第129話 北辰流
左上腕からドクドクと溢れ出るのは、赤い血液。
再生阻害の一撃を受け、失血死まで三分を切っている。
死がそこまで迫った後ろ向きな状況で、メリッサは前を向く。
(さーって、こっからが正念場。全力で攻略してやるっすよ)
目の前には、杖刀を握る黒スーツ姿の中年男。
短い黒髪を逆立てながら、鋭い眼光を向けている。
身体には黄金の光を纏い、首と四肢にすり傷があった。
強化された糸と影にセンスを乗せた、鋼絲牢翳で生じた傷。
傷は浅く、血はすでに止まっており、致命傷とはいかなかった。
――ただ。
(部位によって傷の度合いが違う。……おかしいっすね)
貴重な時間を消費し、鈍い頭を必死で回す。
首、右腕、左腕、左足の傷は同じぐらいだった。
右足だけ表面の衣地が切れただけ。見るからに軽度。
身体全体を均等に防御していたのなら、こうはならない。
技術的に出来ないとは考えづらく、明らかな違和感があった。
(右足だけ手厚く守る理由があった? でも、どうして……)
思考を転がすも、明確な根拠が思い当たらない。
頭にモヤがかかったような感覚が足を引っ張っている。
もどかしい気持ちになりながらも、一つ確実なことがあった。
――悪魔化した自分なら分かった。
ないものねだりだと言えば、それまで。
ただ、あの時の冴えた感覚が忘れられない。
一度知った以上、意識しない方が無理があった。
「北辰流――【東雲】」
そんな思考と苦悩の狭間に聞こえたのは、一鉄の声だった。
明け方の陽の光が差し込むように煌めいたのは、上空からの斬閃。
「…………っっ!!」
後方に跳び、縦に裂く斬撃が間一髪のところで空振る。
「【叢雲、夕霧、不知火、陽炎】」
しかし、絶え間なく襲い来るのは、北辰流における東雲型の連撃。
単発でも十分な威力を誇るものの、真に力を発揮するのは技を繋げた時。
一つ一つの型が流れるように連動し、一切の無駄がなく、相手の逃げ道を塞ぐ。
――再生阻害を受ける今、全てが必殺。
回避もできなければ、反撃を狙える隙もなかった。
やれることは限られ、安直な選択肢しか残っていない。
「……くっ、こんちく、しょう、っす!!!!!」
メリッサは鋼絲牢翳を駆使し、防御に徹する。
幸いにも、東雲型は網羅している。初見ではなかった。
全てを追えば複雑に思えても、一つ一つに分解すれば対処可能。
共通して斬撃と体術を交えた、直線的な動きであり、軌道は限定される。
問題は……。
「【薄雲】」
東雲型の終わりを締めくくるのは、疾風怒濤の切り上げ。
人間の視神経は、左右の変化に強くとも、上下の変化に弱い。
来ると分かっていても対処が難しい。使い手の腕が立つほど困難。
「――ッッッ!!!」
刃が肉薄し、皮膚を切り裂く音が聞こえる。
痛みを一切感じない、見事なまでの切り口だった。
本来なら理解が遅れるものの、今回は一目見て分かった。
いや、見えていたものが見えづらくなったと言った方が正しい。
(やられた……っ。左目を……っっ!!)
視野の左側に広がるのは、先の見えない暗闇。
近接戦において視野が欠けるのは、かなりの痛手。
北辰流の斬撃を受け切るには、致命的なデバフだった。
「大人しく投了しろ、化け物。そうすれば、再生阻害は解いてやる」
そこで一鉄から切り出されたのは、降参の催促。
この戦いは、殺し合いではなく、諦めさせることが目的。
タイミングとしてはベスト。提案を呑んでもいい状況ではあった。
――だとしても。
「分かってないっすね、人間。こっからが面白くなるとこじゃなっすか」
不敵な笑みを浮かべ、メリッサはやんわりと断りを入れる。
絶望的な状況と言える中でも、その瞳の輝きは失われていなかった。
ただの強がりか、計画性があるものなのか。それは、彼女のみが知っている。
――メリッサの失血死まで残り二分。