第44話 タイムズルーレット③+α
ザ・ベネチアンマカオ地下20階。撃鉄の間。
卓を境に、対面に立つのは無精ひげを生やす男。
リボルバーの銃口を向けて、引き金には指がかかる。
「てめぇの未来は死だ」
不穏な言葉と共に、放たれたのは一発の弾丸。
狙いは正確。吸い込まれるように額に命中したね。
「――――っっ」
脳に衝撃が走り、視界がわずかに揺らぐ。
弾丸は光に変わり、消えていくのが見えたよ。
ある種、予想通りの結果。大した痛みは感じない。
ゲームのルール上、死なないのは分かっていたからね。
ただ、奇妙な感覚が生じる。痛みとは真逆に位置する反応。
(力が溢れてくるよ……。これは、聞いてナイね)
ルール説明にはなかった、能力向上のバフだったよ。
担当悪魔の作為的な理由があるようにしか思えなかったね。
(…………『センスの貸付』による縁結び、ってところか?)
真っ先に考えついたのは、悪魔の利得。
命を取り立てられれば、恐らく地獄に行く。
生前に貸しがあったら、引き合う可能性は高い。
言ってしまえば、マーキングに近いかもしれないね。
(いや、それよりも、向き合うべきはこっちね……)
脱線しそうになった思考を戻し、視線を落とす。
そこには、現在の状態を表示する液晶が映っていたね。
――――――――――――――――――――
ターン2開始。攻守交替。再装填。
蓮妃:♡♡♥。先攻。
ルーカス:♡♡♡。後攻。
実弾二発。空砲四発。
――――――――――――――――――――
リボルバーは浮き上がり、空中から二発の実弾が現れる。
それらは薬室に装填。回転式弾倉はオートで回っていったね。
(爾後弾で、あいつは我が死ぬ未来を見たと言った。事実なら厄介極まりナイ。死が確定した未来を覆すのは難しい。……ただ、真に受けるのは危険ね。心理戦を仕掛けるための嘘かもしれナイ。慎重に探りを入れる必要がアルね)
心地いい回転音を聞きながら、勝負に思考を傾ける。
実弾の隠しバフの考察は後回し。今は勝つことが最優先。
「……人はいつか死ぬよ。1ターン後か、遠い先の未来かは分からナイ」
蓮妃は、次の手を打つために会話を促した。
表情、仕草、呼吸、そこから、嘘か誠か判断する。
「舌足らずだったか。あんたの未来はこのターンで潰える。何を試しても無駄だ」
対するルーカスは、目をじっと見つめ、言い放った。
瞳や声に揺らぎはなく、呼吸の乱れも感じられなかったね。
(こいつは、ちとまずいね……。嘘の気配が微塵もナイよ)
語られた内容に、胡散臭さが一切無し。
長年培った経験から、状況を察してしまう。
(未来を見たなら手の内も、弾倉の配置も、どの特殊弾を購入するかもバレてる。何をしたところで予定調和。確定してる未来を引き寄せるだけ。どう足掻いても、結果は変わらナイのか……?)
打開する案を考えようにも、後ろ向きな方向に思考が偏る。
雲行きは悪く、勝負が始まる前から詰んでる気がしてならナイね。
「…………」
さらに下向く視線の先には、特殊弾一覧の項目。
現在、過去、未来に対応した弾丸を追加できるルール。
(いや、逆転の発想ね。負けが確定してる前提なら、アレで……)
三択の中から一つを選び、チップを100%消費。
悪魔の謝辞と共に装填されるのは、灰色の二発の弾丸。
――遡行弾。
1ターン前に戻れ、減ったライフは回復、チップは減算。
負けが確定してるなら、二発とも自分に撃つのが必須の条件。
ターン制な以上、撃てない可能性もあるが、成功する前提とする。
――その上で不確定要素は三つあるね。
・1ターン前に戻ったら、二発目の遡行弾が残ってるか。
・残った場合、そこから更に1ターン前に遡った先がどこか。
・過去に戻れたとして、チップが0枚の状態だと命がどうなるか。
――命運を握っているのは特殊ルール。
チップが100%消費された場合、ターン終了後に敗北が確定する。
ただし、追加装弾されたターン内に勝利すれば、払戻。敗北は無効となる。
――裏を返せば、ターンが終わるまで一生敗北が確定しない。
過去に戻れば、勝負を受けずに有耶無耶にできる。
特殊ルールが適用されて、生き残る可能性もあったよ。
「ま、言われて諦めるようなタマじゃねぇか。いいぜ、やるだけやってみな」
後攻のルーカスは、焦ることなく静観していたね。
自らの勝利を確信し、微塵も疑ってない様子だったよ。
状況は理解してるけど、ここまで舐められると頭にくるね。
「……逆境は覆すためにアルよ。せいぜい、今の内に吠えてるがイイね」
蓮妃は威勢よく啖呵を切り、敗色濃厚の戦いに自ら足を踏み入れた。
◇◇◇
同時刻。自由の街。崩落したエンパイアステートビル前。
素手で瓦礫をかき分けるのは、屈強なアフリカ系の男だった。
「……おっ、こいつは当たりだ。人が出入りした痕跡がある」
崩落した入口からエレベーターまでの道のり。
本来なら埋没しているはずが、やけに整っていた。
上階への移動手段がまだ使える。その何よりの証左だ。
「…………」
隣に立つ中国系の女性。蓮麗は何も答えない。
さっきまでの熱量と勢いが、消えてしまっている。
「どこか怪我でもした? それか、あの時に……」
同じく異変に気付いていたのは、陰気な少年ヘケト。
闘宴の間で出会った参加者。人を癒して成り上がった。
髪で目線を隠し、胡乱な雰囲気を出すが、性根は優しい。
悪人が集う賭場で、数少ない善人とカウントしていい人柄。
出会ってそこまで経ってないが、優しく手を差し伸べている。
「問題ないネ。先を急ぐヨ」
蓮麗はそれをパシンと手で強く払いのける。
彼女の性格なら、あり得なくもない強気な態度。
「…………」
ただ、アフリカ系の男性マイクは、疑心の目を向けていた。
◇◇◇
蓮妃とルーカスの決着がつく、十数分前。
そこは、連邦準備銀行のすぐ近くにある路地。
強盗騒ぎによる侵入者たちが治療を施されていた。
大半がダウンしている中、一人、立ち上がる者がいる。
「……助かったよ。こいつは悪くナイ効能ね」
蓮妃は空の牛乳瓶を地面に置き、感想を語る。
中身は唾液。ヘケトが持つ治癒能力によるものね。
意思の力か、特異体としての能力かは未知数だったよ。
「でしょ? 僕の唯一の取り柄なんだ」
空き瓶を回収し、ヘケトは誇らしげに語る。
口振りから察するに、戦闘能力はなさそうね。
今なら自然な流れで、情報を探ることができる。
『外で待機する治癒系能力者と接触して、能力の詳細を突き止めて』
頭によぎるのは、ジェノから課された条件。
前払いとして、すでにチップ五千枚もらったね。
条件を達成できれば、さらに倍額上乗せされる約束。
「その技……誰に習ったか?」
蓮妃は獲物を狩るような目つきをして、尋ねた。
指示を無視して、先に進むことも可能ではあったよ。
ただ、そこまで腐った覚えはない。あまりにも不義理ね。
それに必要経費として五千枚払った以上、引き下がれないよ。
「えっとね、それは――」
質問に対し、前向きな反応を見せている。
これさえ聞き届ければ、恐らく条件は達成ね。
「待つネ。コイツは金づるであり、敵。余計なことは話さない方がいいヨ」
いいところで口を挟んできたのは、中国系の女。
ヘケトの取り巻きの一人で、蓮麗と呼ばれていたよ。
口調が似てるからか、邪魔されたせいか、妙に鼻につく。
「……話してる相手はお前じゃナイ。部外者は引っ込んでるよ」
気付けば、反射的にセンスを纏い、威嚇していた。
武力で成り上がった過去の血が騒ぐ、悪い癖だったね。
もっとスマートのやり方もあったが、大抵はこれで黙るよ。
「………………」
思った通り、蓮麗はだんまりを決め込んでいたね。
身構えるでも、怯えるでもなく、ただこちらを見ていたよ。
目にはセンスを纏い、心中を見透かされているような気分だったね。
(こいつ、感覚系か……? 見るだけで心を読めるなら……)
一触即発の空気の中、相手の能力を考察する。
知られたくないものを、知られた可能性があったよ。
「堂々と覗き見とは、イイ度胸ね。……我の何を見た」
胸中を探るため、凄みを利かせ、尋ねた。
返答次第では、口封じも辞さない覚悟だったよ。
何も起きないことを祈りながらも、その時は訪れたね。
「………………………………………………………………パン、ドラ」
蓮麗が口にしたのは、禁断の言葉。
最も知られたくなかった、忌むべき過去。
「――――」
自然と蓮麗の首元に手を伸ばす。
反応から考えて、感覚系なのは確定。
性質上、純粋な力比べは不得意なタイプ。
このまま力押しで、二の句は告げさせないね。
「おいおい、物騒だな。その辺にしとけ」
伸ばした手を掴んで止めたのは、アフリカ系の屈強な男。
名前はマイクとかいったね。見るからに、肉体系だったよ。
手首をぎゅっと握られて、ピクリとも動く気配はなかったね。
(素の筋肉が半端じゃナイ。女であることが悔やまれるね……)
肉体+センス=膂力。この図式は揺るがない。
系統に関係なく、女より男の方が筋肉量が多い。
その格差はおおよそ、30%前後と言われているね。
仮にセンスが30%上でも、筋肉の差分で相殺される。
頭では分かっていても、どうしても屈辱感があったね。
「冗談よ、冗談。それ以上喋ったら、うっかり殺すところだったね」
しっかり釘を刺して、素直に負けを認める。
視線の先には、冷や汗をかく蓮麗の姿が見えたよ。
「だろうな。それ以上動いたら、ひねり潰すところだった」
スッと手首を離されるも、マイクは釘を刺してくる。
真顔を作り、冗談を言ってるようには聞こえなかったね。
心底ムカつくが、膂力だけなら相手が上。従った方が利口ね。
「……口を割らない限り、手は出さナイよ。それより、さっきの続きを話すね」
雑音が入りつつも、蓮妃は話を振り出しに戻す。
矢表に立つ少年は、顎に手を当て、考え込んでいる。
言うか、言わないか。今ので幻滅して、話したくないか。
いずれにしても、身から出た錆。受け入れるしかなかったね。
「……えっと、唾液は体質だね。あれを飲む発想は褐色肌で黒髪の少年から。技名をつけたのは黒の指貫グローブをつけた、茶髪のお姉さん。名前は……知らないや。ただ少年の方は、闘宴の間で蓮妃さんと同じパーティにいた人のはずだよ」
ただ、ヘケトは意外にも詳細を語り出した。
特異体は確定。依頼主が欲しがる情報は揃ったはず。
本来なら喜ぶべきはずのところだったけど、違和感の方が勝る。
「おかしいね。会ったことあるのに、どうして顔見知り以下の関係か?」
ジェノが依頼したからには赤の他人のはず。
知り合いなら、わざわざ高いチップは払わない。
二人の間には、何か食い違いがあるように感じたよ。
「彼と会った時、人間の言葉を知らなかったせいだね」
返ってきた回答は、分かるようで分からないもの。
まるで、人間じゃない時があったかのような言い回し。
「……待つよ。それって、どういう意味か?」
背中が薄ら寒くなるのを感じながら、話を掘り下げる。
正直言って、聞きたくなかったが、聞かざるを得ない状況。
「僕は最近、魔物から人間になったところなんだ」
明かされたのは、予想した通りの回答。
パンドラの中身と同等クラスの衝撃だったね。
◇◇◇
数か月前。コキュートス第七樹層。草窟の間。
地下の洞窟に広がるのは、場違いな草原地帯だった。
色とりどりの草木が生え、大小様々な魔物が蔓延っている。
広い天井には紫水晶が形成されており、貴重な光源となっていた。
「――――」
そこに、大木を薙ぎ倒したような音が響いた。
地面には、巨大ワーム的な肌色の生物が横たわる。
近辺には、不規則に穴が開き、戦闘の激しさが伺えた。
「……魔物って、食えるんすかね?」
黒のバニースーツ姿のメリッサは、唐突に尋ねた。
その場で屈みながら、倒された魔物を手でつついている。
「食いたいなら、食ってみればイイ。腹下しても責任取らナイけどね」
会話に応じるのは、赤いチャイナ服を着る蓮妃。
興味なさげなトーンで返答し、付近を警戒している。
「食事は味気ない草ばかり。そろそろ、味変しても良い頃合いかもしれんのぅ」
黒い和服姿の夜助は、ドスを片手に握り、乗り気な様子。
刃を魔物の肌に這わせ、今にも三枚おろしにしそうな勢いだった。
「ふん……。まともなのは我だけか。終わったら声かけるね」
顔を背け、蓮妃はその場を去ろうとする。
ダンジョン攻略という非日常の中の些細な日常。
それぞれがわずかに気を緩ませた瞬間、それは起きた。
「――――」
倒れていたワーム型の魔物が突然、膨張。
腸のような体が、風船のように膨み始めている。
「逃げるね!!! 二人とも!!!」
真っ先に気付いた蓮妃は、声を張り上げて忠告する。
遅れて二人は後退し、ワーム型の魔物から距離を取った。
「――ッッッ!!!!!!」
直後、膨らみ切った魔物は起爆。
一帯を焼き払い、焦土と化している。
燃え広がりはせず、深い穴を作っていた。
「ふぅ……助かったっす、蓮妃」
「不覚じゃった。忠告、感謝するぞ」
「礼はイイよ。それより、アレを見るね……」
爆心地から距離を取った三人は、無傷。
爆発は早くも過去の出来事になり、関心は移る。
蓮妃が指を差した方向に、自ずと視線が集まっていった。
「宝箱っすか……? いや、それにしては、禍々しいっすね……」
「コトリバコのようにも見えるのぅ。それも、人間がすっぽり収まるほどの」
視線の先には、黒い樹木で編まれた箱があった。
立方体の形を成し、一辺三メートルほどのサイズ。
夜助が口にした『コトリバコ』は、都市伝説の一種。
雌の動物の血と、子供の死体の一部を箱の中に詰める。
その箱を渡された者は呪われ、血反吐を吐き、死に至る。
「いや、どちらかというと、パンドラの箱って感じじゃナイか?」
蓮妃はそれらを踏まえた上で、別の用語を出した。
『パンドラの箱』はギリシャ神話に登場する伝説の一つ。
開けてはいけない箱を開けて、中には災いが詰まっていた話。
中身は個人のみならず、世界規模の災いをもたらしたと言われる。
先の都市伝説とは、似て非なるものであり、一線を画する性能を誇る。
――言うなれば、
『コトリバコ』の対象は個人。
『パンドラの箱』の対象は世界。
後者の方が規模が広く、責任も大きい。
同じ伝説でも、相対的に見れば、格が上だった。
「じゃったら余計にタチが悪い。触らぬ神に祟りなしじゃな」
「あー、さすがのうちでも、アレには触れたくないっすね……」
双方共に共通する対策は、箱には触れないこと。
それさえ徹底すれば、記述上は問題ないと言われる。
だからこそ、夜助とメリッサの両名は箱から背を向けた。
「…………」
ただその中で、蓮妃だけが箱を見続ける。
『未知』の魔力に魅了された、冒険者が至る先。
特殊な舞台と、飽くなき探求心が、理性を狂わせる。
もし、万が一。そんな可能性を追い求め、歩みを進ませる。
「気を取り直して、先に進むっすよ。……って、蓮妃?」
足並みが揃わないことに、メリッサは気付く。
何も起きないことを見越して振り返ると、目撃する。
「悪いね、メリッサ。元の時代に帰りたい欲望には勝てなかったよ」
パンドラの箱に触れている、蓮妃の姿。
希望を叶える願望器と夢見て、意思を込める。
リスクを顧みず、リターンを求めて、愚行に走った。
――それに応じ、箱は起動する。
樹木の外殻がボロボロと音を立てて崩れ去る。
封じられていたものが、露わになった瞬間だった。
間近で見ていた蓮妃は、真っ先にその姿の反応を示す。
「…………おんな?」
そこにいたのは、白い拘束衣を着た大人の女性。
長い銀髪、白磁のような肌、尖った耳、豊満な肉体。
衣服により両腕は拘束。両目はぎゅっと閉じられている。
非の打ち所がなく、成熟された絶世の美女。その姿はまるで。
「大人版……リーチェっすか?」
メリッサは、知り得る人間の中から見当をつける。
当たりか、外れか、確かめる術はここには存在しない。
「……願いを認証。悪魔界と人間界の接続規制の緩和。その結果、実現する」
以後、パンドラと呼称される女性は、赤い瞳を輝かせた。
それは順転の邪眼。あらゆる願いを叶えてしまう万能の異能。
範囲は世界規模。伝説通りの性能を誇るが、デメリットもあった。
個人の願いは湾曲されて、世界が代償を支払う形によって叶えられる。
言わば、それは――災厄の権化だった。
「閉じるんじゃ! 方法はなんでいい!! こいつを世に出してはならん!!!」
危険を察した夜助は指揮を執り、パンドラは再び封じられた。
彼女は今もなお、マンハッタンの地下深くで、願いを待ち続けている。