ナイトビジョン
コクピット正面の大型ディスプレイは輝度が最低に落とされてパイロット両目の暗順応を妨げない様にされている。
地形偵察で一度しか飛んだ事の無い場所ではあったが、コンソールパネルにはリアルタイムで現在位置と飛行経路が表示されているから迷う心配は無い。
更にサーペントに採用されているHMDS(Helmet Mounted Display System:ヘルメット・マウント・ディスプレイ・システム)には、機体各所に設けられているセンサーからの情報を統合・処理したIR(赤外線)画像がヘルメット・バイザーに投影され、外の景色と重ねて見る事が出来る。投影される赤外線画像による視界は、色彩こそ無いものの、ほぼ肉眼と同等の物が確保される。
HMDS以前の暗視装置はヘルメットに装着するゴーグルタイプが主流で視界は著しく制限されていた。所謂NVG(Night Vision Goggl:ナイトビジョンゴーグル)と呼ばれる物である。
NVGとはヘルメット装着型個人用暗視装置の事で、双眼鏡タイプが一般的だ。パイロットのヘルメットに装着するだけで機能を発揮する事が出来る為、基本的に機体側に特別な装置を必要としない。その為、現在でも航空機操縦者用は勿論歩兵の個人用暗視装置としても主流を占めている。
これさえあれば闇夜を克服できる夢の装置!って思うかも知れないが、残念ながらヘリの操縦用として使いこなすには相当の訓練が必要なのだ。
はい、これNVG。明日から使ってね、ヨロシク~。
って訳には行かないのである。
NVG使用の何が難しいのか、肉眼とどう違うのかを説明しよう。
まず一つ目は、視野が狭い事。
ゴーグルを覗いた視界だから当然肉眼よりも見える範囲は狭い、数値で言えば概ね30°である。ほぼ顔を向けた方向、正面しか見えないという事だ。
視界が狭かったら、その分頭を動かせばいいんじゃネって思うでしょ。
ハイ残念。
勿論頭は動かす、そうしないと周りが見えないから当然である。しかしそこには大きな落とし穴が有るのだ。
NVGの映像はゴーグルの先端に有る対物レンズが視点になっているという事である。つまり、NVGを着けた状態だと自分の目玉だけが10センチ以上前に有る感覚になるのだ。
では、具体的に何が起きるのか。
周囲の確認の為に頭を左右に振るとする。今までの人生、頭の中心から目玉までの距離が数センチの感覚で生きてきたのに、今度はゴーグルの長さの分だけ更に遠くの映像が目に映るという事だ。
分かるだろうか? 僅か10数センチの違いだが、それによって機体が横及び後方へドリフトしている様な見かけの速度を生じさせてしまうのである。
それが二つ目、視点の違いによる機体ドリフトの錯覚だ。実際は停止してるのに動いているように感じてしまうのである。
機体の見かけの速度は、低空・低速時やホバリング中のヘリコプターにとってその影響は無視出来無いものとなる。ヘリコプターの操縦とは、そのほんの僅かな違いすら多大な影響を及ぼす繊細さを必要とするのだ。
最後の三つ目は、遠近感である。
人の目は二つある事で遠近感を掴んでいる事は常識だ。でもそれは、実は10m程度までの話なのである。
ではそれ以上の距離、つまり飛行中のパイロットは遠近感をどの様にして把握してるのか。答えは自分の位置が移動する事によって生じる景色の相対的移動速度によって得ているのだ。専門用語で言えば単眼立体視と言う。
単眼立体視では必ずしも目標を直視する必要が無い。つまりパイロットは特に意識しなくても視界の全域にわたる情報を元に自分の姿勢、運動及び相対速度などを把握出来てる訳だ。それは特に地表面又は障害物に接近した飛行でクリアランス(安全間隔)を保持するのに重要な役割を果たしている。
さて、ここで思い出して欲しい。NVG装着時のパイロットの視野は?
そう、たったの30°だ。
つまり、単眼立体視に必要な視野全域の情報は得られない。NVG装着時の視野の制限によってNVGの向いている方向以外は盲目状態と言っても過言では無いのである。
細かい事を言ったら他にも残像や画像の歪み等が有るのだが、大きく言えばこの三つがヘリコプターでNVGを運用する上での問題点となっている。
これら機材の限界・欠点、人間工学の問題点を十分に把握してそれに対処する事が任務遂行の鍵となっているのだが、眼鏡タイプのNVGでは正直、問題点の解決は技術的に難しいのが現状だ。
そこはパイロットの方が努力で何とかしてね、って状況である。
まあ、航空機の操縦は、昔から多かれ少なかれそんな事ばかりなんだけど。
そこで私達のサーペントでは、アプローチの方向を変えてシステムを新たに作り上げたのだ。それがDAS(Distributed Aperture System)によるセンサー融合技術である。
機体の各種センサーをデジタルで結んでコンピューターで一元化しパイロットへ情報を提供する技術だ。それによってNVG特有の狭視野や視点の違いによる錯覚の問題を解決している。
但し、サーペントのビジュアルモードによるIR画像投影は夜間視力を飛躍的に向上はさせるのだが、操縦に必要な視覚情報全てを補正出来る訳では無い、だからNVG程では無いがやはり装置への習熟と十分な訓練は必要なのだ。
「おお!ジュリエット、これスゴイな。
視野がめっちゃ広い。しかも、うひゃあ、足元を通して地面が見える。自分の足が透けてるよ。」
後席でプリンスが無邪気な声を上げてる。
「ちょっとプリンス、しっかり見張りしてて頂戴。
IR(赤外線)の解像度が上がってるとはいえ、線状障害物が発見しずらいのは同じなんだから」
そう、高圧線や荷物運搬用の索道なんかの障害物、所謂線状障害物と言われる物の識別が困難なのが、HMDSのビジュアルモードと従来型のNVGに共通する弱点なのだ。
「任せておけ、この辺の地形には習熟している。
周辺に人工物は無いし、軍の演習場内だからな。入り込んでアホな事をする物好きも居ない筈だ」
「プリンス、昨日まで大丈夫だったから今日も平気なんて事は無いのよ。
特に戦場ではね」
「うん、その通りだな。
分かった、とにかく見張りは任せて貰おう」
プリンス。この娘、態度って言うか物言いがどうも一々偉そうなのよね、年は私とそう違わない筈なんだけど。
あ~、そろそろLZ(ヘリボンの降着地域)ね。
目の前にちょっとした台地が見えて来る。標高差は大した事無いけど、かなりな広さの平坦な地形が広がっている。
所謂、制高点だ。
「プリンス、ユーハブ」
「アイハブ・マム」
プリンスへ操縦を交代した私は、一番機の掩護と本格的な索敵の準備に掛かる。
「LZ手前でホバリングして頂戴、近づき過ぎない様にね。私は攻撃の準備をするわ」
「了解、LZ西側で東を向いて停止する」
「風に注意して。停止する時に、無理に東を向かなくてもセンサーシステムを指向して目標を捕捉出来るから大丈夫よ」
「了解、一旦高度20ftで停止。ダウンウォッシュの状況を見ながら降下する」
「了解」
二人の会話がお互いに「~する」って断定的になるのは、私とプリンスの歳が近いからって訳では無い、航空機を操縦するという特別な環境がその理由だ。
コ・パイロットは、自分が操縦桿を握ってる時の決心事項や行動を一々機長へお伺いを立てたりはしない。勿論、何も言わずに操作したりはしないけど、「○○してもいいですか?」などとは言わないし、「◯◯はどうしましょう?」とも言わない。確固たる意志を持って、「○○します」と言うのだ。
それに対して機長は「アファーマティブ(肯定)」か「ネガティブ(否定)」かを伝える。コ・パイの判断に賛成出来なければ、その時改めて「○○せよ」って指示を出すのである。
なぜなら二人乗り操縦だからと云っても戦場では何が起こるか分からない、機長に頼りっ切りじゃ任務達成は覚束ないからである。
更に言えば、飛行中状況は時々刻々と変化する。「どうしたらいいですか?」なんて言ってる間に取り返しの付かない事態に発展しちゃう事もあるかもしれない。
空中では、クルー同士が悠長に相談してる暇なんて無いのだ。
例えばコクピット内で意見が対立した場合、平時ならより安全な方を採用するだろう。しかしそれが戦時となると、安全の優先順位は下がり今度は任務達成が判断基準の優先順位上位になる。
何処の軍隊でもそうだが、入隊時の宣誓では任務達成の為には自分の命を顧みない事を誓うのだ。勿論日本の自衛隊も同様である、そこが同じ国民の安全を守る警察や消防と軍人とが決定的に違う点だ。




