聖王猊下の婚約者と懐刀
ライオネルが王太后と話している間、シルヴィアは先に部屋へ戻っていた。そのままぼんやり窓の外を眺めていると、歌が聞こえた。
「聖歌だな。女神への祈りの歌だ。神聖国の人間なら子供でも歌える」
「ライやバースも?」
様子を見にやってきたバースは珍しく1人だ。そして今聞こえる歌が何か教えてくれた。シルヴィアは2人が歌うのはちょっと似合わないなと思いながら尋ねた。
「当たり前だろ。特にあいつは聖王だぞ。歌えないわけないだろ」
「ふーん…よくわかんないや。そもそも2人とも神様とかあまり信じて無さそうなのになぁ」
バースのさもありなんという返事に、シルヴィアはなんだか違和感を覚えた。
「…お前は意外と物事を言葉通りには受け取らないな。ご主人様の影響か?」
「どうかな?晶霊だからかも。人の子とは見えてるものが違うのかも?」
シルヴィアは素直なようで素直ではない。かと言って捻くれているかというとそういう感じでもなく、なるほどそもそもの見え方感じ方が違うのかもしれない。言われてバースは納得した。
「…晶霊も、恋とかするのか?」
「え。まさかのバースからの恋バナ??」
バースの質問に驚くシルヴィア。彼の妹ならともかく、意外だ。
「何を言う。俺は愛の国の騎士だぞ。愛を語るのは当然だ」
「…その言い方はなんか誤解を招くと思うけど。…晶霊も勿論恋をするよ。生物として、人と変わらない方法で増えるし」
夫婦で晶霊術士に仕えるものもいる。そういう晶霊は彼女のご主人様の元にもいた。
「ハウズリーグにはハーフもいるだろ?契約者と恋愛関係に発展するやつが両親の」
「うん、稀にだけどいる。別に不思議はないんじゃない?」
人ごとのように言うシルヴィアに、バースはこいつに情緒はあるのか?と不安になる。
「お前はライの婚約者だ」
「うん、なんか女神様的には」
やはりここも他人事だ。晶霊だからなのか?時折感情は見せるのに、どうも掴みにくい。
「このまま結婚するつもりはないのか?多分あいつはあとちょっとで落ちる」
「神聖力さえどうにか出来ればいいんでしょ?ライだってそれだけのはず」
バースからすればライオネルの態度は明らかなのに、シルヴィアは全くわかっていないらしい。
「ここに留まるつもりはないってことか?」
「?私は契約者のいる晶霊だもの。早く帰らないと」
インプットされたかのような答えに、どうしたものかとバースは考える。
「あの使者が帰ってからしばらく経つ。ハウズリーグ王はもうお前を切り捨てる気かもしれないぞ?」
「それは…そうかもしれない。もうなんの興味もなくなってるかも…」
急にしゅんとなるシルヴィアに、感情の揺れを見つけるバース。いやしかし、これをつつくのは騎士として如何なものかと思いつつ。
「…恋仲なのか?」
「違う。アシュと私はそういうのじゃない」
…今、なんて言ったか?アシュ?話の流れからしてハウズリーグ王のことか?確かに名前はアシュレイだった記憶はあるが。とバースは首を傾げる。
「アシュ?」
「え、名前知らないの?アシュレイだからアシュ」
「いや、名前くらい知っている」
愛称で呼ぶのを許すような関係なのかと聞きたかったのだが…。まぁ契約者と晶霊の関係性はドルマルク出身の自分にはよく分からないなと思い、バースはそこの追求はやめた。そもそも自分やライオネルの呼び方だってそれぞれに釣られてか軽いものだ。なんとなくシルヴィア相手に訂正するのが面倒になる気持ちもわからんでもない。
「私はアシュのものだから、ちゃんと帰らないと」
「婚約はどうするつもりなんだ?」
きっぱりと言うシルヴィアだが、婚約についてはどう考えているのか。
「どうすればいいの?」
「いや、俺に聞かれてもな。そもそも俺は最初あれが本気でプロポーズの成立になるとまでは思ってなかった」
「え!?」
バースの意外な言葉にシルヴィアは驚く。
「現場を見ていないワズや単純なライはともかく、あんな雑に婚約が成立するなんて女神もさすがに気まぐれと言うか傍迷惑すぎるだろう」
「じゃあなんで…」
しれっと言っているが、バースこそが真っ先にプロポーズの話をしていたのではなかったか?とシルヴィアは警戒する。
「俺はただの冗談半分だ。適当なところで普通の捕虜としてハウズリーグと交渉すれば良いと思っていた。女神は…正直分からん」
「バースって分かりづらいけど結構ふざけた男だよね…」
冗談半分で連れてこられたと知り、抗議するような目で見るシルヴィア。バースはいつも真顔だから分からないが今もからかっているのではなかろうか。
「ライは女神の愛し子だ。子供の頃からそう呼ばれていた。もともと神聖力も強いし加護も強い。そんなあいつに女神が互いに好いてもいない女との雑な婚約を認めるとは思わなかった」
「プロポーズになるって言ったのに…。じゃあ最初普通に牢屋にいれたのも…」
そういえば初めは捕虜用の牢屋に入れられたなとシルヴィアは思い出した。
「ああ、まさかあれで本当にライの神聖力がなくなるとは思わなかった。本来ハウズリーグ王の晶霊なんて危険すぎるからわかった時点であまり近づけたくはなかったんだがな」
「だからずっと試すようなことしてたんだ」
ライオネルの近くにあえて置いて、変なことをしないか見極めていたのだろうか。
「いや、すぐにお前に害はないことは分かった。ハニトラも一瞬疑ったが、女神が認められたのならむしろそれは止めるべきではないのだろうとも思った」
「え。じゃあ初めて魔術国に行った夜、私をライの天幕に連れて行ったのは??」
敢えて泳がせていたわけではないのなら、あれはなんだったのだろうか。自分へのご飯支給か?
「あれは単に兵たちがつまらない悪さをしようとしたからだ。それに実際お前を放置するわけにもいかないし、どうせあいつなら何もしないだろうと思った」
「えええ…」
まあ実際何もされなかったわけだが。ライオネルに対してどういう信用を持っているのかはわからないが、間違ってはいなかった。
「それにライが何かしたらしたでむしろ神聖力は強まるだろうし、お前も食事ができるし誰も困らないだろう?」
「まあそれは確かに…?」
強まった神聖力でハウズリーグに攻め込まれたら困るが、魔術師を倒す分にはシルヴィアもなんら問題はない。食事の意味でのまぐわいもだ。
「お前との婚約が成立して以来、今や神聖力は歴代聖王随一。正直先代が生きていても今頃はあいつと交代していたかもしれない。それ程までに実力差がある」
「この婚約に愛はないのに?」
ライオネルの神聖力がもともと強いにせよ、そこから婚約を理由にさらに強まる理由がわからない。女神様は偽りの愛をご所望なわけがないだろうに。
「ないのか?」
「ない…でしょ?」
真顔で見つめるバースがどういうつもりなのか、相変わらずシルヴィアには分からない。当然愛はないだろう。自分にもライオネルにも。
「第三者から見て…まあ、いい。それより、女神の話だな。お前がライの婚約者になったのは女神の導きなんじゃないかと今では思う」
「ソーントン伯爵もしくはその令嬢が女神だって話?」
「違う、俺たちの祀る女神はエスメラリア様だ」
真顔と真顔の攻防。正直どちらがふざけているのかどちらも本気なのかはたから見たらわからない。
「女神が何故お前を選んだかは分からないが、ライには必要だったんだろう。先王や王太后の件だけでなく、色々と助けられているからな」
「じゃあそろそろ功績を認められて解放してくれても…」
「それは承知しかねる」
これは解放してくれる流れか?とシルヴィアは一瞬期待したがどうやら違うらしい。
「そもそもお前はライから解放されたいのか?」
「ライから?そう言われるとなんか違うような気がするけど…」
別にライから逃げたいとかではない。そもそも彼だって不服な状況だろう。そういうことじゃなく、ただ帰りたいだけだ。
「…なんか、今日のバースよく喋るね」
「俺は元々よく喋る方だ」
確かにいつもはライオネルのツッコミで止められているだけかもしれない。
「ライ、そろそろ戻ってこないかな。考えてたらお腹空いてきた」
「俺でもつまみ食いしとくか?女神には黙っておこう」
「また冗談ばっか。屈んでくれないと無理だし。ライの神聖力がなくなったら困るんじゃないの?」
基本的にバースはライオネルをからかってはいるが、裏切りはしない。だから神聖力が無くなるような真似はしないだろうと思ったが…。
「浮気で神聖力がなくなるのはされた方ではなく、した方だ。お前は元々神聖術など使わないだろう?」
「確かに…?いやそもそも吸精は食事なんだけど…」
「お前のご主人様は敵国の聖王に精気を貰っていることを怒らないのか?」
以前からバースは気になっていた。逆にライオネルがハウズリーグ王の立場だったらキレ散らかしているだろうとも思うからだ。
「捕虜への人道的な食事支給は別に…。そもそもそんなに晶霊に対してそこまで興味ないと思う」
「ふーん?そんなもんか?」
ハウズリーグ王の人となりはいまいちよく分からないため、バースには判断つきにくい。
「あれ?じゃあ私に精気をくれるのはライじゃなくても女神様は怒らない?」
「さてどうだろうな。ライがお前を放置したこと自体を怒るかもしれないな」
結局どっちなのだ。女神様の判定はアバウトすぎて分からない。要は状況次第ということか?
「俺で試してみるか?」
「んー、バースの味も気にはなるけど…」
そんな気はないだろうにかがむバース。シルヴィアはまた冗談なんだろなと思いながら近づく。
「おいシルヴィア、ドアが全開…」
そこへ計られたかのようなタイミングで現れたライオネルが固まる。
「いや、近いなお前ら!?」
「わ」
ガバッとシルヴィアを抱き寄せるようにバースから引き離すライオネル。その顔に浮かぶのは焦りだ。
「ライ、大丈夫だ。俺はまだ食べられていない」
「いやお前の心配はしてねーよ!仮にも人の婚約者に近いって話だよ!」
そもそもあえてドアを全開にしていたのは変なことはしていないという周囲へのアピールだったのか、それともライオネルをこうしてからかうためだったのか、バースのみぞ知るのであった。