと変貌していった。腕を掴んでいたバースはその姿に驚く。
「常時発動だった肉体操作の魔術が消えたのか…」
「魔術も使えないしこんなナリなら拘束できるな。捕らえておけ!」
「はっ!」
ライオネルが指示をするとすぐさま聖騎士たちが拘束をバースから交代し、マーズリーを連行していった。
「さて、あとは屋敷に残党がいないか確認しろ。特に問題がなければここを占拠して燃えた町に支援物資を…」
兵たちに指示を出すライオネルに、後ろからシルヴィアはするりと腕を絡めてくる。
「おぅわっ??」
「猊下?」
急に奇声を発したライオネルを兵たちはすわ異常事態かと振り向いた。が、そこにいたのは顔を赤くした聖王とその腕に抱きつく婚約者だった。
「い、いや何でもない。使えそうな物資があれば安全性を確認して町に回せ。とりあえず今日はこの町に留まる」
「承知いたしました」
なんだまたいつものいちゃつきかと判断した兵たちは奇声の件はさらりと流し、命に従い屋敷の内部へ散らばって行った。
「…おい、シルヴィア?」
「…何?」
努めて平静を装いながらライオネルがその名を呼ぶと、シルヴィアは何事もなさそうに首を傾げた。
「いや何じゃねえだろ、なんで俺の腕にくっついてんだよ??具合でも悪いのか?」
「具合?うん…なんか体が熱いかも…」
動揺を隠しきれないライオネルの質問に答えたシルヴィアは、確かに少し熱い。
「バース、こいつをその辺の部屋で休ませる。少しの間ここの指揮は任せた」
「わかった。ちょうどそこの部屋にベッドがあるみたいだから寝かせるといい」
「ああ」
そう言うとライオネルはシルヴィアを抱き上げ部屋へと運ぶのだった。