第132話 潜めし者
傷ついた身体から、煙が上がる。
傷口が塞がり、全身に血液が循環する。
体調は万全。戦う前よりも好調とさえ思える。
だけど、元に戻らないものが一つだけ存在していた。
「へぇ……そういう仕様なんすね」
視界の左半分には、薄いモヤがかかっている。
動いている感触はあるものの、機能を果たしていない。
「再生阻害中に受けた傷は再生しない。怨むなら私を怨め」
杖刀の鞘を支えに、立ち上がる一鉄は言った。
両腕と右足に火傷を負いつつ、命に別状はない様子。
業火を受け、あの程度で済んだのは、流石としか言えない。
「怨まないっすよ。これも因果応報ってやつっす。それより……」
頭の片隅には、左目を封じた緋色髪の女性が浮かぶ。
巡り巡った因果を受け止め、残った右目で辺りを見渡した。
・停止→マクシス。
・生存→メリッサ、一鉄。
・死亡→閻衆、アサド。
・気絶→ヘケト、ルーカス、蓮麗、マイク、ベクター。
・失踪→ジェノ、広島、バグジー、アザミ。
ざっと頭の中で事実を並べ、状況を整理する。
見聞きした大半は揃ったものの、不揃いなピースがある。
「あと一人、役者の出番が足りない。そうだな?」
諸々の事情を知っているのか、横に並ぶ一鉄は問いかける。
向いている方向は、黒牢翳で囲われている地下トンネルの水路。
その先は行き止まり。格子状の柵が付いた配管だけが存在している。
天井に灯る電球の光が届かない領域。色濃い影に包まれているスポット。
「ご名答っす。そろそろ出てきたらどうっすか。……性悪じじい」
全てを見ていたメリッサは、確信をもって告げる。
いるのは確実で、敵になるか味方になるかは、相手次第。
反応を待っていると、パッと丸い光が水路側から照りつけてきた。
「やれやれ、ようやっと出番か。待ちくたびれたわい」
呆れるような声音が響くと、水しぶきが上がる。
気付けば、すぐ目の前から丸い光が照り付けている。
懐中電灯と思わしき光が消え、その姿が明らかになった。
黒い辮髪、黒いチャイナ服、痩せ型で、低身長の老いた男性。
首の骨を鳴らし、屈伸運動をして、鋭い目線を向け、口を開いた。
「……旗を無条件で渡し、投了するなら見逃してもいいが、どうする若人」
身を潜めていたシェンは、堂々と交渉を持ちかける。
アサドが始めたデスマッチは、まだ終わっていなかった。
気絶、死亡、停止、失踪は除外されたとしても、生存者は別。
降参の前後で変化がないし、勝負が続いているのは明らかだった。
(冥戯黙示録とデスマッチ。両方を盗りにきてるっすね。漁夫の利ってやつっすか)
シェンの目に見えた思惑を察し、頭を巡らせる。
交渉を持ちかけられた時点で、取れる選択肢は限られる。
――応じるか、応じないか。
要求を呑むなら、揉めずに話は終わり。
要求を否定するなら、争いごとに発展する。
「私は敗北を認めた身だ。この場の判断は、勝者のメリッサに一任する」
アレコレ考えていると、一鉄は話を転がした。
理屈は通っているものの、丸投げと言ってもいい。
助言を求めるのも手だけど、それだと恰好がつかない。
「うちは……」
大して頭も回さずに、口を動かした。
悪魔化した自分が立てた作戦は崩れている。
アサドが仲間に入らなかった時点で、外れている。
だとすれば、どうするべきか。何を選ぶのが正しいのか。
己の欲求に従って、捻り出された答えは、頭の悪いものだった。
「うちはあんたと戦いたいっす、シェン・リー。タイマンで白黒つけないっすか?」
問われた相手は、懐中電灯を地面の隅っ子に置き、スイッチを入れる。
意味もなく真上を照らし、ライトオブジェクトのような役割を果たした。
他に収集品を持っている気配はなく、肉体とセンスのみが武器となる舞台。
「よかろう。……三手で詰ませてやろうぞ」
こうして成り立つのは、シェンとのエクストラゲーム。
残された役者はおらず、真の勝者を決める戦いが始まった。