第81話 バトルフラッグ㉛
化学工場に通じる、二車線の道路。
周辺には、針葉樹が連なる森があった。
夜風で枝葉が揺れて、静けさに満ちている。
――その静寂を破る者がいた。
全長約13メートル。狼型の四足歩行兵器。
進行者は、道路の中央を遮るように立っている。
機械の鋭い目が標的を捉えると、金属が擦れる音がした。
背中の装甲が一斉に開き、貯蔵されていた兵器の一部を放出する。
『――――』
放たれたのは、計二十発の対人誘導ミサイル。
尾を引く煙が空を裂き、最初の十発は道路で爆発。
衝撃が地面を震わせ、樹々が揺れ、枝葉が散っていく。
残り十発が向かった先は、上空。針葉樹の頂点付近だった。
「……」
「……」
そこで睨み合っていたのは、二人の男女。
周囲には、逃げ場を潰すミサイルが飛来する。
お互いにライフは一つ。防御も回避も難しい場面。
求められるのは、迎撃。沈黙を続ければ、死が訪れる。
「「…………」」
しかし、それでも二人は動かなかった。
顔色一つ変えることなく、睨み合いを続ける。
その間にもミサイルは進み、被爆圏内に差し掛かる。
ここより先で爆発すれば、迎撃してもダメージは免れない。
――死のボーダーライン。
助かる条件は、ラインを越える前に全て撃墜すること。
それが最も現実的であり、同時に非現実的とも言えるもの。
時間を追うごとに、難易度が上がっていく中、その時は訪れた。
「「――――――」」
発生するのは、閃光と爆熱と爆風だった。
破片が散り、衝撃波が広がり、樹々が揺れる。
結果として、全ミサイルが同時期に起爆していた。
周囲は煙に包まれており、二人の安否は確認できない。
――シュレディンガーの猫。
中身を見るまで、生と死は同時に存在する。
観測の重要性を示す思考実験と似た状況だった。
ただ、周囲の状況から結果を予想することはできる。
「――――」
その時、ザザッと枝葉が揺れる音がした。
起爆の影響を受けない場所からの、不自然な音。
針葉樹の太い枝の上には、白銀色の脚が着地していた。
――それは、自然の産物ではない。
艶があり、表面は反射し、無機質な形状。
フシューと音を鳴らし、排熱処理が行われる。
白き神の鎧化とも、聖遺物の鎧化とも異なる現象。
――それは、神秘や奇跡の産物ではない。
右手には白銀の大弓を持ち、弦は白く光り輝く。
頭部は金属で完全に覆われており、フォルムは人型。
戦闘力、武器の詳細、エネルギー源、それらは一切不明。
左肩には茶色のニワトリを乗せるが、何の説明にもならない。
鎧が秘める可能性は未知数。ただ一つだけ、確実なことがあった。
――それは、最先端科学が生んだ産物である。
「約束は守らせてもらう……」
白銀色の強化外骨格を纏うベクターは、虚空に語る。
視線を向けた先では、被爆周辺の煙が晴れようとしていた。
結果を観測するまでもなく、状況から推察すれば想像に難くない。
「やっぱり人は、信じてみるもんすね」
煙の中から現れたのは、無傷のメリッサとジェノ。
その表情はどことなく晴れやかで、希望に満ち溢れていた。
◇◇◇
停電復旧前。化学工場一階。電気室。
辺りは暗闇の中、ベクターは拘束される。
その全身に巻きついているのは、異能産の糸。
身動きがとれておらず、握るナイフが地に落ちた。
完全な無力化に成功し、彼は致命的な隙を晒している。
「うちの伸びしろは底なしっすよ」
そこでメリッサは、斧付き散弾銃の引き金を引く。
発砲音が響き、発火炎が煌き、空薬莢が地面に転がる。
意思の力を封じられている人間では、回避も防御も難しい。
それも、散弾の性質上、最も力を発揮する、零距離射撃だった。
素人や初心者であろうと、同条件なら絶対に外すことはない距離感。
「お前……どうして……」
暗視ゴーグルの視界を介し、ベクターは困惑していた。
その視線の先にあったのは、真下に向けられている銃口。
地面には複数の弾痕が残っており、誰にも命中していない。
「見て分かんないんすか? 見逃してやったんすよ」
散弾銃を肩に担ぎ、メリッサは得意げに語る。
「見れば分かる……。聞いてるのは理由の方だ……」
一方、ベクターは、げんなりとした様子で話を進めた。
「うちに命の危機が迫れば、一度だけ助けて欲しい。それが解放の条件っす」
それが、二人の間に交わされていた口約束。
守る保証はなく、人の善意を信じた博打だった。
◇◇◇
博打に勝って、口約束は守られた。
そこから先は自由。敵にも味方にも転ぶ。
「どうしようと勝手っすけど、うちらの邪魔はしないで欲しいっすね」
針葉樹の頂上に立つメリッサは振り返り、言った。
それは最悪の可能性を考慮した、ベクターへの牽制。
正直、白き神を相手にするだけでも、オーバーワーク。
それに加え、四足歩行兵器と強化外骨格もいるとか無理。
お願いできる立場じゃないけど、これだけは言いたかった。
「空気は読めるし、義理もある……あの兵器は俺に任せろ……」
そこで返ってきたのは、一番欲しかった言葉だった。
嘘か誠かはどうであれ、心がぐっと軽くなった気がする。
「恩に着るっす。互いに生きて帰れたら、一杯やりたいっすね」
そこでメリッサは、一切の下心なく本音を語る。
命を預け合う関係は、異性や同性の範疇になかった。
一言で例えるなら、戦友。戦闘を通して芽生えた深い絆。
「気が向いたらな……」
満更でもないような声音で、ベクターは飛翔する。
あの装備と、彼の実力なら、四足歩行兵器はどうにかなる。
――残すところは、本命の男。
「さてさて、邪魔もいなくなったところで、仕切り直しといくっすよ!」
メリッサは意気揚々と語り、右手から糸を放つ。
神との本格的な戦闘。その先のことも、当然、考えていた。