第138話 限界
鋼絲牢翳による金網が巡らされた舞台。
立ちはだかるのは、少年になったシェン・リー。
その中身は、最高位の神。玉皇上帝と呼ばれる神の化身。
分からないことは山積みだけど、やるべきことだけは決まってる。
「まずは小手調べっす!」
両手から左右交互に放たれるのは、紫炎弾。
纏い、飛ばす。メリッサが行うのは、基本動作。
火を扱う能力者が、必ず通ると言ってもいい登竜門。
工夫を凝らしたいところだけど、それはもっと先のこと。
――楽して勝てるなら、それに越したことはない。
相手が神の化身だろうと、魔神だろうと考え方は同じ。
通用する手段は何度もこするし、通用しなければ、変える。
自分を曲げられたから、ここまで来れた。この戦いでもきっと。
「――――――」
気付けばシェンに紫炎弾が直撃し、火の手に包まれる。
正直、勝てるとは思ってない。どこまで通用するかが焦点。
(少しでも効いてくれれば、希望はあるんすけど……)
周囲を最大限警戒しつつ、メリッサは紫炎を見つめる。
ロウソクに灯った火のように、先端が怪しく揺らめいている。
「芸もなければ、品もない。宝の持ち腐れと見える」
容易く紫炎を払い、現れたのは無傷のシェンだった。
体表面には、薄っすら紫色のセンスを纏っているのが見えた。
(効果なし。予想し得る中で、最悪の展開っすね。ただ……)
得られた情報がないわけじゃなく、必死で頭を回す。
戦略面においては、調子のいい自分に勝てる気がしない。
だけど戦術面は、思考がシンプルな分、今の方が動きやすい。
この土壇場で、一長一短の個性に気付かされながら、行動に出る。
「これなら、どうっすか!!!」
次にメリッサが繰り出したのは、五本の黒糸。
左手で右手首を掴み、右腕を縦に振るう裁断の一撃。
一鉄の強固なセンスを破った、現状における最高威力の技。
二つの異能とセンスをかけ合わせた、努力と成長の結晶体だった。
「…………」
対するシェンは、右手を手刀の形にして、センスを集中。
迫る黒糸に対し、斬撃と見紛うような鋭い打撃を繰り出した。
普通だったら、手刀の接触面が切断される。ある意味で自殺行為。
――しかし。
「………………仕舞いか?」
シェンは易々と黒糸を引き裂き、人の努力を踏みにじる。
手刀を放った、手のひらの側面には、傷一つさえついてない。
「まだまだぁ!!!」
落ち込むよりも先に、メリッサは前へと突き進む。
身体からはセンスを消し去って、入り込むのは敵の懐。
「…………」
シェンは傍観し、ただ放たれる右拳を見つめていた。
罠か余裕か能力を発動するためか。そんなのは一切考えない。
ここで得たものは、全部叩き込む。出し惜しんで勝てる相手じゃない。
「――刹光ッッッ!!!!!」
声が枯れんばかりの勢いで放つのは、センスの集大成。
打撃衝突時にセンスを起こし、誤差が少ないほど威力が増す技。
――それが、刹光。
拳の振り抜きも、タイミングも完璧だった。
猶予0Fの世界。スロットで言うところのビタ押し。
自身が持つ120%以上のパフォーマンスを引き出せた正拳。
これが効かないなら、体術は今後通用しないと断言できる手応え。
「………………」
シェンはそれを難なく、受け止める。
用いた指は、たった一本。左手の人差し指。
接触面にセンスを全集中。刹光すら扱っていない。
(何を食ったら、ここまで……)
ある程度の覚悟はしていたものの、戦慄を覚えてしまう。
身体は小刻みに震え、歯向かう意思が折られようとしていた。
「蚊が止まったような拳でも、一発は一発。覚悟はよいな?」
それを見越してか、シェンは握り拳を作り、問いかける。
感じるのは、色濃い死の気配。能力不明な上に、体術も未知数。
(死――)
行き着く最悪の連想と同時に、シェンの拳は振るわれる。
ここから避ける術はなく、まともに受けることさえも怪しい。
「…………ッッッッ」
メリッサは歯を食いしばり、防御の山を張る。
相手の見様見真似で、腹部に全センスを集中させた。
(あ、れ……?)
しかし、覚悟していた痛みは襲ってこない。
拳は腹部で止まり、衝撃は一切生じなかった。
それどころか、別の副次的効果が発生している。
(センスが溢れて、くるっす……)
奇妙な感覚を覚え、メリッサは反射的に距離を取る。
おおよそ四歩分の距離。それほど警戒に値するものだった。
金網のコーナーに背を向けつつ、その正体を頭の中で探っていく。
「慈愛的拳。吾のセンスの一部を分け与えてやった」
シェンは隠すことなく、手品の種を明かしていく。
恐らく、七星螳螂拳ではなく、玉皇上帝のオリジナル。
神という肩書きから考えるなら、納得できる能力ではある。
――ただ。
「舐めプっすか? そんなことしたら差が縮まるだけっすよ」
敵に力を貸す意味が分からない。
何か裏があるようにしか思えなかった。
「徳を積むほど、吾のセンスは増す。分け与えるごとに差は更に広がる」
すると、シェンの口から語られたのは、能力の本質。
殴り合っているはずなのに、決して埋まることはない壁。
仮に事実だとすれば、センスはインフレし、互いに高め合う。
時間が許す限り、尽きることないエネルギーを生む発電機と化す。
おおよその仕組みは理解できたものの、分からないことも当然あった。
「解せないっすね。普通にやってりゃあ、勝てたものを」
能力を使わず、体術勝負を繰り返せば、たぶん勝負はついていた。
手札を全て切り、通用しない状態が続いていれば、諦めたかもしれない。
「勘違いしておるようだが、これは心を折る戦い。痛みに耐性のある化け物を痛めつけたところで、簡単には折れまい。だからこそ、慈愛を与えてやった。殴り合うごとにセンスは増大し、牙は抜けていき、次第には吾に感謝を覚えるだろう。敵愾心を保てるのは、悪だ卑劣だと断じる感情が火種であるからな」
物事の本質を見抜くような、含蓄ある言葉をシェンは並べる。
ここまで何も包み隠さず、思惑を明かされるとは思いもしなかった。
(こいつ……。今まで戦った誰よりも、やりづらいっすね……)
あらゆる知識、経験を通しても、遭遇したことない人種。
だからこそ、『神』なのかもしれないけど、面倒この上ない。
間違いなく今までの常識は通用せず、攻略は困難を極めていた。
「――参ったっす。今のうちじゃ勝てそうにないっすね」
そこでメリッサが選んだのは、降参。
デスマッチを締めくくるであろう締めの言葉。
「…………気でも狂ったか?」
さすがの神でも、これは予想できなかったらしい。
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、驚嘆を露わにしていた。
「これでも正気っすよ。うちの代打に心当たりがあったっすからね」
影の探知。今もそれは有効であり、事細かに把握できる。
死亡、気絶、生存の判別はつき、リアルタイムで更新される。
「そんな人間どこに――」
困惑の色を浮かべるシェンは、辺りを見回す。
でも、そこからじゃあ見えない。影になっている。
位置はちょうど真後ろ。視覚的には絶対見えない場所。
――そこに立っていたのは。
「出番っすよ! 魔神の契約者、蓮麗!!!」
金網を形成する鋼絲牢翳を操り、ゲートを作る。
退場も入場もできるそれは、スムーズに機能を果たした。
「活躍の機会……与えてくれて感謝するヨ」
瞳に確かな熱を宿した蓮麗は、拳を前に突き出した。
すぐに意図を察し、グータッチを交わし、舞台から背を向ける。
「後は任せたっすよ。世代交代も、ある種、『主人公』の役目っすからね」
メリッサは去り際に心情を伝え、シェンとの戦いは、蓮麗に託された。