第88話 バトルフラッグ㊳
戦地から遠く離れた、針葉樹の森。
樹々を避け、地面を蹴りつける音は二つ。
迷うことなく、一直線に目的地へと向かう道中。
メリッサは隣で並走している同行者を、ふと見つめた。
赤眼鏡、灰のハンチング帽、黒の革ジャン、紺のジーンズ。
腰には刀を差している、長い黒髪の女性。変装している元仲間。
「「……」」
適性試験でアザミと別れて、数か月。
経過した時の流れが、沈黙を生んでいる。
昔の彼女とは、特別親しかったわけじゃない。
友達の友達。その表現が一番しっくりくる関係性。
ただ、積もり積もった話が出来ない間柄でもなかった。
――なぜ、冥戯黙示録に参加したのか。
――今まで、どこで何をしていたのか。
――誰からの命令で、動いているのか。
ぱっと思いついたのは、再開するまでの過程。
世間話に花を咲かせたいなら、外せない話題だった。
互いに語り合って、傷を舐め合うのが日常会話というもの。
「ちょいと気になったんすけど、どうして、変装してるんすか?」
ただ、気になるのは過程じゃなく、結果。
今、目の前にある違和感がどうしても気になった。
「………に、任務のためです。ふ、深くは言えません」
しばしの沈黙の末、アザミは語り出す。
彼女は、組織『ブラックスワン』の代理者。
諜報活動を主要とする役職で、いわゆるスパイ。
元仲間とは言っても、こっちは組織を抜けた無法者。
諸々の事情を踏まえれば、彼女の反応は真っ当と言えた。
「あぁ、色々と察したっす。これ以上、詮索はしないっすよ」
振った話題は、早々に終了。
「…………」
ほっとした様子で、アザミは口を閉ざす。
そこで再び訪れるのは、物静かな時間だった。
特に気まずくはなく、口下手の彼女なら平常運転。
沈黙を気にするよりも、他に考えるべきことがあった。
(疑問点は、任務で大体片付くっすね。問題は……)
頭の中で巡らせるのは、次に振るべき話題。
今のうちに、聞いておかなければならないこと。
「それより……ジェノさんのこと、どう思ってるんすか?」
切り出すのは、避けては通れない話題。
単なる恋バナじゃなく、好意の有無の確認。
回答次第では、行動に直接影響するものだった。
「ど、どどど、どうって……?」
対するアザミは、顔を真っ赤にして返答する。
分かりやすい反応。根掘り葉掘り聞くまでもない。
「あぁ、色々と察したっす。好意がある前提で話を進めるっすね?」
胸がチクリと痛みつつも、平静を装った。
きっかけや、馴れ初めなんてのは聞きたくない。
時間の無駄だし、聞いたところで何の意味もなかった。
「………………は、はい」
こくりと頷き、アザミは好意を肯定した。
経緯はどうあれ、これなら気兼ねなく話せる。
「じゃあ、彼の為なら、ひと肌脱げるっすか?」
真剣な声音で告げるのは、本題。
今後、起こり得る可能性についての議論。
大まかな状況説明は終わってるから、伝わるはず。
「……え。で、できますよ、もちろん」
するとアザミは、当然と言わんばかりの反応を見せた。
絶対に分かってない。慣用句として意味を受け取っている。
純粋無垢だからこその勘違い。正直、一番苦手なタイプだった。
(あぁ……あんまこういうことは直接言いたくないんすけどね……)
一人の女性として、モラルも恥じらいも一応ある。
だから、遠回しに言ったし、明言するのを極力避けた。
本音を言えば、下にまつわる話は言うのも聞くのもきつい。
ただ、勘違いさせたまま先には進めず、説明する義務があった。
「いや、文字通りの意味っす。白き神を堕天させるために、ジェノさんの身体を逆レイプできるかって聞いてるんすよ。……先に言っとくっすけど、無理強いはしてないっすからね。やれないなら、うちがどうにかするだけっす」
メリッサは覚悟を決めて、分かりやすく目的を語る。
これ以上も以下もない。ここまで言って伝わらないわけがない。
「…………あっ」
ワンテンポ遅れ、アザミは思った通りの反応を示す。
犯罪レベルの下世話な話を前に、思考は硬直していた。
頬を赤らめて済むような次元じゃない。こっちが加害者。
無垢な彼女には酷な話。こうなるから、言いたくなかった。
(この感じだと、無理そうっすね……)
戦力は一人でも多い方がいいのは確か。
白き神を誘惑するには、女手は絶対に必要。
ただ、どこかスッキリしたような気分になった。
胸のつかえがとれたような感じ。理由は分からない。
一人でやることが、状況的に確定したからかもしれない。
「ま、そうなるっすよね。本番はうちに任せて、フォローは――」
前向きに議論は進行し、メリッサは詳細を詰める。
その時、横目で見えたのは、覚悟が決めたような表情。
嫌な予感がした。胸がムカムカして、胃が締め付けられる。
初めて経験する感覚だった。だけど、それは知識で知っている。
「……や、やれます。ジェノさんのためなら、ひと肌脱いでも、いいです!」
嫉妬。七つの大罪にも数えられる、罪深い感情だった。