第145話 必殺
「【詠春崩し】」
「【螳螂流し】」
時間が巻き戻されるように始まるのは、互いのカウンター。
厳密に言えば、シェンが先攻、こちらが後攻に徹した打ち合い。
七星螳螂拳は相手を動かせて潰すのが売りで、詠春拳は手数が売り。
――勝敗を握るのは、技の初動。
シェンの狙いは、詠春拳の根幹である両腕を潰すこと。
圧倒的な手数を繰り出される前に、止める技なのは分かってる。
(秘密をどう扱うにしても、ここを越えないと意味がないネ……っ!!!)
すぐそこに迫るのは、鎌の如く放たれる両手。
螳螂手と呼ばれる動作に対し、蓮麗は八斬刀を振るう。
鎌対刀。武術という作法をなぞらえて、異なる意思は衝突する。
「「――――っ!!!!」」
意図的に増幅されたセンス。系統を無視した異常な量。
互いの間に壁を形成し、侵攻を食い止めんと眩い光が迸る。
――肉体+センス。
純粋な力比べは、この図式で成り立つ。
具体的に言うなら、筋肉量と顕在センス量。
目に見えて分かる部分が、技の強度に直結する。
相手の見た目は少年。筋肉の量に大差は見られない。
問題は顕在センス量。体表面に纏える光の限界値の勝負。
「――――」
真紅の光がバリバリと音を立て、紫光の侵入を許す。
シェンの攻防力が上回った形。顕在センス量は相手が上。
徳を積めばセンスが増える。その発言が真実だと示された証。
――こうなることは、初めから分かっていた。
「…………っっ」
両腕に迫る螳螂手に、蓮麗が用いたのは八斬刀の鍔。
柄を覆うような、丸まった形状。それを有効に活用する。
鍔に当て、滑らせ、受け流し、凌ぎ切る。それが、螳螂流し。
中国拳法界隈の争い。闇討ち。そこから生まれたメタ対策だった。
「「―――」」
詠春拳と七星螳螂拳。互いの得手不得手を理解した、接敵。
肉体と武術とセンスを介して、技の打ち合いは終わりを迎える。
――両者、無傷。
蓮麗は、顕在センス量で敵わない格上相手に、技量で凌ぐ。
シェンは、投擲された四本の八斬刀を避け、接近戦に持ち込む。
慈善試合なら、互いの健闘をたたえ合い、手を握り合って、終わる。
――しかし、そんな生ぬるい結末は許されない。
「背後には気を付けた方がいいヨ」
束の間の休息に、蓮麗は声をかける。
視線の先には、投擲した八斬刀がUターン。
四つの刃が、シェンの背面を襲おうとしていた。
信じようが、信じまいが構わない。目的は別にある。
――反応を遅らせること。
思考が生じれば、その分、動きが鈍る。
そこに、正面と背面の同時攻撃を叩き込む。
圧倒的センス量だろうと、配分は一定じゃない。
別の箇所を、同時に凌ぎ切るのは困難だと判断した。
打ち合う限り、絶望的な差もなく、十分通用するレベル。
――秘密は保険。
これが通用しなかった場合の策。
あくまで本命は、次の斬撃にかかっている。
「その言葉、そっくりそのまま返すぞ小娘」
すると、シェンは澄ました表情で会話に応じた。
貴重な時間をあえて消費し、面倒な読み合いに持ち込む。
(その手には乗らないヨ。何を言われても、我は――)
敵の戯言を右から左に聞き流し、柄を握り込む。
そして、ありったけのセンスを八斬刀の両刃に乗せる。
「――雙鶴齊鳴」
放たれるのは、逃げ場のない六連の斬撃。
正面と背後から、同時にシェンへと襲いかかる。
相手のセンスは一定で、変化の兆候は見られなかった。
(これで――)
神の化身に、王手をかけた感覚。
このまま刃を振るえば、恐らく手に届く。
――神への命令権。
場合によっては、悪魔の使役権よりも価値がある。
それが目前にあると考えれば、多少の緊張感があった。
両手には汗が滲んで、体内からアドレナリンが分泌される。
(本当にコレでいいのか……?)
心拍数と血圧の上昇による、時間的矛盾。
超感覚に支配される中、蓮麗は頭を回していた。
思考の中心は、今しがたシェンが口走った発言にある。
(もし、ヤツが言ったことが本当だったら……)
深読みさせるためのブラフなら、まんまと策にハマっている。
ただ、熟考する価値のあるワード。事実なら状況がひっくり返る。
問題は、現実的に可能なのか。鵜呑みにするほどの期待値があるのか。
それらを条件に加えた上で、勘ぐる、考察する、現状の最適解を導き出す。
「――――――あぁぁぁぁあああああああああっっ!!!!」
圧縮された時間の中で、蓮麗が選んだのは、絶叫。
闇雲に刃を振るい、自分の感覚を信用してやらなかった。
狂ったようにも見える所業の狭間、聞こえてきたのは甲高い音。
――刃と刃のかち合い。
この時点で予想が当たったことを確信する。
恐らく、精神防御の解除時に玉鏡星が機能した。
認識阻害を受け、視覚と方向感覚を入れ替えられた。
――つまり、襲い来るのは己の攻撃。
状況を理解しながら、角度を調整し、当たりをつける。
自分の技だと分かっていれば、凌ぎ切ることは難しくない。
「――――ッッ!!!!」
無規則から、規則性を持たせた斬撃に切り替え、順応。
ガキンと音を立て、二投目の投擲物を斬り払った感触があった。
(最悪の事態は避けられた。ただ、問題は――)
外に向けていたセンスを内に向け、精神防御を高める。
玉鏡星が効いたのは、センスの見積もりが甘かったせい。
強めの上書きをしておけば、こんなことにはならなかった。
「防御が手薄いな。それで凌げるのか? 吾の攻撃を」
視界と方向感覚が戻ると、振るわれたのは右拳だった。
言葉と能力とセンス配分の偏り。全てが噛み合った一撃。
「――がっっっ!!!!!」
成す術ないまま、拳は懐に吸い込まれ、センスを突き破る。
気絶するかしないか。見事に加減された正拳が、鳩尾に届いた。
過剰分泌中のアドレナリンで痛みを感じないまま、視界が明滅する。
「何か言う事があるのではないか?」
そこで聞こえたのは、勝ち誇るシェンの声だった。
手には、一撃必殺の効果を持つ懐中電灯を持っている。
拒否すれば、最後。この身体は悪魔界送りになるのは確実。
下手に意地を張れば、シェンは手を汚す。何の躊躇もなく殺す。
一方、降参を認めれば、手を止める。命令権と引き換えに、助かる。
――生きるか、死ぬか。
両方を天秤にかけた上で、思考する。
何を選ぶのが正しくて、何が間違っているか。
マイクに教えられた、人間性と道徳心が問われる場面。
――その上で選んだ、答えは。
「我は知っている。漆黒の鎧に身を包み、屋敷を襲撃した事件の全貌を!」