第149話 乾坤一擲
去年の12月25日。母は行方不明になった。
生贄に捧げられたのか、今も生きているのか。
神の腸をえぐり出したところで、証明はできない。
シェンを問い質したところで、母に繋がる保証はない。
――それでも。
「寿契献命――【二年了】」
蓮麗は限りある命を捧げて、戦闘衣装に身を包む。
それは、袖長のキョンシーのような服装ではなかった。
透き通るような紅色の羽衣を纏い、黒色の着物に袖を通す。
まさに、天女のような出で立ち。悪魔や魔神とは相反する存在。
――またの名を。
「ほぅ、飛天か。どちらかと言えば、天界寄りの逸品と見える」
古風な言い回しで、シェンは考察する。
恐らく、他の人よりも元ネタの解像度は高い。
能力を考察される可能性が高く、一見不利に思える。
ただ、これからすることを考えれば、気にする必要はない。
「限定代償【飛行】。対象【神李】」
肩の羽衣を引き裂き、蓮麗は呪文を唱える。
中国出身の相手に対しての場合、筒抜けの詠唱。
「地上戦をお望みか。限られた空間では痛くも痒くもないな」
シェンは能力を察し、膨大な紫光を全身に纏い、構える。
挑戦者ではなく、王者の受け答え。明らかに見下されている。
確かに、空中と言える広さはない。天井までは約三メートルほど。
周囲一帯は、金網に覆われており、戦う範囲はかなり制限されている。
(軽んじるのは勝手だが、その足枷は思ったよりも重いゾ)
見くびった相手に対し、蓮麗は跳躍し、迫る。
用いる武器はなく、最後に頼るのは己の肉体のみだった。
「そりゃあ、悪手だろうが。――三脚猫」
目つきを鋭くさせ、シェンは迎撃する態勢に入る。
覚えるのあるスラングを聞き流していると、距離は密着。
互いにとって、最も得意とする間合い。制空圏に突入していた。
「「――――」」
同時に繰り出されたのは、高速の平手だった。
手足が届く制空圏内の攻撃を、自動的に弾く技術。
――流転掌。
詠春拳や七星螳螂拳ではなく、ベースは少林寺拳法にある。
それぞれの必修科目であり、中国拳法に身を置けば、必ず通る道。
手と手が直接触れ合うことはないものの、打ち出す角度が幾度も変わる。
――それは、高度な睨み合いだった。
同時に展開された場合は、甘い部分が叩かれる。
例え、同じ技術が扱えようとも、露骨に腕の差が出る。
呼吸、体軸のズレ、間合い管理、平手を打ち出すタイミング。
今は拮抗していようとも、体力は無限じゃない。必ず綻びが生じる。
「……っっ」
その瞬間は早くも訪れようとしていた。
蓮麗は呼吸を乱し、反応が致命的に遅れる。
体術はシェンが格上。衣装を纏っても覆らない。
一朝一夕では埋まらない技術の壁が押し寄せていた。
「――つまらんな」
シェンは見下げ果てたような目線を送り、掌打。
顎の下を見事に打ち上げられて、身体は浮き上がる。
「これで詰みだ」
すかさず、シェンが放とうとしているのは飛び蹴り。
センスを右足に集めており、食らえばひとたまりもない。
避けようにも掌打の影響で、身体が思うように動かなかった。
「…………」
鬼気迫る状況の中、蓮麗はセンスを展開し、衝撃に備える。
集中するのは両腕。動けるようになった瞬間、眼前に突き出す。
脳内でイメージを固め、防御じゃなく攻撃として意識を割いていく。
――ここから先は、コンマ数秒以下の世界。
互いにセンスを纏っている以上、刹光勝負にはならない。
単純な初速が問われる打ち合い。反射神経がモノを言う状態。
いきなりトップギアに入れ込むには、前準備が必要不可欠だった。
「…………っ」
そして、その時は訪れた。表情を曇らせるのは、シェン。
飛び蹴りを放とうとするも、身体は宙に浮かんでいなかった。
――飛行禁止。
跳躍も飛行に含まれ、ペナルティが発生する。
一定時間の行動不能。それを蓮麗だけが知っていた。
結果、シェンの身体は硬直し、致命的な隙を作り出している。
――そこに叩き込む技は決まっている。
選んだのは、詠春拳ではなく、八極拳に近い技。
魔神から間接的に指導された、至近距離専用の短打。
短文詠唱をすることで、とある属性が付与される必殺技。
「発勁山破!!!!」
蓮麗は両手を突き出し、渾身の掌底を繰り出した。
眼下には、罰則を食らい、身動きの取れない少年の姿。
それも、センスを消し去って、生身で受けようとしている。
(この、老いショタが……。やることが陰湿なんだヨ……)
何も考えずに、愚かな行動はしないタイプの相手。
必ず何かしらの意図があり、それに苦しめられていた。
今回は、飛行禁止が跳躍も含まれると読み、わざと乗った。
行き着くペナルティも読み切って、隙の多い大技を誘ってきた。
狙いは、意思を絶つことで得られる恩恵の一つ。攻防の最終到達点。
防御が間に合わないリスクと引き換えに、劣勢を覆す可能性を秘めた技。
「――――刹光」
さも当然のように迸るのは、激しく明滅する紫光だった。
シェンほどの使い手なら、失敗する可能性の方が限りなく低い。
博打のように見えて、期待値に全振りしただけの、面白みのない賭け。
「…………っ」
蓮麗が放つ掌底は、シェンの胸に触れた時点で停止。
ダメージは皆無で、勢いは完全に殺されてしまっている。
見るからに失策。寿命を賭けた博打は、終わりを迎えている。
この後に待ち受ける言葉は、残念ながら簡単に予想がついていた。
「読めぬと思ったか?」
「受けてくれると思ってたヨ」
シェンの煽りに対し、蓮麗は即答する。
こちらが語った言葉には、なんの効力もない。
技にも結果にも全く影響しない、ただの憂さ晴らし。
「安い台詞よの。負け惜しみのつもりなら、もう少し工夫を……っっ」
真面目に受け答えようとする、シェンの顔色が変わる。
青冷め、血の気が引き、髪色は、白と黒を行き来している。
次第に身体は老いていき、シワとほうれい線が増え、背は縮む。
――遅れて、やってきたのは。
「……うぐッッッ!!!!」
吐血。致命的とは言わないまでも、再起不能レベルのもの。
耐え切れなくなったのか、膝をつき、立つのも困難になっていた。
「今のは門外不出の技。知らなくて当然ネ」
シェンのことなら、どうせ当たりはついている。
あえてネタばらしをせずに、その先の疑問を答えた。
それ以上は無理に語る必要もないだろうし、無粋極まる。
死屍に鞭打つのと同じで、見れば分かることを口にはしない。
「……どうりで」
淡々と結果を受け止め、シェンは視線を落としていた。
髪色は黒に戻っており、神々しい雰囲気は消え去っている。
「まだやるカ? 次も加減できる保証はないヨ」
今、必要なのは、戦意の確認だった。
やる気が残っているなら、止められはしない。
老体をいたぶるのは嫌だが、母のためなら進んでやる。
「………………………………参った。降参する。吾の負けだ」
覚悟を決めたところで、シェンは敗北を宣言した。
すると、虚空から急にゴングが現れ、音をかき鳴らす。
デスマッチの終了を意味し、人類が神に勝った瞬間だった。




