第65話 バトルフラッグ⑮
ジェノが姿を見せる数秒前のこと。
高炉制御室は、高炉の爆発で崩落した。
身体は落下を始め、近くには広島が見える。
ここは瓦礫で隠れていて、相手は気付いてない。
(どうにか、助かった……)
視線を落とした先には、グロッグ17。
銃身下部にあるアタッチメントが砕けている。
迫る鈍器を身体外で防いだおかげで、死を免れていた。
(このまま死んだ振りをすれば……)
次に考えるのは、相手のことだった。
広島は滅葬志士の暗殺命令に逆らえない。
標的が死んだことになれば、彼女は救われる。
「……」
すぐさまジェノは上着を脱いで、近くに放り投げた。
命が取り立てられれば、衣服だけ残ることは聞いている。
物的証拠があれば、広島は死んだと思い込んでくれるはずだ。
(これで、いいんだよな)
死を偽るなら、表向きに活動することはできない。
目立たないように身を潜めて、隠遁生活が強いられる。
知り合いを頼れば可能だろうけど、不自由極まりない人生。
やりたいこともできず、自己犠牲の果てにあるのは他人の幸せ。
『NPCなら問答無用で倒します。プレイヤーだったら……』
『……だったラ?』
『俺が、殺します……』
ふと思い返されるのは、蓮麗との会話だった。
嘘か本心か。自分のことなのにまるで分からない。
白き神の影響か、心境が変わったのか。いずれも不明。
分からないことだらけだけど、一つだけ分かることがある。
心に矛盾を抱え、その中心にいるのは、常に『あの人』だった。
『人は殺さないこと。これだけは約束して』
足を引っ張るのは、リーチェと交わした約束。
あの頃は師匠と呼んでいた。疑いを持たなかった。
黙って従っていれば、人生が上向くと思い込んでいた。
――だけど、違った。
妹を死んだことにして、不自由な生活を強いた。
組織の管理下において、逃げられないようにした。
事実を隠し、良い師匠を演じて、まんまと騙された。
嘘をつかれた。話してくれなかった。それが嫌だった。
生理的に受け付けない行為。だから、気付いてしまった。
(あの人と同じことをして、いいのか……?)
今の自分は、昔のリーチェと似た状況にある。
死の隠蔽は、周囲の人に嘘をつくのと同義なんだ。
今は未遂だけど、実行すれば、嫌いな人と同じになる。
(無理だ。我慢できない。到底、耐えられない)
ふつふつと心の奥底から感情が煮えたぎる。
嘘をつけない。我を通したい。信念を貫きたい。
自身の心と向き合って、自分なりの答えを導き出す。
「俺はここにいる! 殺せるもんなら、殺してみろ!!」
叫ぶのは、偽りのない本心。人間である証。
ただ、感情を消費する度に、神格化は進行する。
その事実を知らないまま、ジェノは今を生きていた。
◇◇◇
上空50メートル地点から自由落下で地面に着くまで、3.19秒。
ジェノが瓦礫から姿を見せ、啖呵を切るまでに要した時間は2.1秒。
――残り約1秒間の空中戦が始まる。
意思の力が使えない今、互いの選べる手段は多くない。
収集品以外の攻撃は無効。裏を返せば、行動は自ずと絞られる。
「ジェノ・アンダーソンっっ!!!!」
広島は狙撃銃SV-98の銃口を向け、二脚左部に触れる。
赤いレーザーサイトが起動し、少年に照準を合わせている。
従来の狙撃なら、風向、偏差、重力などを加味する必要がある。
射程が伸びれば伸びるほど、レーザーの照準補正は当てにならない。
――しかし、距離は十メートル弱。
弾道の予測に狂いが生じにくい近中距離。
互いに自由落下中で、重力の影響も受けない。
狙撃手も弾丸も標的も、同じ速度で落下する計算。
そのため弾丸は水平に飛び、偏差はなく、風向は微差。
つまり、レーザーサイトが示された位置に弾丸が通る計算。
「毛利、広島ぁぁぁあああああっ!!!!」
その事実を知らないジェノも、銃口を向けた。
自動拳銃グロッグ17。有効射程距離は50メートル。
与えられた条件は同じであり、弾丸は真っすぐに飛ぶ。
計算と知識ではなく、直感と本能が最適解を手繰り寄せる。
グロッグ17のリアサイトの先は、毛利広島の胴体を捉えていた。
――問題は直感を信じ、引き金を引く度胸があるか。
撃てるか、撃てないか。殺すか、殺さないか。
迷いと葛藤と矛盾の果てに、答えは行動で示される。
「お前はここで!!!!」
「あなたはここで!!!!」
完璧に揃ったタイミングで引き金に指がかかる。
「「――殺す!!!!」」
そして、放たれたのは、重力の影響の受けない弾丸だった。