第142話 センスの相性
ぐらりと足がふらつき、視界が揺れる。
武術の命である、体軸のバランスが崩れていく。
(いつから、敵の術中にハマっていた……?)
食らった能力の内容は、大体把握している。
それより気になったのは、なぜ忘れていたのか。
どうして、近接戦に持ち込もうとしてしまったのか。
目先の障害より、シェンの話術が厄介だと判断していた。
(あの、時カ……?)
蓮麗は今までのやり取りの中から、候補を一つに絞る。
思い当たるのは、最も行動に影響が出やすい、直近の言葉。
『六点半棍。あくまで不殺が目的と見える。吾は八斬刀の方が好みなのだがな』
戦いの最中、シェンが発した一言が脳裏によぎる。
当時は、ただの感想だと思っていたが、そうじゃない。
――高度な心理戦。
『刀』を使う選択肢を、脳内に刷り込まされた。
『棍』は有効打にならないと、勝手に思い込まされた。
全ては、接触発動型の能力。【玉鏡星】の条件を満たすため。
(思考を誘導された……。おどけも作戦のうちカ……)
起きた現象に、ひとまず納得のいく答えが用意できた。
この後の展開は想像がついている。次に叩き込まれるのは、本命。
「――慈愛的拳」
拳+センス+詠唱のバフ+帝国語以外の言語の使用。
統一された言語により、それぞれの地方言語は呪文と化した。
中国語も例外ではなく、強い意思を乗せることができれば、言霊が宿る。
――その効果は様々。
威力の向上。属性の変化。特殊効果の付与など。
元々の性質をたたき台にして、能力の底上げを行う。
メリットばかりに思えるが、デメリットも存在していた。
(追加効果がなんだろうが、タイミングさえ読めれば、恐るるに足りないヨ!)
発動することを敵に察知されるのが、唯一の欠点。
どのような技だろうと、対処できる余裕と時間が生まれる。
「――――ッッッ」
左右上下の認識が歪みながら、蓮麗は後方に跳躍した。
拳を躱し、乱れのない宙返りをした後に、地面へと着地する。
【玉鏡星】の認識阻害。それを一切感じさせず、回避に成功していた。
「見事……。感覚系なのも相まって、精神防御は相当なレベルだと伺える」
避けられた理由を、シェンは一発で見抜き、口にしている。
意思の力は三つの系統に分類されるが、それぞれ得意不得意がある。
・肉体系 身体強化◎ 心理掌握△ 創造可変○
・芸術系 身体強化△ 心理掌握○ 創造可変◎
・感覚系 身体強化○ 心理掌握◎ 創造可変△
才能や習熟度や条件次第で変動するが、基本はこの図式。
感覚系の場合、100%の精度を発揮できるのは心理掌握になる。
言葉通りなら敵を操ることを意味するが、特権はそれだけじゃない。
――敵に操作能力を使われた場合、最大の効果を発揮する。
それは、シェンが言った『精神防御』という言葉に集約される。
【玉鏡星】は紛れもなく、心理掌握系の能力。精神に大きく作用する。
感覚系との相性は抜群。よっぽどの実力差がない限り、防御は可能だった。
「ご名答。悪知恵を働かせた割には、残念な結果だったネ」
蓮麗は屈伸運動をして、身体の感触を確かめながら言った。
勝負は振り出しに戻ったが、【玉鏡星】を防げたのは、大きな収穫。
問題は『刀』のまま戦うか、『棍』に戻るか、原点回帰で『拳』にするか。
(警戒に値するのは、慈愛的拳だけ。アレさえ食らわなければ、勝てる)
争点の鍵を握っているのは、敵の切り札の存在。
食らえばセンスを分け与えられ、シェンは徳を積む。
その行為により、相手は分け与えた以上のセンスを得る。
殴り合うほど互いのセンスは高まり合うが、差は埋まらない。
体術戦で勝てる可能性はなくなり、いずれ降参する結末を迎える。
(諸々の事情を踏まえた上で、最も適性がある戦闘手段は――)
蓮麗は明確な目的を元に、必要な手段を考える。
三つの戦い方を自由に選べる、詠春拳ならではの悩み。
それぞれ一長一短があり、状況に合う選択が出来てこそ一流。
『慈愛的拳を食らわない』を条件にするなら、答えは自ずと絞られた。
「今のが限界なら、次で詰ませてやるヨ……」
蓮麗は黒革の柄を握り、短い刃先にセンスを込める。
『拳』は敵と相打ちした時点で、能力が発動するから論外。
『棍』はリーチが長い恩恵と引き換えに、空振りの隙が大きい。
『刀』はリーチが短い代わりに、取り回しが良く、攻防がスムーズ。
――よって、『刀』。
刃と鍔で接触すれば、慈愛的拳は発動しない。
身体に直接叩き込んだ時のみ、効果があるタイプ。
もし、発動するならば、一つ前の攻防で使われている。
だからこそ、今の条件では、『刀』が最も的確だと判断した。
「滑稽だな。目先の出来事に囚われ、物事の本質が見えておらん」
するとシェンは、意味深な台詞を語る。
恐らく、深読みさせ、判断を鈍らせる作戦。
「その手には乗らないヨ。我の優位は一ミリも揺るがな――」
毅然とした態度で、蓮麗は応対しようとする。
しかし、違和感に気付き、続く言葉に詰まってしまう。
答えは単純明快。必要以上に溢れ出す、力の源に存在していた。
「詠唱の追加効果は、透明弾。拳を撃った時点で能力は発動しておる」
隠す必要のないシェンは、惜しみなく種を明かす。
振り出しに戻ったどころの騒ぎじゃない。むしろ、悪化。
詰まそうと思ったら、詰んでいた。シンプルで最悪の展開だった。