第97話 火中の栗を拾う
独創世界『鋼鉄要塞』。
アサドが支配している空間。
意思の力による心象風景の具現化。
実態は、夜の製鉄所を舞台とした紛争地。
旗、収集品、武装兵が至るところに配置される。
無秩序ではなく、そこに課されたルールは二つあった。
・空間内での意思の力の無効。
・収集品以外の通常攻撃の無効。
全ては、旗の争奪と銃撃戦に重きを置かせるため。
極端な実力差をなくし、公平に勝負を行うための措置。
――しかし、そのルールは崩壊しつつあった。
「「…………」」
製鉄所内の化学工場から西にある地帯。
燃え盛る針葉樹の森には、二人の男女がいた。
――男の名前はジェノ・アンダーソン。
短い黒髪に、青い制服を着た褐色肌の少年。
左頬に一筋の刃物傷があり、黒瞳には光がない。
白き神を内に宿し、主人格は神に乗っ取られている。
身体には銀光。意思の力の顕在化である、センスを纏う。
――女の名前は蓮麗。
黒髪に赤メッシュが入ったセミロングヘア。
中国系の顔立ちで、目つきは鋭く、黒服を着る。
ザ・ベネチアンマカオの従業員であり、魔神契約者。
能力は未知数。身体には赤色に輝くセンスを纏っていた。
――ルールの無効。
強い意思は、縛りを凌駕する性質を持つ。
最上位級悪魔であるアサドを出力で上回る証。
我がままを押し通せるだけの、強さを持っていた。
「「――――」」
その先にあったのは、打撃に重きを置く勝負。
バトルフラッグの本意と、ルールを無視した戦い。
互いに拳を放ち、その周囲は火の手に包まれていった。
◇◇◇
悪魔界。魔神城。謁見の間。
集うのは、飛翔する四匹の蝙蝠。
正方形の四隅に位置するように滞空。
そこに表示されるのは平面の映像だった。
白き神と魔神契約者との戦いが映し出される。
「――――――で、本当にいいか?」
玉座に座る蓮妃は、真顔で念を押す。
それは、勝敗を予想する博打の最終確認。
降りるなら、今。認めれば、後には引けない。
外した場合には、悪魔界の奴隷生活が待っている。
「女に二言はねぇっすよ。覚悟は決まってるっす」
それでもメリッサは、迷わず宣言した。
当たった際の報酬は、人間界に帰れること。
それも、悪魔の体から人間に戻れるオマケ付き。
受けない理由も、攻めない理由も見当たらなかった。
「ノーモアベット。勝敗の責任は我が持たせてもらうよ」
蓮妃は、ディーラーのように快く引き受ける。
これで逃げ道はなく、望む結果を待つだけだった。
◇◇◇
針葉樹の森の火災は、さらに勢いを増していく。
樹々が倒れ、燃料が投下され続ける中、戦う者がいた。
「――――」
火中に響き渡るのは、無数の打撃音。
それは、一息の間に敵を圧倒する徒手武術。
蓮麗が最も得意とし、散々、見せつけていたもの。
――詠春拳。
反撃の隙を一切与えず、勝負を終わらせにかかる。
次第に火が揺らぎ、無数の拳を受けた被害者が見えた。
「……う、ぐっ」
下腹を押さえ、うめき声を上げるのは蓮麗。
辛うじて倒れてはいないものの、顔色は悪い。
その視線の先には、火炎と人の影が見えていた。
「扱うのは同じ門派。よもや、卑怯とは言いませんね」
現れたのは、ジェノの身体を操る白き神。
両手を胸前で構え、指はピンと伸ばしている。
型も套路も身のこなしも、蓮麗と全く同じだった。
条件は五分であり対等。差が出るなら、扱う者の技量。
「……猿真似野郎ガ。自称神なら、独自技で勝負してみたらどうカ?」
明確な実力差を前に、彼女は嫌味を吐く。
負け惜しみか、悪い流れを変えるための発言か。
思惑は不明。少なくとも優勢ではないのは確かだった。
「言い出したのは其方……。言葉の責任は取ってくださいまし」
すると白き神は、要望通りに構えを変えていく。
両拳を握り、両足を肩幅まで開いて、腰をやや落とす。
さらには、身体に纏うセンスを消し、次の一撃に備えていた。
「………………」
対する蓮麗は、沈黙を保っていた。
わずかに笑みを浮かべ、その時を待つ。
――訪れるのは、一瞬の静寂。
二人の間には枝葉の灰と、火の粉が舞っている。
拳の間合いまで二歩分。遠いとは言えない距離感。
空気が張り詰め、強い風がなびくと、それは起きた。
「――――――」
二人の間にフワリと舞い降りたのは、第三者。
絶妙なタイミング。二人が硬直せざるを得ない時間。
神と魔神契約者の意表を突いたのは、腰に刀を帯びた女性。
「あ、雨の日の明治神宮で、どん底にいた私を励ましてくれた時から好きでした」
女性が口にしたのは、場違い極まりない愛の告白。
火事が起きる修羅場で、雨の日の思い出を赤裸々に語る。
誰も口を挟めない。神も悪魔も契約者も割って入る権利がない。
下心は一切なく、その気持ちに偽りはなく、思いの丈の純度は100%。
――答える権利があるのは、この世でたった一人。
「だ、だから、起きてください。……ジェノさんっ!!!」
アザミは一方的な思いを告げ、無防備な少年と口づけを交わした。