妻が振り込め詐欺を撃退しました
【振り込め詐欺】 面識のない不特定多数の者に対し、電話その他の通信手段を用いて、対面することなく被害者をだまし、被害者に現金などを交付させたりする特殊詐欺の一種。
夜がふけ、世界が寝静まった頃。僕と妻は、寝室の同じベッドに並び、同じ天井を見詰めてウトウトしていた。
「……ねえ、あなた」
「……あ? ったくなんだよ、人が寝落ちしようとしている時に」
「……もういい。そのぶっきらぼうな返事で、話す気がうせた」
「ごめんごめん。話せよ。気になるじゃないか」
「聞く?」
「はい。聞かせていただきます」
「気付いている? 三日前から、だいだい色が切れているの」
「だいだい色? ああ、照明の常夜灯のことね。もちろん、気付いているよ。三日前から真っ暗な部屋で、こうして君と寝ているからね」
「気付いているならどうして買ってこないの? 私が昔から暗いのが苦手だって知っているでしょう? こちらが言い出さなければ、私は永遠に常夜灯の無い漆黒の闇のなかで、恐怖に打ち震えながら就寝をしなければならないってこと?」
「そんな大袈裟な。……悪かったよ。明日、会社の帰りに電気屋で常夜灯を買ってくるよ」
僕と妻は、闇の中で同じ天井を見詰め続けている。
「……ねえ、あなた」
「……なんだよ」
「……もういい。そのぶっきらぼうな返事で、話す気がうせた」
「やめろよそれ」
「聞く?」
「うん。聞く」
「実は今日、うちに『振り込め詐欺』の電話があったの」
「ままま、マジっすか!」
「詳しく聞く?」
「聞くの一択っしょっ! てか、そういうことはもっとはやく報告しろよ!」
――――
この日の午後、妻は振り込め詐欺の電話を受けたらしい。そして、妻いわく、電話の向こうの詐欺師と普通に会話をしていたら、いつの間にやら撃退をしていたらしい。そんなインポッシブル妻と、詐欺師との会話の内容を要約するとこうだ。
♪♪♪~(自宅の固定電話の着信音) ガチャ。
「はい」
妻は、防犯対策のため、日頃は自宅の電話は留守電にしたままで出ない。ただし、この日はたまたま家電業者から電話がかかってくる予定があったので、見慣れぬ番号からの着信ではあったが、業者からだと判断して応じてしまった。
「はい」
妻は、防犯対策のため、いつもこちらから名を名乗ることはない。ただ「はい」とだけ返事をする。「もしもし」すら言わない。理由は、「長くしゃべると、年齢、性別、こっちの人柄など、相手に読み取られちゃうから」とのこと。「決して失礼はしないよ。怪しい相手でなければ、すぐに警戒は解くよ」とのこと。
「はい」
『…………あの~』
「はい」
『…………その~』
「はい?」
『今から言う口座に、お金を振り込め!』
「いきなりかよ!」
『……』
「……え? え? え?」
『……』
「もっとこう、オレ、オレ、的なやつ、ないんすか?」
妻は、この時点で、笑いを堪えるのに必死だったらしい。
『……』
妻いわく、こいつも、受話器の向こうで笑いを噛み殺している様子だったらしい。
『もう一度言うぞ……今……から言う、こ、こ、口座に……ぷぷっ」
「あ、笑った。……新人さんですか?」
ガチャ。つー。つー。つー。
以上が妻の振り込め詐欺撃退の全容である。
――――
僕と妻は、闇の中で同じ天井を見詰め続けている。
「――報告終わり。それではおやすみなさい」
「いやいやいや、おやすみじゃなくて。今回はたまたま馬鹿ガキのイタ電かなんかだと思うけれど、自宅にそんな電話があったってこと自体、やっぱり物騒じゃん? 一応は夫婦で『振り込め詐欺』の対策をしておくかい?」
僕は、隣の枕の妻にそう提案をした。
「対策ってなによ?」
「最近テレビで観た特殊詐欺の手口で――『奥さん、おたくのご主人が、うちの店で万引きをしました。社会的立場のある人のようですし、これからお伝えする口座にお金を振り込んでいただければ、今回だけは示談としますが……』という電話が突然かかってくるってのがあってさ。電話口の奥さんが『本当ですか? にわかには信じられない! 主人と話をさせて下さい!』と言うと、驚くことに、電話口で夫に電話を替わるんだって」
「ふむふむ」
「すると、電話の向こうの、当然ながらニセの夫が、『お前~、ごめんな~、助けてくれ~』なんて、喉の潰れたような、いまいち誰と判別しにくい泣き声で、妻に謝り続けるんだって」
「ふむふむ」
「その結果、パニックになった奥さんは『この度は、うちの主人が誠に申し訳ありません。なにとぞ警察にだけは……』と謝罪をして大金を振り込んじゃうらしい。そんな詐欺に君が引っ掛かっては大変だから、とりあえず夫婦しか知らない合言葉とか決めとくかい?」
「大丈夫、その必要はない」
「いや、でも、突然そんな電話が掛かってきたら、さすがの君でも、焦って、コロッと騙されちゃうんじゃない?」
「心配しないで。その時は、受話器の向こうの相手にこう言ってやるから」
それから妻は、臨場感あふれる口調でこう叫んだ。
「いや~、いつかやると思っていました! さあ、一刻も早く警察に通報して下さい! ど~か、牢屋にぶち込んで下さい! ど~ぞ、禁固10年にして下さい! しっかりとボディーチェックをしてくださいね。そいつ、きっとまだ何か盗んでいますよ。ズボンのポケットとか調べましたか? 単三乾電池2個とか、しょうもないものを盗んでいるはずです!」
「さんざんな言われようだな」
我が妻を何と形容しよう? 恐るべき愛妻? 愛すべき恐妻? う~ん、どっちでもいいや。毒舌ではあるが、頼もしいパートナーであることは間違いないわけだし。
「それでは、今度こそおやすみなさい。明日は忘れずに電気屋さんで常夜灯を買ってくるのよ」
そう言いうと妻は、僕に背を向けて寝入った。僕は、しばらく一人で天井を見詰め続けていた。闇の中で目を凝らしていると、徐々に目が冴えてきて、天井クロスの模様がくっきりと見えてくる。
さあ、明日も早い。今夜はもう寝るとするか……
「……常夜灯、万引きしちゃダメよ」
「しねーよっ!」