第123話 0と1の狭間
数分前。悪魔界。魔神城。謁見の間。
『悪魔式軍隊格闘術『デモニスタ』。その身で味わえ!!!』
眼前には、四匹の蝙蝠が映した平面の映像。
繰り広げられるのは、アサドとマクシスとの戦い。
独創世界崩壊も近く、冥戯黙示録も大詰めになっていた。
「…………」
メリッサは、それを食い入るように見ていた。
息もせず、瞬きもせず、一挙手一投足を見逃さない。
脳内の隅々まで動きを叩き込んで、対抗策を巡らせていく。
一通りのシュミレーションを済ませ、勝算が立とうとしていた頃。
「無茶するって時の顔してるね。止める気はナイが、どこまでやるつもりか?」
見計らったかのように、玉座に座る魔神蓮妃は言った。
長い付き合いだからよく分かる。これは、ただの興味本位。
挑もうとしてるコンテンツへの、モチベーションを探っている。
本心を言おうが、建前で取り繕おうが、やるべきことは変わらない。
それでも――。
「全部。やれることもやれないことも含め、うちの全部を出し切るっす」
メリッサは手堅い未来を見据え、言葉に本心を込める。
ただ、どこまで言う事を聞くかは、自分でさえも分からなかった。
◇◇◇
強化された影。黒牢翳と呼称される特殊概念がある。
今のメリッサとアサドの周囲を覆い尽くす、謎多き異能。
繰り返された人体実験により、解明されたことは三つあった。
・外部からの物理的な干渉は一切受け付けない。
・内部に持ち込んだ物体は、内外に出し入れできる。
・持続時間や、展開距離は蓄えたエネルギーに依存する。
確実だと言い切れるのは以上の要素のみ。
現実世界の概念がどこまで適用されるかは不明。
生死、時間、病気、餓死、縛りなど不確定要素が多い。
巻き込まれた第三者が影響を受ける範囲も、分かっていない。
他人を交えた実験を開始しようとしたところで、メリッサは逃げた。
――しかし、その第三者が作戦の成否を握っている。
「宣言する。ここからお前は、手も足も出ず、のたうち回った挙句に降参する」
思考をまとめていると、アサドは真顔で言った。
戦いも佳境に入り、作戦は最終段階に移行していく。
(いい感じにピキってるっすね。これ以上、やり合う必要はないっす)
ここからは、相手を誘い込むフェイズ。
敵は術中にハマり、何の疑いもなく襲ってくる。
特に労することなく、残すは計画を実行するだけだった。
(――ただ、後もうちょっとで掴めそうなんすよね。センスの核心を)
メリッサは左手を握り、疼く拳の感触を確かめる。
傷は再生能力で塞がっていて、五体は満足に動く状態。
戦う必要はないものの、心と体は更なる成長を望んでいた。
「いい面構えだが、安心しろ。……すぐに苦痛で歪ませてやるよ!!!」
返事を待つことなく、アサドは駆ける。
気付けば、懐に入り込み、拳が届く間合い。
これまでは、拳とペースを合わせてくれていた。
よーいドンの形で、競技のように速度を競い合った。
――ここからは違う。
お互いのシノギを削り合う、真の刹光勝負の始まり。
打撃衝突時にセンスを起こす難易度が、格段に跳ね上がる。
「うらぁ、うらぁ、うらぁ! そんなもんかぁ!?」
叩き込まれるのは、拳の連打。途切れのない赤い焔。
誤差0.03秒。猶予1Fの刹光をコンスタントに決めてくる。
アベレージヒッター。安定した火力が、容赦なく体を襲った。
一発でもまともに食らえば、四肢が飛ぶ、悶絶級の高速ラッシュ。
再生能力があるとは言っても、意識が飛んでしまう可能性すらあった。
――だからこそ。
「こんなもんじゃないっすよ!! うちの伸び代は!!!」
メリッサは、手も足も出さなかった。
代わりに、体表面には、無数の紫光が迸る。
正体は単純。刹光には攻めと守りの二種類がある。
・攻めは、打撃衝突時にセンスを起こす。
・守りは、被打撃時の接触点にセンスを起こす。
たったそれだけの違い。必ずしも、拳を振るう必要はない。
問題は打撃衝突時のセンスの誤差。刹光の恩恵に大きく関わる。
今は均衡を保っていても、タイミングが少し狂えば、簡単に崩れる。
「つけ上がるなよ、人間! お前の刹光が崩れるまで、俺は殴るのを止めねぇ!」
アサドが警戒するのは、スタミナ切れのタイミング。
悪魔といっても、拳を振るう体力は無尽蔵とは言えない。
息が途切れる瞬間に、攻守が入れ替わると予想しているはず。
(確かに普通なら、猛攻を凌ぎ切った後に意識を割く)
足りない脳細胞をかき集め、メリッサは防御しつつ頭を回す。
作戦を無視した先にある『何か』を追い求め、徹底的に馬鹿になる。
(だけど、条件が揃えばひっくり返る。攻守は逆転する)
拳を肌で受け、異なる光が生じ、せめぎ合う。
思いを馳せるのは、改善できる余地。付け入る隙。
今のアサドのやり方では、絶対に至ることはない領域。
鍵を握るのは、トレースされた潜在意識の奥底にある記憶。
猶予0F。誤差0.01秒。60分の1秒の世界。スロットの用語なら。
(――ビタ押し)
脳内に思い浮かべているのは、とあるスロット台。
戦獄セレクション2。リール制御なしのベルナビ搭載機。
枠下ピッタリに止めなければ罰則。あの当時はできなかった。
猶予1Fのコマ滑りに甘えて、スロットの腕を磨こうとしなかった。
代わりに尻を拭ったのは、出生に関わった女。マルタ・ヴァレンタイン。
(あいつができるなら、うちにも……)
できると思うのと、実際にやれるのでは雲泥の差がある。
負う必要のないリスク。馬鹿な挑戦だってのは、理解してる。
それでも、悔しい。できなかった当時の自分の汚名を返上したい。
誰かを見返したいわけでも、褒められたいでも、自慢したいでもない。
(うち、にも――ッッ!!!!)
蒸発した理性の果てに、メリッサは大きな夢を描く。
ナンバーズの頂点に立った先。創始者よりも強くなること。
そのためにはまず、目の前の障害を突破しなければ話にならない。
「止まって見えるぞ、ウスノロ!! ちったぁ、囀ってみせろや!!!」
アサドは有言実行し、拳を休める気配は一切ない。
むしろ、苛烈さを増し、防御が崩れるのも時間の問題。
決定打となり得る渾身の拳が、額に迫っているのが見えた。
まだお互いにセンスを纏ってない。速すぎれば、不発に終わる。
――焦点は打撃衝突直後。
条件は明らか。やるべきことは頭に入ってる。
その時を、ベストのタイミングを今か今かと見計らう。
これ以上考える隙間もなく、肌に触れるか触れないかまで迫る。
結果がどうなるにしても、この後に言ってやる台詞だけは決まっている。
「「――刹光っっ!!!!!!」」
生じるのは、紫光と赤光。攻めと守りのセンスが、黒牢翳内を明るく照らした。