第10話 悪魔チンチロ④
過熱していた賭場は、一気に冷え切っている。
自ずとギャラリーの目線は、たった一人に集中した。
「協力する。確か、そう言ったっすよね……ジェノさん」
視線が集まる少年に、メリッサは問いかける。
勝負を中断させた張本人。理由がないとは言わせない。
「うん、言ったね。でも、全てを容認するとは言ってない」
問いかけられた少年ジェノは、真っ向から屁理屈をこねた。
薄々と感じてはいた。この舞台と状況とは相性が悪すぎる存在。
一番の敵になり得る。その片鱗が早くも見えてきたような気がした。
「お人好しもほどほどにしたらどうっすか。ここでは大勢、人が死ぬんすよ。しかも、強制じゃなく任意。適性試験の時とは違って、自分たちが納得した状態で、命を賭けてるっす。その勝負を止めるなんて、無粋も無粋。ハッキリ言っちゃえば、空気読めてねぇんすよ」
感情的じゃなく、理論的にメリッサは説得する。
彼を納得させるには、理由が重要。他は必要なかった。
「分かってるよ。勝負を止める気はない。だから――」
語るよりも先に、彼は動きを見せた。
卓上にかざされたのは、ブラックカード。
隅に表示されるタッチパネルから借入を選択。
引き出されたのは、上限いっぱいのチップ五十枚。
「ピンゾロのデッドラインは、俺が全員分補填します。もちろん無条件で」
積み上げたのは、四つのチップの山。
シェンに四枚。マクシスに二枚。閻衆に四枚。
メリッサには四十枚と、ポケットから取り出した一枚。
それらを加えれば、卓にいる全員が、五十一枚以上になる計算。
「ルール上、途中交代は駄目でも、チップの貸し借りは自由、っすね……」
誰も気付いてなかった裏技に真っ先に気付いた。
いや、気付いても誰もやらないことをやってのけた。
「ほぉ……。年の割に機転が利きよる。吾は問題ない」
「人柄に変わりはないようだ。善意を無碍にはできんわな」
「言いたいことは山ほどあるが……この場は素直に従ってやる」
意図を汲み、シェン、マクシス、閻衆は合意。
それぞれが、ジェノのチップを手元に加えていく。
ルールに反しない。賭場の参加者にデメリットはない。
――ただ。
「計算が合わないっすね。五十一枚目はどこから手に入れたんすか?」
ジェノは、借入の上限を超えたチップを持っていた。
補填に問題はなくても、出所に問題がある可能性がある。
場合によっては、受け取らないことも考慮に入れるべき案件。
「ルーカスさんから借りた。補填するには、少し足りなかったからね」
想定済みだったのか、間髪入れずに即答。
それも一発で納得できる理由を用意していた。
裏を取る必要もなく、その光景がパッと浮かんだ。
「……分かったっすよ。何もなければ返せばいいんすよね」
渋々と提案を受け入れ、手持ちが一気に増える。
これで全員のチップが、五十一枚以上になっていた。
万が一、誰かがピンゾロを引いても、一発ドボンはない。
「任せるよ。返してくれてもいいし、もらってくれてもいい」
どこまで人がいいのか、サラッと流すようにジェノは告げる。
異論を挟む者はいなくなり、チップの貸し借りは合意の上、終了。
一度冷めてしまった空気は戻らないまでも、やることは変わってない。
「……さぁって、話もついたところで、仕切り直しと行かせてもらうっすよ!」
早速、メリッサは手を伸ばし、三つのサイコロを手に取る。
手で賽の感触をよーく確かめながら、狙いを定めて、投げる。
カランコロンと音を奏でて、茶碗には三つの出目が揃っていた。
ギャラリーの衆目も集まり、その場にいた全員が結果を認識する。
空気は凍りつき、当事者であるメリッサは、青ざめた顔で言い放つ。
「ピンゾロ……」
親番による悪魔目。出目は⚀⚀⚀。
マイナス五十枚になり、残りは一枚。
ジェノのチップがなければ、死んでいた。
「あらぁ、不運ね。じゃあ、次はアタシの番っと」
結果を受け止める暇もなく、バグジーは賽を握る。
勝負は終わってない。そう言わんばかりの態度だった。
「待つっす! コイツは即負けじゃないんすか!!」
黙っていられるわけもなく、待ったをかける。
⚀の出目、役なし、ションベンは一倍払いで即負け。
親が出せば、子の番に回ることなく、ゲームは終わるはず。
「アレは1の目の場合。悪魔目が即負けって説明はなかった。勝負は続行よ」
しかし、一切の反論の余地がない回答を返される。
ルールの盲点。確かに、あの悪魔の口から聞いてない。
悪魔目が出た時点で即負けとは、一言も言っていなかった。
「メリッサ……。まずいよ、これ……」
補填したジェノは、真っ先にリスクを予期する。
子は残り三人いて、サイコロ振る権利は残っている。
ゲームが進行すれば、どうなるか。それは、至って単純。
「出目が成立した時点で、うちは死ぬっす……」
悪魔目は役なし。⚁の出目以上で、子は勝利する。
一倍払いでも十枚。払える金額じゃなくなってしまう。
健全に助かりたいなら、誰かにチップを借りることぐらい。
「言っとくけど、勝負が始まった以上、待ったはなしよ」
ただ、バグジーは容赦なく賽を投げる。
借りる時間も隙もなく、勝負は進行した。
(こうなったら……)
メリッサは左手を卓に当て、影に意識を向ける。
イカサマして、誤魔化す。それ以外に道は残ってない。
(駄目だ、メリッサ。見張られてる)
そんな肝心な時に、耳元にはジェノの声が響く。
背後を振り向けば、ゴロツキ共が目を光らせていた。
(じゃあ、どうすれば……)
(あの人たちの腕と器量を信じるしかない)
小声でやり取りを重ね、意味を聞き返す暇もなく、出目は揃っていた。
「へぇ……こんな偶然もあるもんね」
子番による悪魔目。出目は⚀⚀⚀。
五倍払いの支払い義務は、出した本人。
マイナス五十枚を卓に献上し、子の番が回る。
「ちょ……。これって――」
二連続のピンゾロ。普通に考えれば、あり得ない確率。
計算すれば、天文学的数字になる。常識からは逸脱している。
運命の歯車が狂いだした賭場。それは、この一手で留まらなかった。
「次は吾か。どぉっれっと――」
「見事な御手前。私も続かせてもらおう」
「運否天賦。それを覆せないようでは、この場にいない」
出目は、ピンゾロ。ピンゾロ。ピンゾロ。
それぞれが五倍払いで、メリッサの被害は無し。
賽の目と全員が口裏を合わせたように、結果は偏った。
処理できない情報を前にフリーズしかけるも、予想はできる。
「意思の、力……っすか……?」
未知の現象への、手っ取り早い回答が浮かぶ。
見えない力を使えば、いくらでも細工可能な気がした。
「いやぁねぇ。これは、ただの技術よ。マフィアの頭を舐めてもらっちゃ困るわ」
バグジーの一言により、あっさりと賭場は解散。
それぞれが背中を向けて、何も言わずに去っていく。
威風堂々とした立ち居振る舞いに、気持ち良さを感じる。
ただ、それ以上に、どうしても芽生えてしまう感情があった。
「格が、違うっす……」
圧倒的強者の洗礼を受け、メリッサはその場で腰を抜かす。
腕っぷしだけじゃない強さで、初めて分からされた瞬間だった。