コントロール・ペダル・マージン
ホバリングには、厳密に言うと2種類あるという事は知っているだろうか。一つは地面に対して停止している対地ホバリング、そしてもう一つが空気の流れに対して停止している対気ホバリングである。
いくらFCC(ファイア・コントロール・コンピューター)の補正を受けられるとは言え、射撃時は出来る限りサイドスリップが無い状態の方が命中精度は高くなる。何故ならシミュレーター内の環境の様に風向風速が一定一様の状態など有り得ないからだ、風向きは一瞬毎に変化するし風速にしてもそうである、ましてや地面に対して複雑に変化するダウンウォッシュ(ローターの吹き下ろし流)をや。
だから、目標に対して強い横風が吹いている様な状況で射撃しなければならない場合は、わざと風に機体を乗せ風下に流されながら射撃する場合も有るのだ。地面に対しては動いてるが、風の流れに対しては停止している状態である。つまりこれが対気ホバリングだ。
話が大分横道に逸れちゃったけど、だから私のバイザーにはドリフト旋回してるサーペントの正確な速度がしっかりと表示されてるって訳。
速度表示はさっきの30ktから増えて今は35ktになっている。35ktはサーペントの横風限界速度だ。
「ジュリエット、横進の速度制限が35ktになってる理由は?」
ダークがサーペントを旋回させながらそんな質問を投げかけてきた。
「はい、理由は―」
あ~、サッド隊長にも言われてたんだけど、理由については調べ切れなかったんだよね、うん。
空力的な事?
それとも機械的な事?
両方?
何なの?
機体の回転に合わせる様に私の頭も回転するけど答えが出る訳が無い。
「あ~、それは…」
「はい、時間切れよ。
答えは、コントロール・ペダル・マージン」
「コントロール・ペダル・マージン?どっかで聞いた事ある様な」
「テスト・フライの項目にあるでしょ、横進飛行の時の」
テスト・フライはテスト・フライト、つまり整備確認飛行の事だ。
ヘリコプターを含めて航空機の整備は基本〈予防整備〉である。つまり使用した都度か或いは定期的に整備を行うのだ。勿論故障や損傷した時には〈故障整備〉を行うが、機種毎に決められた飛行時間に応じた間隔で定期点検や特別点検などを実施しているのである。点検・整備の内容は整備の区分で違ってくるが、目視点検や作動点検、部品交換や給脂(グリース交換)、洗浄などを実施する。
ただし、一定の時間間隔で整備するとはいえ例外もあり、特定の条件に至った場合にも点検・部品交換が行われるのだ。例えば、以前私が東南アジアの某国で戦闘した時に敵の攻撃ヘリから逃げる際にTQの制限を超えて使用した事がある。所謂オーバーTQという状況だ。
その時は無事に帰り着けたのだが、機体はメイン・ローターのボルト交換やメイン・トランスミッションのオイル・フィルター点検等々かなり大掛かりな整備が必要な状況になってしまった。
整備の人達は無事に帰って来てくれて良かったって言ってくれたけど。とにかく帰って来てさえくれたら後はどうにでもするって、戻ってこない機体はどうしようも無いからって。
ホント、整備員の皆には頭が下がる思いだったわ。マジ、感謝しかない。
えーと、何の話だったかしら。
そうそう、整備よ整備。
その整備が無事完了したら、今度はきちんと整備がなされていて機能が問題なく発揮出来るかどうかを確認しなければならない。
それがテスト・フライ(整備確認飛行)なのだ。
テストの内容はと言うと。まず、地上においてエンジンの試運転。計器指示、操縦系統、電気系統、無線機チェック等々を実施して、それが異常なかったら次にホバリング点検に移る。
ホバリングは、飛行場内のグラスエリアで行う。そこで操縦装置の点検(サイクリック・スティックやコレクティブ・レバー、ラダー・ペダルの動きや舵の効きを確認)をしたり、油圧系統が正常に働いているか、複数有る油圧系の切り替えが問題なく実施出来るか等を点検する。それとエンジンの調整が正常に行われるかも確認する。
そして、ホバリング時の点検に異常が無ければいよいよ上空に上がって更に様々な点検項目をこなして行くのだ。
うん、話を戻すわね。
ホバリング時の操舵に関する点検は色々とあるが、その中の一つに横進飛行に関する点検も有るのだ。
その点検内容は次の通り。一定の横進速度・高度を保って飛行が出来るか、機首方向についても同じく決められた一定方向を維持出来るかを確認する事。
その時に一つの判断基準になるのが、コントロール・ペダル・マージンなのである。
コントロール・ペダルのペダルはラダー・ペダルの事だ。
ラダー・ペダルの役割について再確認しましょうか。
ラダーの役割は機体の方向コントロールである。頭の上で回転しているメイン・ローターには当然回転方向とは逆に機体を回そうとする力が働く、所謂反トルクである(作用反作用の法則って習ったわよね)。
その反トルクを打ち消さなければ、機体はメイン・ローターの回転方向と逆にグルグルと回り続けてしまう。その制御を受け持っているのがテール・ローターなのだ。
機体の後方、しっぽ(テール・ブームって言うわ)の先で回ってる小さな羽。そのテール・ローターの推力を増減させる事でヘリコプターの方向を制御してるのだ。
例えば、サーペントの場合メイン・ローターは左に回転している。すると機体は反トルクによって逆の右に回ろうとする。機体はメイン・ローターのマストを中心に回されるので、それを制御する為にテール・ローターは右方向に推力を発揮してるのだ。
ラダー・ペダルはテール・ローターのピッチ角、つまり迎角を増やしたり減らしたりする事で推力を調整してる。メイン・ローターの反トルクとテール・ローターの推力が丁度釣り合っていれば機首方向は一定。ラダー・ペダルの左を踏み込むとテール・ローターの推力が大きくなり機体は左を向き、逆に右を踏めば推力は小さくなり反トルクに打ち勝てなくなった機体は右を向く。
さてここで、横進飛行時のラダー操作について考えてみましょうか。
機首を正面に向けたまま左に横進する場合。先ずサイクリック・スティックを左に僅かに倒す、すると機体は左へと動き出す。
ここでラダーを操作せずにそのままにしておけば、機体は風見効果によって横進してる方向、つまり左を向いてしまう。サーペントの様なシングルローターの機体は、後方に伸びたテール・ブームとバーチカル・フィン(垂直安定板)で風上側、つまり進行方向へと機体を安定させるようにあらかじめ調整されているのだ、それが風見効果である。
それともう一つ、テール・ローター周りの空気の流れも影響する。テール・ローターは右方向へ推力を発生させている事は説明した。つまり、機体が左に横進してる状態では気流によってラダーを操作しなくてもテール・ローターの迎角が増えるのだ。テール・ローターの迎角が増えるという事は推力が増加する事と同じである。その状態では機体はやはり、横進している方向である左を向いてしまう。
その為、機首方向を一定にした状態で左横進しようとすれば、スティックを左に取ると同時に右のラダーを必要分だけ踏み込まなければならない。
横進の速度に応じてラダーの踏み込む量が変わってくるのは分かると思う。ただし、ラダーを使える大きさ、つまりテール・ローターの推力を増減出来る範囲は決まっている。
横進時に方向を保持する為に使うラダーの量が適切かどうかを点検するのが、最初にダークが言った【コントロール・ペダル・マージン】なのだ。
横進時に使用するラダーに必要な余裕を確保できているかの確認である。因みにコントロール・マージンはサイクリック・スティックとコレクティブ・レバーにもあり、3つともそれぞれの舵の可動範囲に対して10%以上の操舵余裕が必要とされている。
「どう、ジュリエット。速度制限の理由は分かった?」
「えーと、つまり。操舵の余裕が関係してるんですよね」
「そうよ、サーペントの運用制限で横進飛行時の最大対気速度が35ktになってる理由、それはその付近の速度が一番操舵に余裕が少なくなる可能性が有るって事なの。
操舵に余裕が無いって事は、思った様な操縦が出来ないって事よ」
「なる程、確かにそうですね」
「いい、運用制限内でも飛行方向や速度で特性が違ってくるからね。機体重量の変化でもそうよ、重荷重状態では全ての面で注意が必要になるわ」
こんな逆立ちする様な旋回が出来るなんて思わなかった、でもこの操作も別に危険を冒してる訳じゃ無くてしっかりと運用制限内なのだ。そして、それは私が課題にしてる反転操作についても同じ事、しかもこのドリフト旋回の操作はサッド隊長の使う反転操作に通じるものが有る。
凄いヒントを貰ったも同然、私の中でのダークの株が爆上がりだわ。
「ダーク、操縦代わります。アイハブ・マム」
「ユーハブ」
「私も、ドリフトを使って旋回をしてみます」
先ずは、旋回半径を大きくして速度とノーズ・ダウンをある程度体感してみよう。
それから徐々に、急反転の反転操作の部分に近づけていったらどうかしら。
「よし、課目開始します」
それから私は、残りの訓練時間一杯を使ってドリフトと反転について反復演練した。
徐々に課目の難易度を上げて行き、最後の方ではある程度納得できるレベルで反転急停止を実施出来るまでになったわ。飛行場内の平坦なグラスエリアでの飛行だけど、段階的訓練は重要でしょ。そのお陰で気付いた事もあったしね。




