第25話 一枚分の溝
ザ・ベネチアンマカオ地下63階。搬入路。
エレベーターも階段もない、吹き抜けの大穴。
脱出権十枚を二つ購入。所持チップの移動はなし。
人命を優先して、取り急ぎ、たどり着いた場所だった。
「……ここで待ってりゃあ、いいんだよね」
アミを両腕に抱え、マルタは心情を述べた。
声は反響して、深いところまで木霊していた。
構造から考えて、地上と地下を繋いでいるはず。
背後には一枚の扉。恐らく、各階ごとに存在する。
搬入路と扉上部に書かれているが、運搬方法は不明。
脱出権の説明だと、悪魔が上まで運んでくれるらしい。
「――――遅いとは言わせぬぞ」
すると、眼前の空間には黒い煙幕のようなものが見えた。
そこから現れたのは、袈裟を着た坊主。第三区画の担当悪魔。
今ので、おおよそ理解した。こいつらの基本スペックは相当高い。
登場時の様子から考えて、最上位級の悪魔には全員備わっている能力。
「今来たとこだよ。さっさと運んでくれるかい、光坊」
一定距離のワープが可能。物体や人間も自由自在に運べるはず。
搬入用のエレベーターを作る必要がなく、単身で事足りるってわけさ。
「委細承知。この天海が責任をもって、地上まで運ばせて頂く」
天海は、へりくだった態度で身体に触れてくる。
昔話に興じる暇もなく、周囲は黒い煙幕に包まれる。
気付けば、1階と書かれた、搬入路にたどり着いていた。
「どうも。……ちなみに、脱落者のカードとチップはどうなるんだい?」
移動の能力に関しては、ほぼ確定だった。
それよりも気になるのは、宵越しのチップだ。
詳しい数は覚えちゃいないが、数百枚は残ってる。
アミが持っていたチップも加えたなら、千枚は超える。
「『冥戯黙示録』が終わっても、有効。とだけ言っておこうか」
そう返事をした天海は、不敵な笑みを浮かべていた。
◇◇◇
ザ・ベネチアンマカオ地下63階。特急権用エレベーター内。
第三区画の特急権は五百枚。賞品の一部で購入し、残りは折半。
メリッサ=八十九枚→二百五十六枚。
ジェノ=八百八十九枚→千五十五枚。
蓮妃=百十八枚→二百八十五枚。
分配は円満に終了しながらも、場の空気は悪かった。
「……なんで、全額賭けなかったんすか?」
メリッサは沈黙を破り、理由を尋ねる。
保身を考えず、全額賭けてくれると信じていた。
それが全幅の信頼に繋がり、裏切らない証明にもなった。
だけど、蓋を開けばチップ一枚残し。期待外れもいいとこだった。
「それは……万が一の可能性を考慮しただけだよ」
俯くことなく、ジェノは真っすぐ質問に答える。
言ってる意味は分かる。むしろ、正当な理由だった。
失敗すれば、死ぬ。そんなリスクを負う必要なんかない。
悪魔チンチロの時のように万が一に備えた。それだけのこと。
――ただ、ゲーム理論の件が引っかかる。
信じたいのは山々だけど、裏切る可能性もある。
それが今回の一枚残しで、現実味を帯びてしまった。
「ジェノさんは裏切らないっすよね……」
ポロッと口に出るのは、嘘偽りのない本心。
いちいち確認する必要のない、無粋な問いでもあった。
適性試験で関係は構築済み。彼には、何度も命を助けられてきた。
――全ては恩を売って裏切るため。
そう思うと、グッと胸が苦しくなってくる。
この不安な気持ちを、ぶつけずにはいられなかった。
「……分からない。話したでしょ、俺の身体のこと。あの頃とは同じじゃないんだ」
返ってきたのは、突き放すような冷たい回答。
時間が経てば、人間は成長するし、心も変化する。
外見は同じままでも、中身は同じままじゃいられない。
頭で分かってはいても、決して理解したくない事柄だった。
「先に言っておくけど、少しでも予兆があれば、こっちが損切りするよ。イイね?」
不穏な空気は、更なる不穏を呼び込んだ。
関係は継続されつつも、確かなヒビが入っていた。
「うん。そうしてもらえると俺も助かる。自分は客観視できないからね」
ジェノは前向きに答え、エレベーター内には再び沈黙が支配した。