第59話 バトルフラッグ⑨
熱風が肌を突き抜けると、身体は闇に溶けていく。
ブラックホールに、自ら飛び込んだような気分だった。
懐かしくもあり、何度やっても慣れない、自殺紛いの行動。
ただ、体を張るだけで道が作れるなら、何度だってやってやる。
「…………」
目を逸らすことなく、ジェノは暗闇と向き合う。
慌てふためくことなく、起こるべき結果に身を委ねる。
生と死の綱渡り。命知らずな愚行の果てに、その時は訪れた。
「――」
カンと小気味のいい音が鳴り、落下は止まる。
しっかり両足の踵で着地し、特に痛みは感じない。
地上まで落ちるほど、時間が経過した感覚もなかった。
――成功だ。
手や足で、何度も感触を確かめ、実感する。
停電前に見ていた景色と、なんら遜色がない。
これなら、次の段階に進んでも良さそうだった。
「蓮麗さん、下はパイプです! 安心して降りて来てください!」
ジェノは声を張り、結果を報告する。
ここまでくれば、目的地まで目と鼻の先だ。
◇◇◇
地上50メートル付近にある、ベルトコンベア用通路。
そこで突如、下の方から聞こえてくるのは、ジェノの声。
「……」
ひょっこりと窓から顔を出し、蓮麗は様子を伺う。
まるで底が見えず、距離感を確かめる術は、声量のみ。
聞こえた感じを元に逆算するなら、おおよそ3メートル下。
(分かっててもやるカ? イカレてるネ)
背筋がゾワリとしつつ、少年の愚行に恐れを抱く。
人並みの恐怖心があれば、行くにしても必ず躊躇する。
それなのに彼は、即断即決即行動。迷いなく落ちていった。
あまりにも人間味が欠如していて、別の生き物のように感じた。
(まぁ……無理もないカ。あの少年の中には……)
思い当たるのは、天眼視心で観測したジェノの秘密。
それを考慮に入れれば、むしろ、正常な反応とも言えた。
「あのー、蓮麗さん! 聞こえてますか!!」
そう思考に耽っていると、真下からは急かす声。
無視、反対、退却。いくつかの選択肢が頭に浮かぶ。
家に持ち帰り、吟味して結論を出したいところではある。
ただ、そんな時間はない。即断即決即行動が求められる場面。
「…………あー、急がば急げ。成るように成れヨ!」
吹っ切れるようにして、蓮麗が取った行動は、自由落下。
窓から身を乗り出し、言われるがままに、暗闇へ飛び出した。
熱風が吹き抜け、あらゆる臓器が浮き上がるような感触を味わう。
タチの悪いアトラクションに乗った気分。まるで生きた心地がしない。
体感にして数十秒。現実では恐らく、数秒ほど恐怖を味わい尽くし、着地。
カンと音を鳴らせ、両の踵でしっかりパイプを捉え、落下の衝撃を受け止める。
「気分はどうでした?」
そこで計ったように声をかけてきたのは、ジェノ。
顔はよく見えないが、澄ました表情を作っていそう。
いけ好かない態度。相容れない性格。中身だけの少年。
無限に悪口が浮かぶが、取り入るためにも猫を被りたい。
今までのように、嘘で固められた言葉を口にしそうになる。
ただ、なぜか、無性に、どうしても、本心で語りたくなった。
「……まぁ、たまには悪くない、ですネ」
暗闇に投げかけるのは、嘘偽りのない言葉。
スリルに罪はない。理由はきっと、それだけに決まってる。
◇◇◇
地上50メートル付近。ベルトコンベア用通路。
開かれた窓をじっと見つめているのは、二人組。
「……惜しいな。もう少し迷ってたら、人質に出来たんだが」
声を発したのは、ルーカスだった。
指をパチンと鳴らし、悔しさを露わにする。
「過ぎたことを言っても仕方がない。それより、次はどうする?」
背後に立っている閻衆は、建設的な話を持ち出した。
まるで引きずっておらず、淡々と事象を受け止めている。
「あぁ……ここは撤退だな。停電の影響で高炉周辺は、大凶と見るぜ」
「気温上昇に加え、有害物質が出る頃合い。確かに、引き際かもしれんな」
二人の意見は一致。すぐさま踵を返し、通路の斜面を下る。
むさ苦しい空間に、しばしの静寂が訪れるも、話は終わってない。
「……ところで、行き先は?」
続けて閻衆は、本題を切り出した。
当の本人は、ニヤリと笑い、こう言った。
「化学工場。……こいつでド派手に戦場をかき乱してやるよ」
肩に背負う、携帯対戦車擲弾発射器。
RPG7を見せびらかして、誇らしげに語った。