名付けて〈ドリフト旋回〉
「それで?」
「そ~、それから教範を見返したり色々勉強したんですよ」
あれから数日後、今日はダークとクルーを組んでの訓練だ。
ダークは私と同じA・A(エア・アーマー)社のパイロットで、まあ先輩である。
本名は、ヴァルマ・カリラ。元海兵隊員。そんでもって、むっちゃ美人。私の第一印象は〈エルフかよっ!〉だった位、とにかく線が細いって言うか、そう繊細なの、髪の毛も銀に近い金髪で絹みたいな細やかさ、艶やかさなのだ。
「それで折角私のキャプテン、いえサッド隊長が同乗してくれた成果はあったんでしょうね。
あんたが両生類のク●を搔き集めた以上の価値が有るとは思えないけど、彼の時間を無駄には出来ないんだから」
これよ、これだから…
この口の悪さ、ギャップ萌えなんてレベルを遥か彼方に置き去りにするレベルだわ。
聞いた話じゃ海兵隊仕込みらしいけどね、ホント残念な美人だわ。
そうそう海兵隊って言えば、サッド隊長とダークは海兵隊時代同じ部隊だったんだって。当時のサッド隊長の階級がキャプテン(大尉)だったから、ダークだけは今まで彼をキャプテンって呼んでたんだけどね。流石に今でも大尉呼びじゃ役職と釣り合わないからって、隊長に変えたみたいだけど中々慣れない様で苦労してるみたい。
更に言えば本来なら、タックネームのサッドじゃ無くて本名のバッツ隊長って呼ぶべきなんでしょうけど。でも私も含めてパイロットの間じゃフライト以外の時も普段からタックネームでお互いを呼び合ってるのよ、だからとっさに本名を思い出すのが苦労する場面も結構多くてね。それはしょうが無いっちゃ、しょうが無いわ。サッド隊長本人も訂正を求めて来ないしね。
あとダーク、今シレっと私のキャプテンって言ってたけど、彼女の片思いだから。
ダークはサッド隊長に積極的なアピールをしてるみたいなんだけどね。まあ、その辺りは男女の話だし下手に首を突っ込んで面倒事に巻き込まれるのも嫌だから、遠くから生暖かく見守るスタンスなの。
まあ、サッド隊長も隊長で独身とは言えステディな関係の女性が4人もいるのは如何なものかと思うわ。
彼女が4人よ、4人。ハーレム・ラノベの主人公かっての。
まあいいわ。よし、気を取り直して訓練に集中しなくちゃ。
「先ず左右の横進飛行を実施します。速度は当初10ktから、段階的に制限いっぱいの35ktまで」
「了解した、地面とのクリアランスに注意しなさい」
「はい、では左横進から。課目開始」
最初のダークへの説明通りに横進飛行を一通り実施する。
ここでは、単純な横進時に於ける機体の飛行特性の確認を目的にする。
◆
ヘリでは横進飛行やサイドスリップ(横滑り)をした場合、それを元に戻そうとする力が働く。固定翼機の場合にも同じような働きが有り、それを上反角効果と言う。
ヘリの場合はその働きの事を固定翼機のそれと似ている事から等価上反角効果と呼ぶのだ。
では、具体的にどの様な事が起きてるのか。
ヘリコプターでは頭の上でローターが回転している、そのローター・ブレードにはホバリングの場合360°どの位置でも回転速度は同じである。まあ当然だ、機体の前側でと後側で速度が違うなど有り得ない。
しかし、それがホバリングから右へ横進したらどうなるだろう。勿論ブレードそれ自体はホバリングの時と変わらずに同じ速度で回転してる。だだし、大気の流れを相対的に考えてみてほしい。
サーペントの場合で説明しよう。
サーペントのメイン・ローターの回転はCCW(Counter Clock Wise:カウンター・クロックワイズ)つまり反時計回りだ。つまりサーペントを真上から見下ろすと前側のブレードは左に向かって回って、後側のブレードは右に向かって回っている、ここまでは良いだろうか。
では、いよいよ右に横進するとしよう。
右に横進するという事は、サーペントを上から見下ろした場合右からの風を受ける事と同じだ。さてこの場合、前後のブレードの相対速度はどうなっているだろうか。
前のブレードは左に回転していた、そこへ右から風が吹いている状態である。つまりブレードから見たら後ろから風が吹いている状態だ。
じゃあ逆に後ろのブレードはどうだろう。
後ろは右に回転していた、そこへ右から風が吹く。つまり向かい風の状態だ。
もう分かったと思う、ヘリが横進する事でローター・ブレードに揚力の不均衡が生まれるのである。この場合は、真後ろで揚力が最大になる。
だだし。ここで注意が必要なのがローターは〈回転体〉だという事だ。
ジャイロ効果については聞いた事が有ると思う。
【ジャイロスコピック・プリセッション】
回転体の回転軸を傾ける様にトルクを加えると、位相が90°遅れた所に同じ大きさのトルクを加えた場合と同じ挙動になる。
と言う現象だ。
皆、付いてきてる?
じゃあ、具体的にどの様な事が起こるのかをサーペントの動きで説明するわよ。
右横進した事で後ろ側のブレードが揚力最大になった。
つまり、ローターディスクの後ろが最も上向きの力が大きくなったという事である。ジャイロ効果を無視すれば、ローター・ディスクは前に傾くはずだ、なぜなら後側の揚力が最も大きいのだから。
しかし、実際はジャイロ効果によって位相が90°遅れた所に力が働く。つまり真後ろから90°ずれた位置、実際にはローターディスクの右側で最大の上向きの力が現れるという事だ。
だから右に横進すれば、横進してる進行方向の右のブレードに上向きの力が働き、結果右横進(右横滑り)を復元する方向にモーメントが作用する事になるのである。
まあ、厳密に言うとテール・ローターの推力とかも色々と関係して来るんだけと。とにかく、そういった事を知らずに操縦するのと知って操縦するのとじゃ全然違うでしょ。
サッドが勉強大事!って言った訳よ。
いやー、高校を卒業したらもう勉強とは無縁の生活が送れるって思ってたけど、こりゃ一生勉強から離れられない運命だわ~。
と、そんな感じで横進や、ホバリング旋回に横滑りを組み合わせた飛行で機体の挙動を確認していたの。
「うん、なる程なる程。こんな感じよね」
ホバリングや低空・低速での飛行を妥協する無く追及する事は、戦技飛行みたいに強いGを掛けて機体を限界まで振り回す飛行と同じか、もしかしたらそれ以上に難しい事かもしれないわね。
勿論、空を飛ぶって事に簡単な事なんて一つも有りはしないんだけど。私はちょっと舐めてた所が有ったみたい、知らず知らずの内に奢りとまでは行かない迄も慣れが有ったのかも。
そもそもライセンスを取ってこの会社で働き始めてから、ホバリングの訓練をする機会って言えば飛行場から外に出られない位の悪天候時に、グラスエリア(飛行場の滑走路や誘導路以外の芝生で整地された区域で、ヘリコプターの訓練用に許可された場所)で精密ホバリングをしたりする程度だったからね。
その時も別に手を抜いていた訳じゃ無いし、低空・低速で機体を自分の思う通りに操る難しさは実感してたけど、それを上手く他の飛行要領に結び付けて無かったのよ。
全く、視野狭窄ね。
でもあの時身に付けた技術、スキッドを接地させる時に数インチ単位で位置を調整する様な繊細な操縦とか、コクピットから見える目標物を活用した機体のサイズを捉える感覚とかは絶対無駄にはならないわ、うん。
「どう、少しはましな操縦になって来たみたいだけど」
「はい、大分掴めて来ましたよ」
「よし、アイハブ。サーペントの横風制限は覚えてるわね」
「ユーハブ・マム。はい、35ktですけど」
「うん、じゃ行くわよ」
操縦を私と交代したダークは、そう言うやいなや機体をホバリング旋回に入れ始めた。
でも、ただのホバ旋回じゃ無い。
通常のホバリング旋回はメイン・ローターのマストを中心として機体を旋回させるけど、今ダークがしてるのは機体のノーズの更に数メートル先を中心とした旋回だ。
レーシング・ドライバーが競技車両の性能と己の技量をアピールする為に、連続スピンで定常円を描く様な動きって言ったらイメージし易いだろうか。
このドリフト旋回(って呼ぶわ)、始めはゆっくりとした速度で回ってたんだけど、ダークは徐々にその旋回速度を上げ始めた。
旋速が上がるとそれに合わせて機首が下を向き始める。
車だったらタイヤと路面との摩擦を上手く利用してスピンを制御する所だが、ヘリの場合は無理だ、何せ空中に浮いてるのだ。だからこのドリフト旋回、速度を上げても同じ半径を維持し続ける為には、地面との摩擦以外で機体に掛かる遠心力に打ち勝たなくてはならない。
つまり、機首を下げてローターディスクを前に傾ける事。それがその解決策という訳だ。機首を下げる、ノーズダウンする事でローターディスクを旋回中心へ向け、その事で遠心力に打ち勝つ為の力を発生させているのだ。
ダークの操縦でサーペントの旋回速度は更に速くなり、ノーズダウンもそれに比例して大きくなる。サーペントは機首を下に向け、まるで大きな漏斗の内側に張り付いた様に旋回を続けている。
「わわ、す、凄い」
既にコクピット正面のキャノピーには地面しか見えていない。いったい何度のノーズダウンなのか、まるで機体が逆立ちしているみたいだ。
私はHMDS(Helmet Mounted Display System ヘルメットマウント・ディスプレイ・システム:パイロットのヘルメット・バイザーに各種飛行・戦術情報を表示する装置。従来の計器盤の上へ固定されたガラス板に情報を映し出すHUD(ハッド:ヘッド・アップ・ディスプレイ)が表示を読み取る為には視線がガラス板の有るほぼ正面に固定されてしまう事に比べて、ヘルメット・バイザーから情報を得る為に頭部の動きに制約を受けない利点がある)で機体の速度を確認する。現在30ktね。
因みに、一般のヘリや固定翼機(戦闘機なども含め)はサイドスリップ(横滑り)してる時は正確な速度を知る事は出来ない。
その理由を大雑把に説明すると、航空機が速度を検知する方法が機体に固定された機器によって動圧と静圧の差を導き出しているからなのである。
静圧は機体の胴体表面部分に小さな穴があってそこで測っている。そして、動圧はピトー管といって機体の先端や翼の前縁などから前方に突き出した細い棒状の管で測っている。だからそのピトー管に正面から風(圧力)を受けていなと正確な値が得られないという訳だ。
では、何故私達のサーペントがサイドスリップ中にもかかわらず速度が分かるのかと言えば、それ専用のセンサーをピトー管とは別に持ってるからなのだ。
それがADS(Air Data Subsystem:エア・データ・サブシステム)である。
ADSの目的は、ASR(Air to Surface Rocket:空対地ロケット)の様な無誘導火器の発射時に於けるダウンウォッシュ(ヘリのメイン・ローターからの吹き下ろし流)の影響を補正する為である。だから戦闘ヘリ以外の他機種には基本的に装備されていない。
ADSの構成品にはジンバル構造(上下左右360°自由に動く風見鶏みたいな物よ)になってるピトー管と静圧口、それと気温を計測する受感部などがコンパクトに組み合わされている。
その、それぞれのセンサーから得られたデータがFCC(Fire Control Computer:ファイア・コントロール・コンピューター)に入力されて射撃精度の向上に役立てられているのだ。
先程も説明した通り、ASR(空対地ロケット)や20mmGUN(機関砲)は無誘導の火器の為、射撃時の機体の安定や照準がそのまま射撃精度に影響してしまう、だからADS(エア・データ・サブシステム)からのデータに基づいて修正された射撃諸元がHMDS(ヘルメットマウント・ディスプレイ・システム)に投影されるという訳だ。
ダウンウォッシュの影響を補正する為の局所的な気流の測定は、当然機体がどの方向へどれだけ滑っているかも明らかにする為、その様な情報も積極的にパイロットに提供される。
だから武装の状態に関係無くフライト中はADSを常に立ち上げた状態にして、ホバリングや低速での機体の状態確認に活用しているのだ。
例えば地面に対して一点に静止した状態で、サイドスリップしてるサインが出ているとしたら、それは機体が横風を受けているという事なのである。




