防衛費増税とマクロ経済 ~衰退していく日本社会
2022年の12月、世間は岸田政権が突如発表した「防衛費の増額と、それに伴う増税」に沸きました。
防衛費の増額には賛成だが、増税には反対。防衛費増額にも増税にも反対。賛成。などなどと様々な反応があった訳ですが、この問題はなかなか答えが見え難い側面があります。
心情的には「防衛費増額に反対」という主張に納得はできます。戦争兵器などに貴重な資源を割くのではなく、もっと生活を豊かにするような資源の使い方をしてもらいたいと思うのは当然の話でしょう。それに、「中国の軍事費は日本の6倍以上」といった危機感を煽る論調には詭弁が含まれてありますし。もし仮に中国と敵対している国が日本だけであるのなら、日本は待ったなしで防衛費を増やさなくてはならないでしょうが、中国が敵対しているのは日本だけではありません。アメリカともももちろん敵対していますし、インドとだって国境紛争をしょっちゅう起こしています。今は接近していますが、かつてはロシアとだって国境紛争を起こしていました。
つまり、「中国の軍事費は日本の6倍以上かもしれないけど、中国は敵も日本の6倍以上かもしれない」って話です。日本の防衛費増額の妥当性を、中国の軍事費に求めるべきかどうかは分からないのです。
が、ならば僕が防衛費増額に完全に反対なのかと言えばそれも違います。何故なら、中国が暴走しかねない状況が迫っている可能性は否定できないからです。
中国では凄まじい不動産バブルが起こっていました。『中国 ゴーストタウン』で検索をすれば簡単にヒットしますが、その規模は人類史上最大と主張している人もいる程で、「無事には済まないだろう」というのが大方の見方です。これまでのところはなんとか誤魔化して来たようですが、近年に入り、その影響と思われる様々な大きな事件が起こっています。それに加えて、コロナ19への過剰な予防策が経済に打撃を与え、好調だった情報技術産業を抑制してしまいました(中国製のゲームが日本でも人気なので、知っている人も多いのではないかと思いますが)。これは情報技術産業が大きくなり過ぎ、中国共産党の脅威になる可能性があったからだと言われています。
そして、その上で更に、アメリカが本格的に中国経済を抑える動きを見せています。サプライチェーンから可能な限り中国を外そうとしているのです。主要国もそれに同調する動きを見せつつありますから、どの程度かは分かりませんが、中国経済にダメージを与えるだろう点はまず間違いありません(半導体関連の規制が特に効果があるように思えます)。
早い話が「中国に金を持たせたら、何をするか分からない」と多くの国が考えているという事なのでしょう。
中国が今の態度を変えないのであれば、これは賛同するしかありません。が、これに問題がない訳でもないのです。中国の経済にダメージを与えて困窮させてしまったら、それはそれで軍事的行動に出るリスクが高まるからです。内憂を外に目を向けさせる事で誤魔化すというのは、こういった国家の典型的な行動パターンです。いえ、最悪、軍部が暴走してしまう危険だってあるかもしれません。実際、2022年12月に入って中国とインドの間で軍事衝突がありました。インド側の主張を信じるのなら、中国軍が一方的に侵入して来たのだそうです(飽くまで“インド側の主張”ですが)。
中国とインドが国境紛争を起こしているのは先に説明した通りですが、この中国軍の行動については理由がよく分からないそうです。経済的に疲弊して来ている中国は、自国の製品を買ってもらおうと様々な国に営業をしているそうなのですが、この中国軍の行動はその営業活動の足を引っ張ります。
つまり、これは“軍部の暴走”である可能性があるのです。
そして言うまでもなく、中国は日本の隣国で、しかも地政学的に日本や台湾は中国にとって非常に重要な位置にあり、しかも中国共産党は「台湾を軍事力を用いてでも手に入れれる」と宣言までしているのです。中国の軍事活動が活発化すれば、ターゲットにされる可能性は非常に大きく、そうなれば日本は絶対に巻き込まれます。
僕は軍事については専門外ですが、大きなリスクがある点だけは分かります。「備えが必要」と主張されれば、それを否定できるだけの根拠は持っていません(いえ、そもそも重要な情報が隠されている可能性が高いので、誰にも今の日本の軍事力で充分なのか否かは判断できないと思います)。ですから、軍事力拡張要不要の議論に参加するつもりはありません。
――ただし、それでも一点、指摘しておかなくてはならない事があります。
今現在の主流な議論は増額する防衛費を増税で賄うか否かのみでしかほとんど議論されていません。が、それでは重要な観点が抜けてしまっています。
果たして、日本政府は増税によって手に入れたお金で何処から武器を買うつもりでいるのでしょうか?
防衛費を増税で賄う事への主な批判の理由は、「増税は経済に悪影響を与える」というものです。増税すれば、通貨を奪われるので、それだけ国民は消費を行えなくなります。当然、消費は減り、不景気を招いてしまうのですね。しかし、日本国内の企業から武器を買うのであれば、仮に増税したとしても、実は経済に悪影響は与えないのです。
冷静になって考えれば、その理屈は簡単に理解できます。
確かに増税によって通貨を奪われた国民の消費は鈍ります。が、代わりに国がその分国内で消費を行うのであれば消費量は変わりません。GDPは同じです。いえ、もし仮に“使われない死蔵された通貨”を増税で徴収し、国が国内で使うのであれば、むしろGDPは増えるでしょう。
この説明を読んで、「オリジナルの変な経済理論を言い始めた」と思った方もいるかもしれませんが、これは僕のオリジナルではなく、“均衡予算乗数の定理”という何だか難しそうな名前で呼ばれている既存の理論です。ですので何故もっとこれが議論されないのかは分かりませんが(一度だけ、テレビ番組で同等の内容を述べている人を見ましたが)、とにかく、国内で武器を製造するのであれば、増税によって資金を調達したとしても経済に悪影響は与えないのです。
ただし、恐らくは“防衛費の増額”は単に防衛の為に行うものではないのでしょう。アメリカに対する政治的な取引もその背景にはあるのではないかと思われます。ですから、全額ではなくとも、アメリカから武器を購入する事になるのではないかと思われます。
(単なる想像に過ぎませんが、日本とアメリカが共同で最新の半導体を開発製造する事が決まったのは、武器をアメリカから購入する代わりなのかもしれません)
ですから、今回の防衛費の増額にこの“均衡予算乗数の定理”の発想は応用する事ができません。が、この発想はマクロ経済を理解する上では重要な役割を果たし、他の分野での応用が期待できます。
多くの人は“出費”と聞くとマイナスのイメージを持つと思います。がしかし、それがお金が外国に逃げる出費なのか、それとも国内を巡る出費なのかで、日本社会全体を捉えるマクロ経済の領域では、その意味合いは大きく異なって来るのです。
例えば、エネルギー資源です。
日本にエネルギー資源はほとんどありません。ですから、外国からの輸入に頼る事になり、日本で電気などのエネルギーを使えば使う程、外国にお金が出て行ってしまいます。しかし、再生可能エネルギーは自国産エネルギーと言ってしまっても過言ではないのです。もちろん、設備を整えるのに必要な資源は外国から調達しなくてはならなかったりもするので全てではありませんが、それでも化石エネルギーなどに比べれば遥かに自国内を巡るお金は多くなります。
電気代に仮に1万円支払ったとします。化石エネルギーを用いていたなら、5~6千円は外国に流れてしまうかもしれませんが、再生可能エネルギーならば1千500円~3千円程度で済むのです(数字については、大雑把な予測なのであまり信頼しないでください)。
これはエネルギー資源輸入分の金額が、そのまま日本のGDPになるという意味でもあります。
化石エネルギーの輸入費は年によってばらついていますが、仮に20兆円程だったのなら、14兆円程は日本のGDPが増えます。これだけで岸田政権が掲げる防衛費増で国外に逃げてしまう通貨の全てを回収する事ができ、更に充分過ぎる程のお釣りも入ります。
或いは、再生可能エネルギーに転換すれば出費は多くなってしまうかもしれません。がしかし、それでも外国に出て行くお金が減り、日本国内で回るようになるのであれば日本社会全体にとってはむしろプラスになるのです。出費は多くなってしまいますが、それ以上に収入が増える可能性が高いという話です(もちろん、各企業や家庭で差はあります。誰か極一部の人に富が集中してしまっていたならこの限りではありません)。
「電気料金に再生可能エネルギー分が上乗せされている」
と、文句を言っている人が時折いますが、その主張が短慮である事が分かるでしょう(廃炉費用など、原子力発電所の費用だって上乗せされているので、これは再生可能エネルギーだけの話ではありません)。
もちろん、再生可能エネルギーが普及すればエネルギー自給率が増えるので、安全保障上も価値があります。これは実質的に軍事力が上がっているのと同義です。
さて。
この話をもう一歩前に進めてみましょうか。
先の話は、増税であったり、電気料金であったりと、何かしら“出費”が伴います。しかし、出費が伴わない方法もあるのではないでしょうか?
例えば、借金。防衛費増額に関しても、多くの人が国債発行による借金で賄う事を主張しています。その主張通りに、借金によって賄う事はできないのでしょうか?
結論から言ってしまうのであれば、「できる“場合”もあります」。仮に経済成長が約束されているのであれば、増税をしなくても借金によって費用を賄う事ができるのです。理由は非常にシンプルです。経済が成長しさえすれば、それによって税収が増え、借金を返す事ができるからです。
実はこれ、借金すら必要ではありません。
経済成長が約束されているのであれば、そのまま通貨を増刷してしまっても良いのです。
「そんな事をしたら、物価上昇が起こってしまう」
と思いますか? ところが、それは心配ありません。何故なら、経済成長によって通貨需要が増えているからです。通貨需要が増えた分、通貨を供給しているだけなのです。
「前例がない。大丈夫なのか?」
と疑問に思った人もいるかもしれません。が、既に似たような事は行っています。“成長通貨”と言って、経済成長に合わせてお金は供給されているのです。経済規模が二倍になったら、お金も二倍必要になるのは容易に想像できますよね? だから供給するのです。先に述べた方法は、多少タイミングが前後するだけで、成長通貨による通貨供給と同じ事を行っています。なので大きな心配はないはずなのです。経済成長さえ起こせるのなら、借金でも増刷でもいくらでも通貨の供給は可能なのです。
では、どうすれば確実に経済成長を起こせるのでしょうか?
これも非常にシンプルです。
経済成長とは、生産物が増え、それが消費される事によって起こります。ならば、国が「何か生産物を消費しなくてはならない」というルールを定めれば良いのです。具体的には、公共料金でも税金でも何でも良いのですが、それでお金を徴収し、何かを買えば良いのです。
もちろん、その“何か”とは社会全体にとって必要なものであるべきでしょう。例えば、再生可能エネルギーだとか。
ちょっと話がややこしくなって来てしまいましたが、主張している内容自体は何度も強調している通り、非常にシンプルです。
1.国内の企業から買うのであれば、増税を行っても日本国内をお金が回るだけなので、国全体の経済に悪影響は与えない。
2.そのお金は借金や増刷によって賄える。
これだけです。
経済成長さえ起こせるのなら、通貨を増刷できる。そして、再生可能エネルギーの設備を整えれば経済成長する。だからその分、通貨を増刷できるって理屈ですね。
この考えは既存の経済学とも矛盾しません。
GDPを求める計算式は、消費+投資+政府支出+(輸出-輸入)です。再生可能エネルギーの設備を整えれば、この式の内、投資か政府支出かが増え、更に化石エネルギーなどを用いずに電力を得られるようになるので輸入が減ります。結果、GDPが増えるのですが、これはもちろん経済成長を意味します。経済成長するのだから、当然、通貨を増刷しなくてはなりません。つまり、増刷によって賄う事が可能になるのです。
ただし、ここで注意点ですが、出費が不要なのは最初の一回だけです。「“通貨の循環量”が増えるのに合わせて通貨を供給する」という事を行っているので、二回目からは何かしら出費を増やさなくてはなりません。そうではなくては、“通貨の循環”が成立しませんからね。先に説明した通り、収入も増えるので“循環”が成り立つようになるのです。
この方法を用いれば資源を活かす為の資金面での制約がなくなります。ですから、資源さえあるのなら、再生可能エネルギーでも福祉でも、あらゆる生産物が生産可能になり、それにより経済成長も起こせる事になります。
僕はこの方法をもう十年以上も前からずっと訴えて来たのですが(因みに、通貨の循環で経済成長を説明するこのモデルを“通貨循環モデル”と名付けています)、最近になってMMT派という経済学の学者達が似たような主張をしていると知りました。彼らは物価上昇にさえ警戒すれば、いくらでも国は借金しても構わないと考えているのです。ただし、彼らの主張には“経済成長”という条件が一つ欠けているので不完全なのですが。
一時、MMT派は大いに注目を集め、日本の政治家達にも影響を与えそうだったのですが、世界の金利の上昇に伴ってその欠点が明らかになると自然に声は小さくなっていきました(因みに、僕は金利はコントロールできないので国の借金は問題になる、とMMT派の主張の欠点を指摘していました)。
比較的早い段階でMMT派の主張の欠点が明るみになった事自体は好意的に捉えるべきだと思います。「国の借金が膨らんでも害にならない」という誤った考えが広まらずに済みましたから。ですが、その一方で、
「資源さえあるのなら、再生可能エネルギーでも福祉でも、あらゆる生産物が生産可能になり、それにより経済成長も起こせる」
という人間社会にとって有益な方法から遠ざかってしまいました。
ただし、では世界の経済学者達の全てがこの方法に辿り着いていないのかと言えば、それも違います。『政府は巨大化する マーク・ロビンソン 日本経済新聞出版』という書籍の271ページ辺りには、表現は違いますが、同等の内容が説明されあり、しかも294ページ辺りには多くの経済学者がそのような考えを持っている(正確には、“不景気の時には通貨を増刷するべき”ですが意味合いはほぼ同じになります)と記されてあります。
ですから、何処か一国でもこの考えを採用した政策を行い、そしてそれに成功したなら、ブレイクスルーが起こって通貨発行権を持つ多くの国で同様の政策が実施される事になるかもしれません。それにより、一気に再生可能エネルギーなどの普及が起こる可能性があります。
ここで注意点ですが、この政策は“資源”の制約を受けます。早い話が、資源がなければ実施できないのです。世界中の国々が同様の政策を実施すれば、当然、奪い合いになって資源が不足してしまうでしょう。短期的には問題になる事が予想されます。資源だけあってもそれを活かせる技術力がなければどうにもできないので、どこまで酷い事態になるかは分かりませんが(そもそも2022年12月現在の今は世界的に資源が不足している状態でもあるのですが)、「早い者勝ち」である点は確かです。
日本は経済成長が鈍化している上に、膨大な借金を抱えていますから、他の国に遅れてしまう訳にはいきません。日本はチャレンジ精神が低く、“新しい試み”にはあまり手を出さない傾向が強いですが、今はそんな事を言っていられるような状態ではないのです。できる限り早く動くべきです。何処か他の国が気付く前に。
もっとも、自国の事ばかり考える訳にはいかきません。それでは、人間社会全体が不幸に陥ります。
資源不足に伴う様々な問題にも予め準備しておくべきでしょうし、再生可能エネルギーが普及すれば、エネルギー資源に依存している国が困窮してしまう危険があります。そういった国々にも救いの手を差し伸べる為の何らかの方策が必要です。
これには国際的な協調が不可欠です。
日本にどこまでリーダーシップが期待できるかは分かりませんが、この政策の実行と共に各国に「困窮するだろう国を救う為の方策を考えよう」と呼び掛けるべきです。
――さて。
ここで少し観点を変えます。
これまでの説明では、“資源があれば、経済成長できる”と強調してきました。ですが、果たしてどうすれば“資源がある”状態になるのでしょうか? 一つにはもちろん採掘や移民などで資源を手に入れる方法があるのですが、こればかりではありません。生産性を高める事によっても資源を手に入れられます。
労働資源で説明するのが最も分かり易いでしょうから労働資源で説明しますが、工場などを建設して大量生産が可能になれば、人が余ります。今まで生産するのに十人必要だった作業が、一人で生産できるようになるといった事が起こるからです。この場合、九人は失業者になりますが、それは言い方を変えれば“労働資源がある”状態でもあるのです。
近年の例なら、ネット販売をすれば実店舗が必要なくなり、その分、土地や建物や労働力といった資源が余るようになります。そしてそれら余った資源を別の新たな産業発展の為に投入すれば、経済は成長するのです。
「経済成長の為には生産性を高める必要がある」という話はほぼ常識と言っても過言ではありません。当然ながら、日本の政治家や官僚だって知っているはずです。ですが奇妙な点があるのです。にも拘らず、日本の政治家や官僚達は生産性を高めるどころか、意図的に低く抑えようとしているようにすら思えるケースがあるのです。
日本は経済が停滞していて、「失われた30年」とまで言われていますが、こういった点を踏まえるのであれば経済が成長しなくて当然だと直ぐに分かります。
少し前の事になります。
財務省の官僚が、借金に頼る政治を行っている政治家達を批判しました。「財政規律を護れ」と。これに対して様々な人が怒りの声を上げたのですが、その中には「自分達が経済を停滞させているのに、借金に頼る政治家を批判するのか?」といったものがありました。
この批判は正しいと僕は考えています。
日本経済の停滞について、「ほとんどの期間、政権を担って来た自民党に最大の責任がある」と主張している人がいます。一見、妥当な発言であるように思えますが、僕は必ずしも正しくはないと考えています。最大の責任は、自民党ではなくて官僚にあると判断しているからです。
“日本の政治は官僚が動かしている”
よくこのように言われていますが、官僚支配が強いのがこの日本の実情です。だから選挙で政治家を変えても、あまり良くならないのでしょう(いえ、官僚の中にも真面目に日本社会の為に尽くそうとしている人もいるようなのですがね)。もちろん、官僚に従属している族議員と呼ばれる政治家達もいるのですが、なんとか対抗しようとして来た政治家もいるのです。それを鑑みるのなら、日本の経済停滞の主犯は官僚であると判断するべきでしょう。対抗し切れなかった政治家達の力不足を批判する事はできるでしょうが。
つまり、経済にとって悪影響であると知りながら、生産性を抑えるような政策を執って来たのは官僚なのです。
では、どうして、日本の官僚は日本経済が衰退すると分かっていながら、そのような政策を執り続けたのでしょうか?
答えは「既得権益を護る為」です。
官僚は許認可権を権力の源泉にしている場合が多いのですが、許認可権が力を持つ為には当然ながら“規制”が必要です。ですから官僚は規制を護ろうとするのです。
少々特殊ですが、それが分かり易い事例がパチンコ業界でしょう。パチンコは本来ならばギャンブルで法律違反です。ではどうして堂々と営業していられるのかと言うと、警察組織とパチンコ業界が癒着していて見逃してもらっているからです。早い話がパチンコ業界は、警察組織に賄賂を支払っているという事です。
ですが、もし仮に法律が改められ、ギャンブルが法律違反ではなくなってしまったならどうなるでしょうか? 警察に賄賂なんか支払わなくても、パチンコ業界は堂々と営業をし続けられます。だから、警察としてはギャンブルを法律で“規制”し続けて欲しいのですね。
そして、“ギャンブル”となると規制を解除するべきかどうかは分かりませんが、世の中には規制を解除した方が社会にとって有益なケースも多々あるのです。例えば大手マスコミ、テレビ業界。大手マスコミは、実は法律で保護された既得権益団体なのですが、それに拘り過ぎたが為に衰退しました。既に分かっている人もいるかもしれませんが、インターネットの普及で利益を奪われてしまったのです。既得権益に依存したままでは、いずれ縮小を余儀なくされると分かっていた一部の人達は、ソフトとハードの分離…… つまり、番組制作と放送の分離によって、テレビ局をインターネット時代に適応させる為の法律まで作りました。番組制作を別扱いにしておけば、例えばフジテレビで作った番組をインターネットなどで流し易くなります。
(因みに、昔からこれができていたのがアニメ業界です。だからアニメは様々な局で放送されていますし、海外の配信サービスでも流されています。このお陰かどうかは分かりませんが、日本のアニメは国外からも高い人気を得られています)
ですが、テレビ局側がこれに直ぐには応えず、その間にユーチューバーなどに人気を奪われていきました。つまり、自滅してしまったのですね(と言っても、完全に終わった訳ではもちろんありませんが)。
そして、もし仮に、マスコミ改革が進んでいれば状況は変わっていたかもしれませんが、未だに官僚はマスコミに対して強い影響力を持っているのです。
2020年7月に始まった小売店で用いるビニール袋有料化の際、それに反対する為の様々なネガティブキャンペーンが大手マスコミによって展開されていました。しかも、その多くがなんとデタラメだったのです。
まず、そもそも“有料化”ではありません。僕も便宜上、“有料化”と表現していますが、有料化ではないのです。何故なら、初めから有料だからです。会計を少しでも勉強した事のある人なら誰でも分かっていると思いますが、ビニール袋代は商品原価に含まれているので既に商品価格としてビニール袋代を支払っています。その為、制度開始と共に商品の価格を下げた店もありました。ですから、“有料化”というよりは、“選択制になった”と表現する方がより適切でしょう。
コンビニのようにメーカー側の価格決定権が強い店では、価格の変動は鈍かったかもしれませんが、そのお陰で小売店の経費は削減できたはずです。円安などの影響で原油価格が上昇しましたから、もし以前のようにビニール袋が付いて来るままだったなら、小売店の経営は更に厳しくなっていた事でしょう。本来、不必要なビニール袋を消費者が強制的に買わされる事もなくなったので、資源の無駄遣いの削減という意味でも価値があります。もちろん、無駄遣いが減った分、輸入量も減っているので、日本社会全体にとってもプラスです。
結果オーライではありますが、これについては自民党の手柄と言ってしまっても良いのではないでしょうか?
まぁ、そのように報道しているマスコミを見かけた事はありませんけどね。
マスコミが流していた嘘の情報はまだ他にもあります。
「ビニール袋有料化の所為で、万引きが増えた」などと大きく報道されていましたが、警視庁が公開しているデータを参照してみるとむしろ減っていました。テレビ局は「買い物かごを堂々と盗み、それを店員に注意されると切れる」といった男性の映像まで流していたのですが、明らかに嘘っぽかったです。多分、演技です。一体、誰が撮影したのだろう? と違和感があり過ぎて思わず笑ってしまいましたが。
仮にあの映像が本物であったとしても、問題があるのは、ビニール袋有料化ではなく、あの男性の方でしょう。
ビニール袋有料化は、そもそも海洋生物への悪影響を懸念して各国で実施されているものです。ウミガメやクジラなどが、ビニール袋を誤って食べてしまい、腸などに張り付いて食物の吸収を阻害し、それら生物を餓死に追いやってしまうのです。
ところが、僕が観たテレビ番組では、何故かそれを「ビニール袋を有料化しても、CO2排出量はそれほど減らない」などと報道していました。それからしばらくが経つと、その間違いを指摘されたのか、今度は「海に流出するプラスチックの重量はそれほど減らない」などと流していました。
ビニール袋は軽いですから、確かに減らしても、他のプラスチック製品の方が遥かに重いので重量はそれほど減らないでしょうが、問題なのは重量ではなく、海洋生物が誤飲するビニール製品の面積なので、まったく見当違いの批判です。頭が悪い…… と言うよりは、「ビニール袋有料化は無意味」という数字を無理矢理に作りたかったのではないかと思われます。
ビニール袋有料化に対して、このようなネガティブキャンペーンが展開されたのは、ビニール袋が一種の既得権益になってしまっているからでしょう。有料化によって消費量が減れば、ビニール袋メーカーなど、原油で収益を上げている企業の収益が減ってしまいますからね。そして、ネガティブキャンペーンを行うように指図したのは恐らくはマスコミに強い影響力を持つ官僚です。
官僚が影響力を持っているのは、マスコミばかりではありません。試しに「電気用品の技術上の基準を定める省令」というワードをグーグルなどで検索をかけてみてください。凄まじい量の“規制”が記された資料がヒットすると思います。この規制を電機メーカーは守って製品開発をしなくてはならないのです。そして、もし企業が官僚の気に食わない製品を開発してしまったなら、圧力をかけられて、仮に販売間近であったとしても潰されてしまいます。
電機メーカーではなく、自動車メーカーにもこういった事例はあります。実は世界に先駆けて“自動ブレーキ機能”を開発したのは日本のメーカーでした。それを官僚が潰してしまったのです。もし、販売を認めていたなら今頃どれほどの利益になっていたか分かりません。
電機メーカーでも自動車メーカーでもありませんが、僕自身が実際に耳にした事例ではこんな話もあります。
ある工場のプロジェクトに参加していた頃、その工場の担当者が「官僚が貼るシールのルールを頻繁に変えて来る所為でコストが膨らむ」と言って、涙ぐんでいました。一回シールの仕様を変えるだけで100万円くらい経費がかかるのだそうです。
こういった様々な事例だけで官僚が日本経済停滞の大きな原因の一つになって来た事は分かります。しかも、それだけでなく、官僚は様々な事業の失敗によって資源の無駄遣いも行っています(これについては、政治家や企業の責任もかなり大きいのではないかと思われますが)。
政府は交通量に対して車幅が広過ぎる道路や不要な巨大橋、飛行機が降りない空港や船が着かない港などなど、様々な公共事業を失敗させて来ています。クールジャパンって知っていますか? 日本のアニメや漫画文化などを政府主導で国外に売り込もうとしていたのですが、これも失敗しています。しかも、「そりゃ失敗するでしょ」って呆れた内容で。何故かディズニーグッズなども売っていたらしいのですが。
官僚や政治家達は予算を奪うまでは、必死に活動するらしいのですが、一度予算を奪ってしまうと、もうあまり真面目にはやらないようです。恐らくは、予算を獲得した時点で自分達の収入は確保できているので、失敗しようが成功しようがあまり関心がないのでしょう。
もし仮に、こういった態度を改め、効果的に資源を使ってくれていたなら、日本経済の状況はもっと良くなっていたはずですし、税収も増えて財政状況だって良くなっていたことでしょう。
財務省の官僚による“借金に頼る政治”批判に対し、「自分達が経済を停滞させているのに、借金に頼る政治家を批判するのか?」という怒りの声が上がるのも無理がないと分かるのではないかと思います。
しかも、彼らは「借金を減らせ」と言っておきながら、自分達の権益は手放そうとはしないのです。いえ、むしろこれまで以上に予算を奪い取ろうとしています。
文部科学省が「教師の人数が不足している」と教師を増やそうとしているのを知っていますか? 実際に岸田政権はそれを実現しようとしているのですが、実はオンライン授業やAIを導入すれば、教師の人数はむしろ減らせ、しかも授業の質を上げる事まで可能なのです。
ところが、文部科学省はこれに反対をしています。理由は教師の人数を減らせば、予算を減らされてしまうからだそうです(参考文献:岩盤規制 誰が成長を阻むのか 原 英史 新潮社 182ページ辺りから)。
教師の仕事に限らず、先進技術を応用すればその他の公務員の業務も大きく効率化できるでしょう。いえ、それ以前に「本当に必要な業務」に絞りさえすれば、随分と公務員の仕事は楽になるはずです。実は僕は国に近い機関で開発の仕事をした事があるのですが、その時に「誰も使わない、あるだけの資料」を膨大な量作らされた経験があります。そういったような無駄な仕事が、国の借金を膨らます要因になっているのです。また、民間業者に丸投げするだけで、あまり仕事をしていない公務員もいるという話も聞きます。
こういった無駄を整理していけば、税金を節約できるはずです。そうなれば財政状態も健全化に向けて進むでしょう。もしかしたら、増税をせずとも防衛費の増額分を賄えるようになるかもしれません。
或いは、この説明を読んで「公務員を削減すれば、失業者を出してしまう」と心配した人もいるかもしれませんが、そういう人は先の経済成長に関する話を思い出してください。失業者は労働資源です。そして、労働資源を活かせば経済成長を起こせるのです。例えば、失業者となった元教師には、民間の職業訓練などで働いてもらっても良いですし、ヤングケアラーの支援や児童虐待の防止の為に働いてもらうという案だって有効です。そういった社会問題を改善する事で経済成長を起こせます。
色々と述べて来ましたが、官僚はつまるところを言えば、「省益を優先させて、日本経済を犠牲にしている」のです。そして、その結果として日本経済が弱り、財政状況が悪化すると、それを増税によって解決しようとしています。もちろん、そんな事をすれば日本経済は更に弱り、困窮する国民が増えるでしょう。
そして、今、経済を立て直さずに、国民に負担を強いる事で防衛力…… 軍事力を上げようとしている。
これは方向性としては、北朝鮮のやり方と同じです。
そして、それを誤魔化す為にマスコミを利用しています。
安倍政権が掲げた経済政策“アベノミクス”の一つに“規制改革・緩和”がありました。規制がなくなれば、企業が自由に活動できるようになる為、その能力を存分に活かす事ができるようになります。これはそれを狙った政策で、継続的な経済成長に成功している諸外国では、1990年代には既に実施済みです。
が、この改革はこれまで説明して来た通り、官僚の利権を縮小させるものであった為に激しい抵抗にあいました。
アベノミクスは失敗したとしか言いようがない状況下ですが、それはこの規制改革・緩和が官僚達に阻まれてしまったという要因も大きいのです。
ところが、経済関連の書籍や番組などでこの点を説明しているものは非常に少ないのです。あるテレビ番組では、“規制改革・緩和”ではなく、何故か“構造改革”という言葉を使っていました。安倍政権は明確に“規制改革・緩和”と表現したのにも拘らず。意図的に“規制されている”という事実が国民に伝わらないようにしているとしか思えません。
安倍政権にも様々な問題がありました。それは事実でしょう。恐らくは、悪い事もたくさん行っていたはずです。ですが、それでも少なくとも官僚権力に対抗する勢力ではあったのではないかと思われます。
安倍元首相が凶弾に倒れた後、本格的に動き出した岸田政権は、官僚の言うままの政策を次々と実行しているように思えます。
しかも、その官僚はこれまで平気で国民を犠牲にして来ています。
幾つか事例を挙げましょう。
厚生労働省(当時は厚生省)は、かつてエイズに感染する可能性のある血液製剤を市場に流通させ、1400人もの人にエイズを感染させました。当然、数百人規模の死者も出しています。大量殺人と言ってしまって良いでしょう。この犯罪は“天下り先”の利益確保の為に行われたものです。
これで反省したというのならまだ分かるのですが、2007年には薬害C型肝炎の患者データを厚生労働省が隠していた事が判明しました。早期に治療を行っていれば死なずに済む病気ですから、これも殺人的な行為(実際に死者がいたかどうかは分かりませんが)と言ってしまっても良いでしょう。最近では、コロナ19のPCR検査を何故か厚生労働省が増やそうとしない点が不審に思われていましたが、この理由も利権を失いたくないからではないかと噂になっていました(因みに、コロナ19が流行してから、原因不明の死者が増えています。一部に、ワクチン接種が原因だと訴えている人達がいますが、PCR検査を十分に行えていない所為で判明していなかったコロナ患者が多くいるだろう点を考えるのなら、コロナ19が本当の死因だと考えるのが最も妥当に思えます)。
先に日本の自動車メーカーが開発した自動ブレーキ機能を官僚が潰し、日本経済に損失を与えたと述べましたが、これは同時に人殺しでもあります。自動ブレーキを認め、普及させておけば人身事故を減らせていたはずだからです。高齢者ドライバーが起こした死亡事故が時折ニュースになっていますが、本当の犯人は官僚と考えるべきなのかもしれません(一応、少しは擁護しておくと、最近は自動運転に対する態度を改めてはいるようです)。
地震予知研究も既得権益の一つで、数千億の予算が割かれているのですが、実はこれでも人を殺しています。
地震予知研究を基に作成された地震予測地図は阪神大震災、東日本大震災、熊本地震と近年起こった大きな地震の予測を全て外しているのですが、この地震予測地図は各地域の建築物の耐震基準に影響を与えてしまっているのです。そしてその甘い耐震設計の所為で、多くの人が死んでしまっています。
実は科学的には「地震は予測不可能」という結論が既に出ています。直接は観測できない地下深くの岩盤層がカスケードを起こす事によって地震は起こるのですが、それは全くのカオスで法則性はない事が明らかになっているのですね。仮に観測できたとしても予測など不可能だと言われているのに、観測できない状態で何が分かると言うのでしょう?
“地震は予測できない”という事実を素直に認め、「日本全国どこでも地震が起こる可能性がある」とアナウンスしていれば、確りと建物に耐震補強が行われ、死ななくて済んだ数多くの命があったはずです。
僕の記憶では、確か一度、「地震は予知できない」と国が認めたはずなのですが、何故か未だに地震予測地図が発表されています。間違った予測で、多くの命を奪って来た罪悪感はないのでしょうか?
官僚は近視眼的で長期的な計画作成能力もありません。こども家庭庁が2023年4月に設置され、少子化対策に動き出しますが、少子高齢化が問題として取り上げられたのはなんと1970年代です。つまり、約50年もの間、本格的に動き出そうとして来なかったのです(しかも、こども家庭庁はそれほど期待されていません)。
少子化が続けば、生産人口が減少し、やがては自分達の首を絞める事になるのは分かっていたはずです。にも拘らず、放置し続けて来たのです。
一応書いておきますが、少子化についてははっきり言って既に手遅れです。もう大幅な生産性向上を達成するか、移民を受け入れるかしなければ、安定して経済発展する道はありません。
また、官僚はAIの開発にも消極的です。AIには汎用性があり、様々な分野で活かす事が可能です。これからの社会発展を考える上で非常に重要ですが、それを分かっていないとしか思えません。
(もちろん、これら政策が進まなかった責任は政治家達にもあるのですが)
もし仮に少子化対策やAI開発がどこか権力を持った省庁の権益に直ぐになるのなら、ちゃんと予算は割かれていたはずです。つまり、省益にならなければ、仕事をやろうとはしないのですね。
また、官僚には真っ当な遵法精神もありません。
“法律を無視する組織”と聞いてまず思い浮かべるのは、普通は暴力団でしょう。ですが、日本社会の中で最も堂々と法律を破っているのは実は官僚なんです。政治家が決めた法律を勝手に下位のルールで上書きしてしまうというとんでもない事をやっているのだそうです(参考文献:岩盤規制 誰が成長を阻むのか 原 英史 新潮社 26、79、82ページ辺り)。これで本当に法治国家と言えるのでしょうか?
何度も強調しますが、日本経済停滞の最大の原因は官僚にあります。これまで述べてきた点を鑑みるのなら、それは明らかでしょう。このままでは官僚が日本社会を衰退させてしまうかもしれません。
そして、その信頼のできない官僚が既得権を持っている産業には非常にリスクの高いものもあります。既に分かっている人もいるかもしれませんが、“原子力発電”です。
――問題がないはずがありません。
その問題点を見ていきましょうか。
まず、原子力発電に関する情報には多くの嘘があります。
原子力発電はコストが安いなどと以前は喧伝されていました。が、“総括原価方式”という仕組みで、コストに合わせて電気料金が決定されていた時代でも、原発のある地域は電気代が高かったのです。しかもそれが表に出ていなかったケースもあります。
揚水発電って知っていますか? 電力不足の時によくニュースで聞いたかと思いますが、これは“発電”ではなく実は蓄電です。電気エネルギーを位置エネルギーに変換して溜めておいて、不足時に再び電力にするといったものですが、実はこれは元は原子力発電の為に造られました。
原子力発電は、夜間だけ停止させておくような器用な事ができません。その為、夜間の電気の使い道が必要になったのですが、その用途で製造されました。よく「再生可能エネルギーには蓄電池が必要になってコストがかかる」という批判が出ますが、原子力発電でも必要なのですね。これだけならまだマシかもしれません。なんとこの揚水発電は、“原子力発電のコスト”として計上されてはいないのです。意図的に原子力発電のコストを低く見せる為に卑怯な手段に出たとしか考えられません。もちろん、他にも色々と数字を誤魔化しています。
原子力発電のコストはもちろん電気代に含まれていますが、実は税金からも出ているのです。これは“隠れた電気料金”と言えるでしょう。
更に、これが倫理的に最も問題があるのではないかと思われますが、原子力発電が出す放射性廃棄物は、半永久的に残り、将来世代の負担になります。このコストを我々は支払っていません。現世代は“電力”という対価を得られますが、将来世代の子供達はただただ原子力発電の犠牲になってしまうのです。しかも、これから先人口が減っていけば、一人当たりの負担は更に重くなっていきます。許されて良いような話ではありません。
一応、放射性廃棄物には原子力電池という利用方法がありますが、特殊な条件下を除いて実用性があるといった話は聞いた事がありません。放射性廃棄物を無害にする技術も研究されているようですが、仮に成功したとしてもやはりコストがかかってしまうでしょう。
この問題がある限り、絶対に原子力発電事業は失敗であると判断するべきです。仮に現世代にとってコストやリスクに対して十分なリターンがあったとしても、それは将来世代に放射性廃棄物の負担を丸投げしてしまっているだけなのですから。
――更に、今の世代だけで判断したとしても、原子力発電には無視できない大きな不安要素が幾つもあります。
一つには軍事的にターゲットにされるリスクがあります。防衛費の増額は、昨今の中国の軍事活動に懸念があるからであったはずです。ロシアだって油断できません。実際にロシア軍はウクライナ侵攻において原子力発電所をターゲットにしましたから。
しかし、日本政府はこれにほとんど対応しようとしていません。外部電源や冷却装置の設置のみで、数えきれない程ある攻撃手段をほとんど想定していないのです。原子力発電所は、軍隊が護るのが普通ですが、日本では火器による武装すらしていません。更に原子力発電所本体だけでなく、放射性廃棄物が狙われるリスクだって考えなければいけないし、サイバー攻撃だって考慮しなくてはなりません。まったく不充分です。
知らない人も多いでしょうが、実は原子力発電所は頻繁にテロの標的になっています。ただし、直接のテロではありません。サイバー攻撃です。
今後、このサイバー攻撃をAIが行うようになると考えられているのですが、そうなったら人間では防ぐのは不可能になるとも言われています。防げるのはAIだけです。
つまり、原子力政策を進めたいのなら、AI技術を進歩させなくてはいけないのです。が、前述した通り日本はこれを怠っています。
もちろん、予算を奪われたくないからでしょう。
このエッセイでは、“官僚”と一括りで表現して来ましたが、実は各省庁で予算を奪い合っているそうです。原子力発電所を軍隊に守らせないのも、AI技術を進歩させようとしないのも、或いはその所為なのかもしれません。
また“労働資源”の問題もあります。
2023年現在、既に少子化の影響で生産人口の減少が問題になっていて、今後、それがより深刻になると予想される訳ですが、そうなると原子力発電所を製造、運営、廃炉にする労働力が不足します。原子力発電所は危険が伴う仕事が多く、不人気ですので、他の産業よりも問題は深刻になるでしょう。
国は原子力発電所の運転期間を延長可能にしてしまいましたが、今の時点でも既に問題になっているのに、将来はどうやって廃炉に必要な労働力を確保するつもりでいるのでしょうか?
或いは、労働力を手に入れられず、原子力発電所は廃墟と化してしまうかもしれません。そうなれば、世界で最も危険な廃墟となるでしょう。
よく再生可能エネルギーに対して「不安定だ」という批判があります。原子力発電所を頭から信頼している人にとっては信じられない話かもしれませんが、実は原子力発電も不安定です。もちろん、稼働できさえすれば安定して電力を供給するのですが、そもそも稼働できない事態に陥る事があるのです。2021年には中国でフランス製の最新型の原子力発電所が大きな事故を起こしました。日本でも過去に二度、原子力発電所が稼働できなくなった事がありますし、韓国でもあり、フランスでも水不足から停止を余儀なくされた事があります。
因みに、現在も、フランスでは何基か原発は停止中です。これはストライキによるものです。「なんだ、政治的な要因か」と思うかもしれませんが、充分に影響は大きいです。フランスは日本の原子力事業にとってなくてはならない重要なパートナーです。再生可能エネルギー技術がより進めば、「ストライキが起こる」点を懸念し、フランスは脱原発に動き始めるかもしれません。そうなれば日本の原子力事業にも支障が出ます。
ここまでを読んで、「国がこんないい加減に事業を進めるはずがない」と思った人もいるかもしれません。が、福島原発事故はそのようにいい加減に事業を進めていたからこそ起こった事故です。事故発生以前から、多くの人が警告を発していたにも拘らず、国はそれを無視したのです。ただ国民を騙す事だけはかなり巧かったようで、事故が起こっても地元の多くの人達は「大したことなく済むだろう」と思っていたらしいです。今でも国の原子力行政を信じ切ってしまっている人もいるのではないでしょうか?
福島原発事故ばかりが有名ですが、或いは国の絶望的なまでに“いい加減な”リスク管理能力の低さがよく分かる事例は、高速増殖原型炉もんじゅの事故かもしれません。
福島原発事故が起こった当時、実はもんじゅの事故はまだ継続中でした。そしてこのもんじゅは、最悪の事態では、大阪や名古屋が壊滅するとまで言っている人がいるのです。仮にこれが誇張であったとしても、大きくニュースで取り上げる価値がある点はまず間違いありません。この事故で、担当の課長が自殺をしてもいます。
が、ほんの小さな扱いでしか、テレビでは報道されていなかったのです。
高速増殖原型炉は、様々な国で危険過ぎるという理由で開発が断念されています。それをこの地震大国の日本で開発しようというのは正気の沙汰とは思えません。事故後、流石に廃炉が決まりましたが、それでも随分と時間がかかりました。
先に述べたように、官僚は予算を奪う事にばかり懸命で、その予算を使って進める肝心の事業については、かなりいい加減に進める傾向があるのです。だからこそ、原子力行政もこのように問題点だらけで進めてしまっているのでしょう。
しかも、仮に失敗させてしまったとしても、彼らはそれほどダメージを負わないのです。普通に考えて、国家規模の損害を出せば何かしら責任を取らなければいけないはずですが、原発利権を持つと言われている経済産業省の役人で、福島原発事故の責任を取った人はいません。これでは真面目にリスク管理をしようとはしないでしょう。
似たような傾向は、実は世界中で観られます。
様々な知識を会得した優秀な人物が統治をすれば世の中は良くなるという哲人政治的な発想が正しいと感じてしまう人が多いかもしれませんが、実際は、権力志向の強い人間が社会のトップに就く場合が多く、そしてそういった人物は私利私欲の為にその地位を利用する事が多くあるのです。だからこそ民主主義には価値があると言えるのですが、選挙で選ばれない官僚が力を持ち過ぎてしまった現代日本でもその問題が顕在化してしまっていると言えるでしょう。
先に日本の官僚について“方向性としては北朝鮮と同じ”と述べましたが、「日本は社会主義国」とよく揶揄されているのです。日本は中国や北朝鮮と同種の問題を抱えていると捉えるべきだと僕は判断しています(もちろん、中国や北朝鮮程酷くはありませんが)。
そしてその意味でも、原子力推進にストップをかける価値はあるのではないかと思われます。
原子力には、経済産業省の利権があると言われています。ですから、原子力を推進していけば経済産業省が更なる利権を手に入れる事になります。
これは“権力の集中”の原因になります。
認めてしまったなら、官僚の権力が更に強くなり、その権力を使って圧政を行い始める可能性すらあります。
実際、かつて人権擁護法案という“邪魔者を容易く排除できるようにする為に作成された”としか思えないような法案が国会に提出された事があります。しかも一度目はマスコミに取り上げられたお陰で瞬く間に廃案になったのですが、二度目はなんとほとんどのマスコミはスルーしてしまいました。ネット上で反対運動が盛り上がったお陰で、なんとか無事に廃案になりましたが、もしこの法案が可決されていたら、今頃日本は専制主義国家になってしまっていたかもしれません。
自民党からも民主党からも似たような法案が提出されているので、恐らく首謀者は官僚ではないかと思われます。
或いは、これまでの内容で、「では、電力はどうするんだ?」と思われた方もいるかもしれません。
ですが、思い出してください。
「資源さえあるのなら、再生可能エネルギーでも福祉でも、あらゆる生産物が生産可能になり、それにより経済成長も起こせる」
と、先に説明しました。
そして、実は既に現在の資源と技術だけで、全ての電力を再生可能エネルギーで賄う事が可能と主張している人もいるのです。例えば、辛坊治郎さんは「太陽光発電と蓄電だけで日本の電力は賄う事ができる」と断言しています。この人は確りと数字を見た上で、そう主張しているのです。
もちろん、個人の主張ですから、何処まで正しいのかは分かりません(それを実現する為には送電網の整備が不可欠でしょうし)。
ただ、これはこれから実用化されるだろう様々な再生可能エネルギー関連技術を抜きにしての主張です。再生可能エネルギーには様々な有望な技術があり、それら技術の報道内容を信じるのなら、「再生可能エネルギーだけで世界の電力を賄える」というのが絵空事だとは思えません。
代表例はペロブスカイト太陽電池。この太陽電池、従来の太陽電池よりも安価で薄く柔軟性に優れ、しかも弱光でも発電が可能というとんでもない性能をしています(因みに、開発者は日本人です)。その為、場所を選ばずに設置する事ができるので、例えばあまり太陽光が当たらない部屋の中ででも発電ができるのだそうです。ですから、“都市がまるごと発電機になる”とすら言われているのです。もちろん、曇りや雨の日でも発電が可能です。
弱光下で、どの程度の発電量が期待できるのか具体的な数字は分かりません。ただ、今まで太陽光発電には不向きと言われていた日本海側でもペロブスカイト太陽電池ならば効果的である可能性はあります。何しろ、安価ですからね。
当然、これは日本だけの話ではありません。
ヨーロッパは日本に比べれば太陽光発電には向かない地域が多いと言われていたのですが、このペロブスカイト太陽電池ならば設置する価値があるかもしれないのです。そして、その効果のほどによっては、原発依存度が高いフランスが脱原発に動く可能性だってあります。フランスが日本の原子力事業にとって重要なパートナーで、もし脱原発に動き出したら日本の原子力事業に支障が出ると先に説明しましたが、それが現実になってしまうかもしれないのです。
もちろん、再生可能エネルギーだけで、社会全ての電力を賄えるかどうかは分かりません。が、それでも現段階ではその議論にあまり意味はないと僕は考えています。今は全力で資源をフルに使って、再生可能エネルギーの研究開発と普及に最善を尽くす時期ではないでしょうか? 充分に努力をし、それでもできなかったのなら、他の手段を考えれば良いのです。
太陽光発電などの再生可能エネルギーに対してネガティブキャンペーンを展開している人達がいます。ですが、その内容を確りと検証すると誇張であったり一部に論点を偏らせた印象操作であったり、酷い場合には嘘だったりもします。
幾つか例を挙げましょう。
「太陽光発電で、原子力発電所一基分の電力を得る為には、山手線内側の面積と同等の広さが必要」
などという主張をしている人がいますが、実は“山手線内側の面積”は狭いのです。約65平方キロメートルほどしかありません。東京の面積は約2188平方キロメートルもありますから、東京都全てに普及させれば、充分な発電量だと言えるでしょう。しかもこれは少し昔の数字で、昨今は太陽光発電の効率は上がっています。
「太陽光パネルには廃棄問題がある」という主張もあります。記事によっては「埋めるしかない」などと書いていますが、実は太陽光モジュールは再利用可能です。研究機関によっては「再利用で廃棄処分のコストを取り戻す事ができる」と述べてすらいます。そこまで期待できるかどうかは分かりませんが、太陽光パネルの廃棄問題が誇張されているのは確かです。
「太陽光パネルは、中国のウィグル自治区で人権を無視して製造されている」
という主張もあります。
これについては確かに問題で、国内で太陽光パネルを製造するなどの対応をするべきだと思います。ペロブスカイト太陽電池ならば、中国のウィグル自治区は関係ありません。が、そもそも人権問題があるのは太陽光パネルだけではありません。化石エネルギーでも人権問題は起こっています。何故、太陽光パネルのみを問題視するのでしょう?
普段は人権問題など無関心な人々が、太陽光パネルについてだけは人権問題を訴えるのはおかしな話です。
その他、数多くのバッシングがされていますが、検索をかければそれらに対する反論が出てきます。
ネガティブキャンペーンが行われているのは、原子力利権や化石エネルギー利権を再生可能エネルギーが脅かしかねないと警戒されているからでしょうから、むしろ再生可能エネルギーが有用である証拠になると僕は判断しています。
2025年東京都で、新築戸建てに太陽電池の設置が義務化されます。これに対して上記のような「中国製の太陽光パネルが買われる」という批判がありますが、ペロブスカイト太陽電池は2025年までに実用化が予定されていて、更に東京都は共同研究を発表しているので、恐らくペロブスカイト太陽電池がこの制度の本命ではないかと思われます。どうなるかは分かりませんが、少なくとも東京都は国産の太陽光パネルを買って欲しいと思っているはずです。
ペロブスカイト太陽電池の存在を無視して為される批判は、印象操作狙いか、それに騙されしまっているかのどちらかでしょう。気を付けるべきです。
先に原子力事業が官僚の権力をより集中化させてしまうと述べましたが、当然ながらその懸念は再生可能エネルギー分野にもあります。実際、再生可能エネルギー利権は既に生まれているようですし。
ですから、警戒は必要なのですが、再生可能エネルギーはその特性上、原子力程には権力の集中は起き難いと僕は判断しています。自宅に太陽光パネルがある場合を考えてくれれば分かり易いですが、その収益はそれぞれの家庭に入ります。原子力発電のように何処か一部の業者の手に利益が集中するといった事は起こりません。
僕が原子力発電よりも再生可能エネルギーの研究開発や普及の為に資源を用いた方が良いと考えている理由はもう一つあります。
これは防衛費の増額の話にも関わって来るのですが、「もし仮に世界平和が実現できるとするのなら、再生可能エネルギーの普及は必須だろう」と考えているのです。
世界中で起こっている紛争は、言うなれば“資源の奪い合い”です。そして、その中でも最も重要なのがエネルギー資源です。
ですが、効率的な再生可能エネルギーが普及すれば、その要因が大きく減少するのです。太陽光発電が最も顕著ですが、特定の地域ではなく、かなりの広範囲においてエネルギーを得る事が可能になり、奪い合う必要がなくなります。
ペロブスカイト太陽電池だけに限らず、太陽光をどこからでも取り込めるデバイス、雨滴発電、水道管などに設置する超小規模水力発電、波浪発電、地熱発電(昨今、地熱発電の技術はかなり上がっています)などなどでエネルギーが生産できるようになれば、エネルギー資源の奪いは大きく減るでしょう。つまり、戦争が減るのですね。
“再生可能エネルギーの普及”は、ゲームチェンジャーになり得ます。ルールが変われば、軍事力の重要性も少なくなり、当然、防衛費に貴重な資源を割かれる事も少なくなるでしょう。
ただし、先にも述べた通り、短期的には、再生可能エネルギーなどの為の資源の奪い合いが起こったり、エネルギー資源に依存した国が困窮したりといった要因で、紛争が増えてしまうかもしれません。
だからこそ、これも先に述べた通り、日本がそれらを予防する為に行動を起こすべきだとも思うのです。
地政学を学んで知ったのですが、地政学では社会を一つの大きな有機体(生物)と見做す発想があるのだそうです。
だからこそ、社会を活かす為に資源を他から奪う必要があり、戦争が起きるというのですね。
僕は地政学を学ぶ前から似たような発想を持っていました。生物は単細胞生物→細胞群体→多細胞生物→群れ→社会と進化して来たと考えているのです。
ただし、地政学とは別の視点も持っています。
確かに社会は一つの大きな生物と見做せるかもしれませんが、その境界線は非常に曖昧です。日本はかつて小さな国が乱立し、度々戦争が起こっていましたが、交通技術や情報技術の進歩によって一つの国になりました。アメリカだって同様です。様々な国が一つに合体してアメリカ“合衆”国となったのです。EUだってこれに準ずるでしょう。つまり、社会という生物は進化すると結合して大きくなるのです。
そして、生物は動物ばかりではありません。植物も存在しています。ならば、社会という生物だって植物になれるのではないでしょうか? 独立栄養生物である植物は、動物程には他から資源を奪う必要がありません(もっとも、植物だって熾烈な争いをしてはいるのですが)。しかも動物よりも未分化で、境界線も曖昧です。個体と個体を区別する境界線が動物よりもないのです。これは“自らエネルギーを生産する”という特性によって現れた特徴でしょう。
人間は言葉ではなかなか変わりません。だから、「奪い合いなどするな」と訴えてもあまり効果はなかったのです。何千年も前から似たような主張が繰り返されて来ましたが、未だに戦争はなくなっていません(ただし、少しずつではありますが、減っては来ているのですが)。
しかし、人間社会は“採用しているシステム”の影響でなら大きく変化するのです。
韓国と北朝鮮を観てください。元は一つの国だったのに、社会システムの差によって全く違う国になっています。
再生可能エネルギーの普及を、僕は人間社会が従属栄養生物から独立栄養生物に変化する事だと考えています。要するに、動物から植物になる事だと考えているのです。
そして、それは“大きなシステムの変化”です。
何が有効な方略なのかが根本から変わってきますし、だから人々の行動だって変わって来るはずなのです。
――そして、その状況下では、戦争は有効な方略ではなくなるのです。わざわざ他から奪わなくても、自分達でエネルギー資源を生産できるのですからこれは自明です。ならば、戦争は自然と減少していくはずです。
その社会は、きっと、僕ら一人一人にとってもより暮らしやすくなっている事でしょう。何しろ、軍事力の為に割いていた膨大な資源を、僕らが仕合せに暮らす為に使う事ができるようになるのですから。
恐らく、今の時代が、今後人類がどうなっていくかの分水嶺です。我々は道を誤らないように、最善を尽くすべだと、少なくとも僕は考えます。