第109話 『火』のない世界
冥戯黙示録に参加したのは、義理を通すためだった。
アザミを追うのも、旗を探すのも、根ざすものは同じ。
行動の良し悪しと優先順位は、貢献する度合いで変わる。
道義に沿うか、法に則っているか、そんなものは二の次だ。
――姐さんか、姐さん以外か。
極めて単純な行動原理に基づき、判断を下す。
反社会的だろうが義理を通せるなら、なんでもする。
相棒を裏切る報酬が追加された今、やることは明確だった。
「――姐さんのために死んでくれ、ルーカス」
裏切り。それは、道義に反する行為。
それでも閻衆は、RPG-7の引き金を引く。
姐さんのためなら、進んで悪行に手を染める。
飛翔する擲弾が、相棒のライフを削るはずだった。
「…………」
しかし、響いたのはボトンという音。
想定していたものとは、真逆と言える現象。
整備や製品に不良があれば、稀に起こり得る事態。
「……不発弾か。ツイてんのか、ツイてねぇのか分からねぇな」
肩をすくめ、ルーカスは結論を口にする。
敵意があるかは不明。ただ、思惑は露呈した。
「どちらにしても、二度もツキは回らない」
閻衆は流れるように、次弾を装填。
交渉の段階ではなく、殺し切るのが重要。
すぐさま弾頭を向け、もう一度引き金を引いた。
「そうはいくかっての――」
さすがのルーカスも、次は回避行動に移る。
自慢の義足を活かし、地面を横に蹴って、加速。
どうにか難を逃れようとするも、そこは、被爆圏内。
回避しようが棒立ちだろうが、起こる結果は変わらない。
「「……っ!?」」
しかし、不測の事態に直面し、思考はフリーズする。
あり得ないことが起きた。偶然では片づけられない不具合。
「二度目の」
「ツキが回ったってぇのか?」
思い至るのは、ほぼ同時だった。
所有していた唯一の収集品の無力化。
事実上、裏切ることは不可能になっていた。
◇◇◇
製鉄所西側に位置する、針葉樹の森。
白き神と蓮麗の武力衝突があった、近辺。
世界はひび割れて、西から東に崩壊を始める。
その異常事態から背を向け、逃げる当事者がいた。
「蓮麗……。どうして、よりにもよって『火』を捧げた。他に候補はあっただろ」
あてのない逃亡を続けながら、マイクは叱責する。
話題は、行動の良し悪し。能力のデメリットの件だった。
魔神の力を借りるために、地球から『火』という概念が消えた。
代償があまりに重すぎる。全人類に影響が及んでしまう大規模災害だ。
深く考えてなかったでは済まない。このままだと、計り知れない人間が死ぬ。
「それは……」
元の黒服に戻った蓮麗は、言い淀む。
言いたくても言えない。そんな感じがした。
ただ反応を見る限り、事の重大さを分かってない。
「いいか……『火』がなくなれば、現代兵器の大半は鉄屑になり、運転中のガソリン車は軒並み停止、飛行中の航空機は全て墜落、巡航中の船舶は総じて難破。世界中のインフラは類を見ない損害を受ける。それだけじゃなく、政治的な問題に発展し、同時多発テロと認定されれば、まず間違いなく、黒幕探しが行われる。これまでの国際情勢から考えて、恐らく、中東系の過激派組織がやり玉に挙げられるはずだ。その行きつく先は何か分かるか?」
マイクは、まくし立てるように責めた。
これは、氷山の一角。被害の一部に過ぎない。
結論を先送りにしたのは、本人の危機感を煽るため。
「戦争……」
蓮麗は、伏し目がちに答えを口にする。
元々、分かっていたのか、今、分かったのか。
どちらにしても、これから直面する危機は伝わった。
「正解だ。やらかしたことに関しては、これ以上、責める気はない。情状酌量の余地もあるにはあるからな。……ただ、災害をもたらした責任ってもんがある。今後の対応策について、考えてないとは言わないよな?」
議題に上げるのは、起こるであろう戦争への対応。
冥戯黙示録や、バトルフラッグよりも重要な事柄だった。
事と次第によっちゃ、築いてきた関係がぶっ壊れる可能性もある。
「…………」
蓮麗は口を閉ざし、返答を先送りにしていた。
響くのは、地面を蹴る音と、世界がひび割れる音。
(頼むから、まともな反応をしてくれよ……)
マイクは、戦々恐々としながらも返答を待つ。
蓮麗は元々、自暴自棄になりやすい傾向にあった。
一度の失敗を引きずってヤケを起こす、破滅型の女だ。
手元に置いて教育したつもりだが、矯正できたのかは不明。
その集大成ってもんが、危機に直面して滲み出てくる気がした。
「『火』の概念を取り戻す方法はあるヨ。それを取引条件にして、主要国の首脳に交渉を持ちかければ、たぶん戦争は止められる。細かい紛争とか、『火』のエネルギーに依存した乗り物の事故は、取り返しがつかなそうだけどネ……」
声に罪悪感を乗せつつ、蓮麗は語り出す。
前向きな議論。しかも、内容自体も悪くない。
出会った頃に比べたら、格段に成長を感じられた。
――ただ。
「すぐ口に出さなかったのは、相応のリスクがある。違うか?」
『火』を取り戻すには、魔神との取引が必要。
無条件で返してくれるほど、相手は馬鹿じゃない。
変に間を置いたのは、まず間違いなく理由があるはずだ。
「その通り。我の一年分の寿命に加え、もう一つ代償を捧げる必要がある」
「だろうな。分かってるから、もったいぶらずに言え。一体、何が必要なんだ」
急かすように、マイクは問い詰める。
恐らく、蓮麗の自己犠牲の果てにある何か。
因果応報とはいえ、内容によっては実行できない。
仮に蓮麗の命を危険に晒すのなら、避ける必要があった。
「我が最も大切にしている人の命……。ここまで言えば、分かるよネ?」
蓮麗は視線を上げ、こちらを見つめて言った。
合点がいった。言いづらそうにしていた理由が分かった。
想像とは、真逆。直接関係ないとは思ったが、無関係ではいれない。
「俺が死ねば、戦争は止まる……」
マイクは結論を口にして、即断できない論争が始まった。