第130話 切り札
「……」
杖刀の血を払い、一鉄は敵を見つめる。
短い紫髪に、黒いバニースーツを着た女性。
その正体は、五つの異能を体内に宿した特異体。
悪魔、化け物、魑魅魍魎と同じカテゴライズの存在。
左目はえぐられ、左の上腕からは絶えず血が流れている。
再生阻害を受け、失血死まで二分を切り、視野が欠けた状態。
普通なら諦める。降参して、生に縋りつく。無様に命乞いをする。
――だが、残った瞳は死んでいない。
向こう見ずと言うべきか、大胆不敵と見るべきか。
どちらにせよ、負けるとは微塵も思っていないのは確か。
(手負いの獣ほど恐ろしいものはない。舐めてかかれば、食われるのはこちら)
一鉄は、数ある経験から直感的に悟る。
殺さずに勝つことが、今までの目的だった。
ただ半端に手を抜けば、命の危険すらあり得る。
そうなれば、本末転倒。初代の背中は超えられない。
(――狩るか)
行き着く先の結論は、現実的な選択肢。
滅葬志士としての本領を発揮する時だった。
◇◇◇
「――」
一鉄が纏っている気配が変わる。
向けられたのは、数段増しの鋭い眼光。
表情、仕草、センス、出で立ち。全てが別格。
一言も語らずして、手に取るように心情が伝わった。
(こっからが本気ってわけっすか……)
嫌な雰囲気を肌で感じつつ、メリッサは察する。
『勝つか負けるか』じゃなくて、『殺すか殺されるか』。
甘えた行動を取ろうもんなら、一発でこの世から退場する。
(いよいよ、腹をくくらないと駄目っぽいっすね。問題は……)
逃げ道は存在しない上、失血死という時間制限がある。
敵は殺意剥き出しで、能動的に選べる選択肢は限られている。
(――全力で戦うか、加減して戦うか)
選択次第では、生死に直結するような二択。
成長を信じないなら前者、成長を信じるなら後者。
両立するのは難しく、今までの自分を貫くなら後者一択。
リスクがあっても、意地でも最後までやり通すのが自分らしい。
(残念ながら、うちは欲張りなんすよね)
色々、考慮に考慮を重ねた上で、メリッサは思い至る。
生死に直結する強制二択。その更に上を目指すための選択肢。
「変身物語」
メリッサは両手を地面につき、立ち向かう意思を見せる。
吸収で蓄えたエネルギーとセンスを混ぜ、鋼絲牢翳で編み込む。
影のカーテンを展開し、衣服を脱ぎ、出来上がった生地を全身に覆う。
「――モード魔神蓮妃」
その身に纏っているのは、黒いチャイナドレス。
ここまで温めていた切り札であり、決戦兵器だった。
◇◇◇
数分前。悪魔界。魔神城。謁見の間。
『寿契献命――【一年了】』
中央には四匹の蝙蝠が集まり、映像が再生される。
それは魔神の契約者[蓮麗]と、白き神[ジェノ]との戦い。
蓮麗は異国の言語を用いて、何かしらの能力を発動している。
五つある異能の内の一つ、『思念通話』の影響で意味は理解できた。
「長生きの秘訣は『コレ』ってわけっすか。趣味がいいとは言えないっすね」
観戦していたメリッサは、蓮妃のカラクリに気付く。
契約者から寿命をかき集めて、ここまで生き長らえた。
御年二千歳を越えていても、納得できる理屈ではあった。
「…………」
玉座に座っている蓮妃は何も答えない。
人間界での戦いを食い入るように見つめている。
(シカトっすか。……ま、この好カードを前にしたら無理もないっすね)
質問と対戦には優先順位に大きな差がある。
その事実を冷静に受け止め、映像に視線を戻した。
そこには、キョンシーのような衣装を着ている蓮麗の姿。
(こいつは……とんでもない意思が込められてるっすね)
センスを感じ取れなくても理解できる、異様な熱。
衣服の周囲は、蜃気楼のように歪んでいるのが見て取れる。
似た技を使える経験があるおかげか、その変化を顕著に感じられた。
(単品でも相当ヤバイっすけど、本題は……)
興味がそそる展開を前にして、観戦にも熱が入ってくる。
注目すべきは、戦闘衣装の真価。その機会はほどなくやってきた。
『代償【火】。対価【神的特攻】』
蓮麗の口から唱えられるのは、中国語の文言。
キョンシー服に備わる霊符を破り、能力の一端を明かす。
「……………………は? いくらなんでも、これは――」
反射的に出てくるのは否定の言葉だった。
意味は理解できるものの、代償がデカすぎる。
被害は目の前の勝負にとどまらず、世界に広がる。
それどころか、更なる最悪に発展する可能性もあった。
「多难兴邦。意味は分かるか?」
すると、蓮妃が口にしたのは、中国のことわざ。
「……多くの困難があることで、人々は奮起し、国家は繁栄する」
すぐさま、帝国語に翻訳して、表面的な意味を並べる。
ただ、考えるべきは裏の意味。わざわざ遠回しに言った理由。
「これを災いと呼ぶか、祝いと呼ぶかは捉える者次第。メリッサはどう思う?」
そこで投げかけられるのは、二択だった。
蓮妃の思惑の半分は、この問いに含まれている。
残りの半分は、受け手の行動次第でいくらでも変わる。
蓮妃がどんな結末を望んでようが、決して制御できない領域。
「うちは――――」
自分なりの答えを口にしようとした時、閃く。
切り札となり得る存在。困難の先に見えた奇策だった。
◇◇◇
現代における北辰流には、いくつもの型が存在する。
本家と宗家、代替わりを繰り返した結果、七つに増えた。
・斬撃特化の東雲型。
・剣速特化の神風型。
・刺突特化の春雨型。
・能力特化の暁型。
・居合特化の雷型。
・意思特化の白雲型。
・体術特化の臥龍型。
人間には向き不向きが存在し、適性に合った型を選ぶ。
全てを習得しようとすれば、大抵の場合は器用貧乏に陥る。
そのため、基礎を覚えた上で、型を一つに絞るのが通常となる。
「北辰流――」
一鉄は手に握っていた杖刀を、腰にある鞘に納める。
それは、斬撃に特化した東雲型とは、趣が異なるもの。
一撃必殺をコンセプトに作られた、雷型に属する抜刀術。
「――――【霓】」
全ての型に精通する一鉄は、抜刀。
繰り出されるのは、七つに分裂した刃。
軌道は全て異なり、回避するのは至難の業。
分身や残像ではなく、全てが実体を持っている。
仕組みとしては、七回ほど抜刀しただけにすぎない。
魔術やセンスに頼ることなく、技量だけで成り立つ技だ。
剣術に人生を捧げる覚悟さえあれば、覚えるのも難しくない。
それよりも、宗家の雷型をわざわざ選定したのには理由があった。
――メリッサは東雲型以外の型を知らない。
北辰流の創始者の一人である、マルタ・ヴァレンタイン。
その知識をトレースし、誕生していることは聞き及んでいた。
当時の型は一つ。最も基礎との互換性が高い斬撃特化の東雲型だ。
数百年前なら最先端だが、数百年を経た今、それは最古参の技となる。
それを知っているだけで、北辰流の全てを知ったような気でいる節がある。
――時代遅れもいいところだ。
世に出回る知識や情報は、時の流れで変化する。
昔と同じやり方が、今でも通用すると思うのは浅はかだ。
変化に適応してこその人間。試行錯誤と改善の末、人類は発展した。
(死の淵で、時の流れを呪うがいい……思考を止めた化け物)
七つの刃は、黒いチャイナ服を着たメリッサに迫る。
その狭間に思うのは、哀れみ。亡き妻の血縁者への同情。
手心を加えそうになる心と裏腹に、放たれた刃は揺るがない。
臥龍岡メリッサを殺すために繰り出した斬撃は、身体に到達した。
結果は見るまでもなく明らかであり、杖刀を抜いた時点で詰んでいる。
(…………っっ!?)
しかし、その先に見たものは、予想だにしないものだった。
放たれたはずの刃は消失し、跡形もなくなっているのが分かる。
今まで彼女が有していた能力では、計り知れない結果を生んでいる。
――その正体は即座に理解できた。
視覚的に見れば一目で理解できるが、脳が理解を拒む。
刃が消えた理由は簡単に説明がつくものの、辻褄が合わない。
経緯を考えれば、矛盾している。この世界に存在しないはずの産物。
「そんな馬鹿な……。あり得ん、あり得んぞぉ……」
握っていた鞘を落とし、一鉄は己が目を疑った。
それでも、変わらない。視覚は揺るがない真実を映し出す。
「遊びはもう終わりっす。悪魔界の業火、その身で味わってもらうっすよ」
メリッサの両手に揺らめくのは、紫に染まる炎。
人間界で失われたはずの概念を、確かに制御していた。
――メリッサの失血死まで残り一分。