第十四話
盗賊に最も大切な要素は盗みの腕でも逃げ足でも無い。
危険を察知し、予見する力だ。俺はその能力に人一倍優れている自信がある。
だから言える。コイツは、この生物は危険だと。俺の盗賊としての本能が告げていた。
「無理だ、逃げよう……。逃げるぞ、早く!」
煙幕を張って……、他の奴らの攪乱系の魔法で何とか……。
「駄目だ。こいつは……、駄目だ」
リヒトが、震える声を押し殺してそう告げた。
また混乱して可笑しな事を言い出したのか。問答をする暇は無いし、気絶させて連れ帰るか。
そう思った時、他の面々も前に出た。
「アンタは下がっていなさい。後は私達でやるから」
「まあ、最初からお前に戦わせないって契約だったからな」
「聖女としての役目もまた、神の思し召し」
「狩、る…………!」
皆、手足が震えていた。
その目は恐怖で染まっていたが、揺るがない強い意志を感じた。
「馬鹿かよ……、馬鹿なのか!? アイツがどれだけやばいのか分からないのか!?」
「分かるに決まっているだろ、今も手が震えて仕方ねえよ。畜生め……」
「なら、何で逃げねえんだよ!
「それは、僕たちが勇者パーティだからだ」
意志は揺るがない。
武器を構え、震える眼で敵を見据える。
「……俺は逃げるぞ、付き合ってられねえ! こんな場所で死にたくねえ!」
「ええ。今までありがとうね」
「怪我、気を付けて……」
最後の最後で、マリンは憎まれ口を叩かなかった。
お前らを見捨てて逃げ出す男に、どうしてそんなに優しい言葉が吐けるんだ。
「……潜伏」
気配を消す魔法で、走って逃げた。
走って走って、ようやく木々が生え揃った地点まで辿り着いた。
そのまま逃げてしまえばいい物を、俺は木々に隠れて気配を隠した。
自分でも何故、こんな事をしたのか分からない。
普段の俺なら一目散に逃げていたはずだ。体力が尽きるまで走って、奴が追って来れない場所まで逃げて、ようやく休んでいたはずだ。
なのに俺はここで立ち止まり、まるで皆が死なないか見守る様な真似をしている。
クソッ……。
「ああァ? 何だよ、一匹逃げやがった……」
地鳴りを思わせる低音の声が響いた。
奴がデカいせいか声が反響して聞こえる。
「ふっ。お前如きならフルメンバーじゃなくても十分って事だ」
リヒトは軽口を叩いているが、その手は震えていた。
「キッ、ヒヒヒっ。そ、そうかァ……、十分かァ……!」
ガルバッタは肩を震わせて言った。リヒトが恐怖に震えているのを分かって、嘲笑っているんだ。
勇敢に立ち向かう勇者に掛ける言葉じゃない。
俺の胸の底から何かがふつふつと煮え滾って来るのを感じた。
「太陽の欠片よ、紅蓮の化身よ。我は命ずるーーーーー」
マリンが詠唱を開始した。
瞬間、皆が一斉に動き出す。
ガッサムとリヒトが前に出て、カルは隙を伺う様にガルバッタの周囲を駆けた。
対してガルバッタは敢えて、その動きを静観している様に全く動く素振りを見せなかった。
「落岩!」
最初に攻撃を仕掛けたのはガッサムだった。盾を持ったまま突進し、その右手に握った剣で肉をそぎ落とそうと振り下ろす。
「何かしたかァ?」
「硬ぇ……!」
ガッサムは剣士では無いものの、その怪力で大抵の魔物を斬る事が出来る。
しかしガルバッタが身に纏う鋼鉄の如き硬度の鱗には刃が通らず、唖然としていた。
「どいて、ガッサム!」
「ッ!」
ガッサムは地面を転がりながらも、その場を離脱した。
そしてマリンの直線状に敵はいなくなった。
「爆炎嵐!」
瞬間、空に届く様に思える壮観な火柱が立ち上った。
爆炎は回転しながら内部にいるガルバッタを激しく痛み付けている事だろう。
「炎上網! 炎球! 風!」
間髪入れずにマリンは追撃する。魔力の残数など考えていない。魔法で捕らえる事が出来た今が絶好の好機。
(畳み掛ける……、ここで殺す!)
さらに風の魔法で炎を増長させ、その威力は伝説の超級魔法に近いものになった。
最早災害に近いその魔法は、周囲をも呑み込んで破壊していた。
「っ、ハァ……ハァ……」
数十発の魔法を一気に放ったマリンは、ついに体力が尽きて膝を突いてしまった。顔は青ざめて魔力切れ直前だ。
しかし、マリンは確かな手応えを感じていた。
だが。
「利かねえなァ!」
ガルバッタは無傷の状態で、炎を嵐を打ち破って現れた。
所々に焦げている鱗が見えるが、大したダメージじゃないだろう。
「嘘でしょ……」
「いや、十分だ!」
ガルバッタの視界が遮られ、僅かに出来た隙をリヒトは見逃さなかった。
背後から人知れず近付き、完全に無防備なガルバッタにその刃を突き立てた。
「光剣!」
生物としての生存本能だろうか。
ガルバッタは県が当たる直前で身を翻し、直撃は避けた。
しかし鱗は切り裂かれ、蒼い鮮血が漏れ出ていた。
「チッ。浅いか」
「痛ェ、痛ェなァ!」
痛い痛いと言いながら、ガルバッタは嬉しそうに口端を上げていた。
戦闘狂と言う奴だろう、自分が傷付けられて喜んでいる。
「爆炎槍!」
「あァ!?」
炎の槍がガルバッタの顔面に直撃した。
先ほどまでマリンは魔力切れ寸前だったが、近くにいるオリヴィアのおかげで魔力を回復したのだろう。
あの方法ならマリンは何発でも魔法を放てる。
だが……。
「あの馬鹿っ、そんなに堂々と晒していたら……!」
マリンとオリヴィアの致命的な失策に、俺は思わず声を漏らした。
「マジックヒー……ッ!?」
「お前、邪魔だなァ……」
「――――」
ガルバッタの巨大な拳がオリヴィアを捉えた。
地面を何度も跳ねながら、数十mの距離を吹き飛ばされた。
「オリヴィアあああああっ!」
「け、ほっ……」
「アァ?」
どうやら即死は逃れたらしい。だが左腕と右足が不自然な方向に折れ曲がり、頭からは大量の血を流していた。
あの距離で追撃されれば俺達は為す術無く、オリヴィアを見殺しにする事になっていたが、どういうわけかガルバッタは拳を眺めて、不思議そうに首を傾げていた。
「聖剣ぁぁぁ!」
「うるせぇえんだよっ!」
「グッ、ァアアアアッ!」
大振りの一撃が、リヒトの横っ腹に直撃した。
肋骨が折れる生々しい音が響き渡り、俺が隠れていた場所の近くにまで飛ばされて来た。
「おい、大丈夫か!?」
「……ニッ、クか。……大丈夫だ…………」
「大丈夫じゃねえだろどう見ても!」
咄嗟に抱え上げてしまったが、リヒトの全身は血だらけでぼろぼろだった。おそらく骨も数か所、折れている。
「ニック……、さっきは……」
「喋るな!」
クソ、どうして俺は何の得にもならない事をしているんだ。
「……僕が冷静じゃなかった。諫めてくれて、ありがとう」
こんな時に言う話じゃねえだろ……。
とにかく傷の手当が先だ。応急処置的なポーションは数本持っているから、それをぶっかけてやる。
リヒトの表情が和らいだ。脇腹を触って確認するが痛みに悲鳴を上げる事はない。骨はくっついたらしい。軽い傷口も塞がっているが……、ポーションは失った血までは戻せない。
すぐにまともな医療か、オリヴィアに診て貰う必要がある。
「君は、みんなを連れて逃げてくれ」
だが、リヒトは俺の肩を掴んで、起き上がってみせた。
相当な激痛だろうに、馬鹿げた精神力だな。
「ああ、何とかあいつらを連れて来るからお前は……」
「僕はここで留まって、アイツを少しでも足止めする」
「はあ!?」
頭でも打ったのかコイツ!
「馬鹿か!? お前、今負けたばっかりだろ! 勇者は他の有象無象とは違って替えが利かない存在なんだぞ! お前が死んだら、どうせみんな死ぬんだ! さっきまでの会話を忘れたのか!? 何がお前をそうまでさせるんだ!」
「僕が……、勇者だからだ」
勇者。このたった二つの文字に、一体どれだけの想いが込められているのだろう。
リヒトは薄ら笑いを浮かべているが、その目は全く笑っていない。
「君にしか頼めないんだ、ニック。―――――みんなを頼む」
……俺にリヒトの決意を揺るがすだけの説得は、出来ない。
「俺は今日、散々契約以上の働きをしたんだけどよ」
「ああ。知っているよ、本当にありが……」
「違反金はお前の財布から払ってもらうからな」
「ッ! …………っ、ああ。必ず払うよ」
「俺のモットーは狙った獲物は必ず手に入れるだからな。逃げれると思うなよ!」
潜伏を発動して、走った。ある程度の実力がある相手はこのスキルを使っていても、視線や衣擦れの音で気付く事があると聞いた事がある。
だが俺は盗賊ニックだ。物音一つも絶対に立てずに、ガルバッタの近くまで行く自信があった。
「クソ、が……!」
「…………」
「ァ、ア……」
「……神、よ」
リヒトが吹き飛ばされた後も奮闘していたが、最後まで立っていたガッサムが倒れた事で、勇者パーティは全滅に近い形になっていた。
だが全員がまだ息がある。助けられるが、それにはガルバッタの気を引き付けないといけない。
「聖剣・天!」
「キヒヒッ! 待ってたぜェ、勇者ぁああああ!」
そしてその役目はリヒトが請け負った。
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