事故後
「なん、な、な、に、なに、な」
目覚めた彼は脳内で渦巻く思考の奔流に溺れた。思考と呼ぶには欠ける汚泥の川であり、抑えようとしても、水しぶきを上げるように言葉が断続的に漏れ出る。
彼が意識を取り戻したことに気づいた看護師が医者を呼んだ。その医者が彼に言った。
「やぁ、意識が戻ったようですね。よかった」
「よか、よか? なに、あ、あ、なに」
口がうまく回らないことに彼は恐怖を覚えた。だが、周りの様子から見てここは病院で、麻酔が効いているせいだろうと考えた。
彼が目だけを動かして医者に問いかけると、医者は頷き、「うまく話せないのは麻酔が効いているからです」と答えた。
彼はその言葉に少し安心した。しかし、すぐに新たな疑問が心に浮かんだ。
「な、なぜ、な、う、な、あ、てて、て」
手足の感覚がありませんか? と、医者は彼が言いたいことを代弁し、そして答えをくれた。
「大丈夫。それも麻酔が効いているからです。手足はちゃんとついていますよ」
「なに、なに、おき、おき」
「車の事故です。覚えていませんか?」
「あ、あ、あが、セン、セン」
「そうです。センターラインを割り、対向車との正面衝突したのです」
「おれ、おれ、おれが、が、が?」
医者は黙ったまま彼を見つめた。
「あい、あい、あいて?」
医者はまだ黙ったままだった。その様子に彼は疑念を抱いたが、それもそうか、わからないのだ。彼はそう思った。
事故現場は、ひとけのない峠だった。監視カメラもなく、ドライブレコーダーも壊れたのかもしれない。そうだ、凄まじい衝撃だった。車が潰れ、そして……しかし、よく生き延びたものだ。……ああ、相手は無事だろうか。いいや、心配なんてしてやる必要はない。向こうのせいだ。そうに決まっている。
……いや、どうだろうか。こちらが線をはみ出した気がする……よく覚えていない。眠かったような。では私か。私のせいなのか……いや、違う。眠りそうになり、気を引き締めたんだ。では相手のせいだ。クソ、クソクソクソクソ。そのせいで死にかけて、クソ! 死んじまえばいいんだ。ははは、ざまあみろ。相手もただじゃ済まなかったに決まっている。……いや、待て。おれは酒を呑んでいた気がする。あああああ、そうだ。酒に酔って、ああああ、おれはなんてひどいことを……。あああ、殺してやる。殺してやる、こんな目に遭わせやがって。いや、本当にすまない。ごめんなさいごめんなさい。許すものか死ね! 死ね! 死んで詫びろ! ごめんなさいごめんなさい。
「……混乱されているようですが、あの、ぜひ、お聞きしたいことがありまして……。ええ、医学界のためと申しますか。ええと、あなたが発見され、ここに運び込まれたとき、それはそれはひどい怪我でして、もうね、ははははっ、何と言いますか、二つの粘土を混ぜ合わせて一つにしたような状態でして、はははは!」
と、医者はそのとき、恐怖していたのだろう。それを思い出し震え、平静を保つために笑いながら喋り続けた。
「ははははっ、それで、検査したところ血液型も一致しているようで……ええ、なにぶん切迫した状況でしたので、拒絶反応も見られないだろうということで、無事な臓器は残して余分なものは取っ払ったりして、整えて、皮膚を繋ぎ合わせて……と、あの、それで、あなたはどちら様でしょうか……?」