第106話 拳の乗算
降り注ぐのは、無数の拳。行われるのは、幾多の攻防。
武器が用いられることはなく、体術の良し悪しが全ての世界。
センスの出力に大差もなく、鈍い打撃音が針葉樹の森に響き渡った。
「「――――」」
拳と拳がぶつかり合い、空中で停止する。
白き神と蓮麗。互いが用いる流派は、詠春拳。
手数に重きを置いて、直線的な動きを得意とする。
同門対決であり、先ほど格付けを済ませたはずの勝負。
あえて同じ展開を望んだのには、当然ながら理由があった。
「……っっ」
借り物の少年の口から生じるのは、血液。
ほぼ互角に終わったはずのやり取りでの、出血。
物理的な損傷ではなく、精神的な損傷による拒絶反応。
――対象の魂を破壊する攻撃。
戦闘衣装の能力により、拳の威力が乗算。
機械仕掛けの神で模倣できない、絶妙な調整。
表面上の出力で勝てていても、叩かれるのは内面。
このまま同じ打ち合いを続ければ、いずれ押し負ける。
「顔色が悪そうネ。気付け薬が入り用カ?」
拳を放し、距離を取る蓮麗は、余裕綽々に言い放つ。
攻防に手応えを感じたのか、勝ち誇った笑みを浮かべている。
「酔拳も悪くはありませんが……素面で結構」
白き神は真面目に応じ、構えを変える。
右拳を腰に据えて、左拳を胸前に出していく。
――般若無道流。
毛利広島が得意とした流派。
身体と状況に最も適性のある型。
奇遇にも、詠春拳の対をなす古武道。
「狙いは、一撃必殺カ。面白い……。受けてやるヨ」
敵を見下し、能力を過信し、蓮麗は待ちに徹する。
意趣返しのつもりなのか、仕掛ける気配は一向にない。
その感情は、七つの大罪に数えられ、傲慢と呼ばれていた。
(愚かな人間ですこと。……ただ、そこが魅力でもある)
白き神は、溢れんばかりの銀光をその身に纏っていく。
それは、ジェノと機械仕掛けの神による努力と能力の結晶。
本来、別個であるはずの肉体と精神が一致したゆえに至る状態。
――膂神溶融。
無意識下で、少年が戦うことを認めた証。
敵が用いる戦闘衣装とは、別ベクトルの乗算。
元手となるセンスを、核分裂のように増大させる。
――推定、百万倍の顕在量。
敵が内面を特化するなら、こちらは表面を特化すればいい。
帝国で神父がもたらした知恵と経験を、有難く使わせてもらう。
「…………っ」
桁外れなセンスを前に、蓮麗の表情が揺らぐ。
反射的に後ずさり、半歩ほど下がってしまっている。
「一発、受けてくださるのよね?」
すかさず白き神は念を押す。
あえて前置きを挟み、確認を取る。
意地悪な質問というのは、分かっていた。
それでも、同意を得なければ少年が納得しない。
120%の出力を発揮するには、外すことができない工程。
「見せかけだけの張りぼてガ……っ! 御託はいいから全力で来い!!」
これで、同意は取れた。
繰り出す技は決まっている。
状態と能力と系統に噛み合う型。
「ええ。では、お言葉に甘えさせてもらいますね」
膂神溶融との相乗効果が望めるもの。
連想力により、さらに威力が高まる必殺。
あらゆる出会いが、この日のために収束する。
「――――超原子拳」
顕在量を百万倍した上での、出力120%。
核兵器にも決して劣らない拳が、今、放たれた。