第39話 戦う理由
数日前。東京都。杉並区。千葉家道場。
丹念に磨かれた木製の床が広がる、練習場。
厳粛な空気が漂う中、立ち合っているのは二人。
「憲法改正の焦点は何か分かるかぁ、薊」
黒の袴を着て、木刀を両手に構え、問うのは千葉一鉄。
仕掛けようとする素振りはなく、待ちの姿勢を保っていた。
「……ぎ、議員の三分の二以上の賛成を得ること」
木刀を振るい、質問に答えるのは、短い白髪の女性、千葉薊。
白の袴を着て、弱気な口振りとは異なる、堂々とした太刀筋を見せる。
「甘い! 憲法改正案は、議員の賛同だけでは通らんわ!!」
バチンという痛々しい音と共に、木刀が転がる。
迫る太刀筋に完璧に対応した上で、一鉄は説き伏せた。
元総理大臣と総棟梁。その肩書きの重さが言動に乗っていた。
「…………」
肩をビクンと震わせ、視線を落とし、薊は考える。
足りないもの。その先にあるもの。避けては通れないもの。
「聞かせてみろ、憲法改正には何が必要だ。総理大臣――伊勢神宮」
発破をかけられ、追い込まれる。
間違えれば、たぶん体罰が待っている。
ちゃんとした答えが出てくるまで、叩かれる。
教育として絶対間違ってるけど、いい刺激になった。
「み、帝が納得できる理由を用意すること」
薊は俯いた顔を上げ、最適解を導き出す。
大日本帝国は、厳密に言えば民主主義じゃない。
憲法改正レベルの政策は、国の主の承認が必要だった。
◇◇◇
東京都。千代田区。宮殿内、松の間。
道場よりピカピカに磨かれた板張りの部屋。
そこで行われるのは、内閣総理大臣任命式だった。
本来なら、下院と上院の両議長と前総理大臣が同席する。
――ただ、千葉薊はVtuber名義による議員。
顔バレ厳禁というV特有の事情を配慮して、同席者はなし。
そのため、前代未聞の『帝とのタイマンコラボ』が実現していた。
「――重任ご苦労に思います」
柔らかく、落ち着く声音から渡されたのは一枚の紙。
辞令書を手渡されて、総理大臣として正式に受理される。
ただ、目の前には簾が引かれ、顔を直接見ることはできない。
見えるのは、手入れが整った綺麗な両手と、白い振袖だけだった。
「あ、あの……憲法9条改正について、お伺いしたいことが、ございます」
黒服姿の薊は、緊張した面持ちで意見を申し立てる。
任命式も大事だったけど、本命はどちらかと言えばこっち。
「拝聴いたします」
想像通りの堅苦しい反応に、ドキンと心臓が脈打つ。
粗相できないプレッシャーから、頭がパンクしそうになった。
「と、特定外来種に該当する『鬼』、『悪魔』、『特異体』の例外化を認めてもらう場合、どのような手順が必要でしょうか」
それでも薊は、自身の役目を全うする。
実現できなければ、総理になった意味がない。
「近々、マカオにて、件の特定外来種が集まる賭場『冥戯黙示録』が実施されます。危険とは存じますが、それぞれの生態と脅威と思われる一面を、この眼鏡で見定めてきてくださいませ。その如何によって、判断を下します」
そこで手渡されたのは、赤い眼鏡だった。
恐らく、映像を保存するカメラが内蔵されたもの。
やるべきことの解像度と、現実味がぐっと増すのを感じる。
「…………つ、謹んで、承ります」
慣れない敬語を使い、眼鏡を受け取って、新たな旅路が始まった。
◇◇◇
道路には、メリッサの首が転がっている。
相手はかつての仲間であり、『特異体』の代表格。
次第に首が体に引き寄せられ、骨と血管が繋がっていく。
「…………」
その一部始終を薊は、赤い眼鏡を通して見ていた。
それは、『特異体』の生態と脅威の確認を意味していた。