第45話 敗北の真相①
ザ・ベネチアンマカオ地下20階。撃鉄の間。
壁際に配置されているのは、複数台の電光掲示板。
「……」
ルーカスはタッチパネルを操作し、レシートを発行。
一人用の特急権を片手に持ち、エレベーターへと向かう。
現時点で到達者は誰もおらず、一番乗りに最も近い男だった。
「……待つっす。うちと勝負してくれないっすか」
そこに待ったをかけたのは、メリッサだった。
瞳に涙を滲ませながらも、声には熱をこもらせる。
――亡き友のため。
ただ、殺されたわけではなく、互いに納得する賭場で負けた。
その事実を理解するからこそ、彼女の理性には歯止めがかかっていた。
「復讐か? 気持ちは分かるが、勘弁してくれ。乗ってやる理由がねぇ」
ルーカスは会話に応じるも、声音は冷めている。
一瞥をくれた先には、赤いチャイナ服が落ちていた。
「だったら、力ずくでも……」
やり切れない怒りが、メリッサの心を曇らせる。
勝負の経緯や人としての道理を無視して、頼るのは暴力。
場は剣呑な空気に満ち、観戦者たちは哀れみの視線を向けていた。
「やめろ……。彼女は望んで敗北を選んだ……」
経緯を知るベクターは、言葉で止めた。
深く語らないルーカスに代わり、擁護する。
「はぁ? んなわけが……。蓮妃には負けられない理由があったんすよ!」
白スーツの襟を掴み、憤りをぶつける。
観戦者の言葉だけでは、決して埋まらない溝。
――過去に帰りたい。
蓮妃の事情と熱量を理解するからこそ、納得がいかない。
諦めて敗北を選ぶわけがないと、メリッサは高を括っていた。
「負けることで願いが叶うとしたら、どうする……」
抵抗する素振りもなく、淡々と語られる。
「……っ!?」
襟を掴んだ手が緩み、徐々に力が抜けていく。
願い。その言葉にメリッサは、思い当たりがあった。
『……願いを認証。悪魔界と人間界の接続規制の緩和。その結果、実現する』
ダンジョン最下層近くにいた未知の存在、パンドラ。
それに蓮妃が過去に戻りたいと願い、実現を確約された。
結果として、低級悪魔のみ往来が可能だった接続規制が撤廃。
最上位悪魔の往来も許されたことで『冥戯黙示録』が開催された。
蓮妃は勝ち進み、悪魔の使役権を得て、実現するものだと思っていた。
――しかし、負けて叶うならどうか。
勝負のルールを抜きにして、メリッサは考える。
自分がもし、蓮妃の立場だったら。それだけを念頭に置く。
「それなら……やるかもしれないっす……」
掴んだ襟を放し、至った結論を力なく語る。
ルールを知らないなりに理解しようとしていた。
「分かったんなら、もう絡まねぇでくれ。恨まれるのは……お門違いだ」
止めた足を再び動かし、ルーカスは歩みを進める。
望んでいた敗北。異を唱える余地も、怒る理由もない。
残されているのは、メリッサが内に秘めている個人的感情。
「……………………うっ、うっ」
瞳からは、とめどない雫がこぼれ落ちる。
パンドラの登場時点で、結末は決まっていた。
別れる未来は必定。遅いか早いかだけの些細な差。
ただ、タイミングが悪かった。ほんの少しのすれ違い。
「ここで、あやまろうと、おもってたのに……」
溢れ出すのは、涙の理由。偽りのない本心。
わだかまりが解消されることなく、胸に残り続けた。
◇◇◇
エンパイアステートビル崩壊騒動が収まった後のこと。
わだかまりのきっかけになったのは、第三者の一言だった。
「俺……メリッサのチームから抜けるよ。理由は聞かないで」
これまで行動を共にしていた、ジェノの突然の離脱。
去り際の背中すら見つめられず、メリッサは立ち尽くす。
理由が分からないせいで、上手く感情の整理がつけられない。
「ちょうどイイね。不穏分子は消えてくれた方がありがたいよ」
追い打ちをかけるように、蓮妃の厳しい言葉が投げかけられる。
それに耐えられるほど、我慢強くも、人生経験が豊富でもなかった。
「……元はと言えば、理論がどうこう言い出した、蓮妃が悪いんじゃないんすか」
行き場のない怒りは、別の人間に向けられる。
闘宴の間の道中で話題になったのは、ゲーム理論。
敵味方問わず恩を売り、利用し、用が済んだら裏切る。
その理論に、ジェノが当てはまっていると、蓮妃は語った。
そこから、信頼関係に溝が生じ、亀裂が走り、やがて崩落した。
責任の一端がないとは思えない。聞かなければこうはならなかった。
「言葉を真に受けて、流れを作ったのはメリッサよ。責任転嫁はやめて欲しいね」
話半分に聞き流していれば、どうにでもなった。
でも、思考に混じった以上、どうにもならなかった。
二律背反。矛盾した二つの命題が頭の中で木霊していく。
ただ実際はそこまで複雑じゃなく、非を認めれば丸く済む話。
きっかけは、闘宴の間のチップ一枚分の溝だって、分かっていた。
「いいや……蓮妃が悪いっす。損切りがどうとかも言ってたっすよね」
それでもメリッサは、非を認められない。
起こった責任を自分以外の誰かに押し付ける。
じゃないと揺らいだ心を保つことができなかった。
「あぁ……もうイイよ。謝れないんだったら、ここでお別れね」
蓮妃は、子供のように声を荒げたりはしなかった。
ただ冷たく、淡々と、流れ作業のように処理していく。
――大人の対応。
知識では理解できても、経験が浅い。
知らない。自分なりの解決法が分からない。
答えを示されているのに、心がそれを拒んでしまう。
「………………」
メリッサは何もすることができず、蓮妃の背中を見送った。
期限は『冥戯黙示録』が終わるまで。仲直りする機会はまだある。
今はただ、起きた情報を整理して、落ち着いて考える時間が欲しかった。
◇◇◇
「何があったか、話してほしいっす……」
涙が枯れるまで泣いた後、メリッサは語り出す。
それまでルーカスは、足を止め続けてくれていた。
「あぁ、そのために残ってんだ。よーく聞いてくれ。あいつの生き様をよ」
過去と未来は交錯し、やがて現在で収束を果たす。
ルーカスは約束を果たすため、敗北の真相を語り出した。