2.
二日目の朝、犬の鼻がヒクリと動いた。
「わんちゃん! 目を開けて。お願い!!」
ルーシェは犬の前足を掴んで軽く握る。
目がピク、ピクと痙攣して目覚める兆候がある。意識を取り戻したのだろう。
辛抱強く待つとゆっくりと目が開いた。
金色に輝く瞳が焦点を結び、ルーシェを認識する。
すると起き上がろうと頭を上げ、手足をばたつかせた。
「わわっ! 落ち着いて。私はルーシェ。あなたに危害は加えないわ。安心して」
犬の体から手を離し、両手を上に挙げる。
犬は鋭い牙を剥きだしにして低い声でヴォォォーと唸る。
目を合わせたまま、ルーシェはそっと立ち上がり後ろへ下がる。
「あなたは川で倒れていたの。傷は水の中に浸っていたわ。あのままだったら死んでしまった。だから家に連れてきて手当をしたの。 わかった?」
すると犬は唸る事を止めて辺りを見回した。
「あなたは足に大きな怪我を負ったのよ。今は安静にしていないと駄目。 わかる?」
ヴォンッっと一鳴きする。
返事をしているのだろうが迫力もあり、腹に響いて……怖い。
「じゃ、今日からあなたの仕事は早く元気になるって事で良い? 今から傷の回復に良いお薬が入ったご飯を持ってるから。ちゃんと全部食べれる?」
再び、ヴォンッと大きく鳴く。
「ふふっ。 可愛い、わんちゃん」
優しく微笑み掛けたつもりのに、ヴォォォーっと唸られた。
「あれ?ご機嫌斜め? 何に!?」
疑問に思ってもう一度。
「可愛い」
犬は何も言わずにこちらを見ている
「わんちゃん」
ヴォォォォー。可愛くなく鼻に皺を寄せ牙を見せる。
「あれ? あなた、わんちゃんじゃないの? じゃ、狼?」
ヴォンッ、ヴォンッ、ヴォンッ。
「……。 狼って聞くと急に怖さが増してくるんですけど…。お願いだから噛んだり、食べたりしないでね?」
シーンとしている。
「いやいや。そこは返事する所じゃないの!?」
ヴォンッ。
「全く~。 人を揶揄うなんて…。悪い子ね」
嘘だ。
こちらの問いに反応してくれるこの子を本当は可愛いと思っている。両手で耳を挟むように掴んで頬を撫でると額にキスをした。
「今、ご飯持ってくるから待っててね」
犬。改め、狼はポカンと口を開けて部屋から出て行く彼女を目で追ったのだった。
お皿にシシリー草を刻んだ粥をよそって部屋へと戻る。
実は狼が眠っている間も口の横からシシリー草の汁を垂らして飲ませていた。
これが普通に食べれるようになれば治りも早まるだろう。
期待に胸を弾ませて狼の元へと近寄る。
「冷ましてあるから大丈夫よ。この薬草はお薬だから、安心して食べてね。元気になってきたらお肉も食べようね」
お皿に口を寄せるとペロリと舐めた。
少し考えた後、バクバクと食べ進めるので苦手な味ではないのだろう。
あっという間に完食し、水を飲んでいる。
「うん。食欲も旺盛。良い子よ。 じゃ、傷の方の薬も交換するね。 こっちは少し痛むかも知れないから我慢してね?」
包帯を取り、塗り薬を交換する。
傷口を拭き取る際は痛かっただろうに。ちゃんと我慢出来た様だ。
「狼さん。 あなたとってもお利口さんね。人に慣れてる…」
狼は話しを聞いていたが『くわぁ』と欠伸をした。
「あ、大変。もう寝てちょうだい。今は栄養と睡眠が一番よ」
狼に毛布を掛けると部屋の明かりを消して食堂へと移動した。
それから数日後、狼は歩けるようにまで回復した。
まだ抜糸があるので、それまでは森に返すわけにはいかない。
ルーシェは狼に名前を付けなかった。自然に返さなければいけないのに名前を付けると情が移ってしまうから。
とは言っても、いつも一人ぼっちのルーシェはとっくにこの狼が大切な存在になっている。
「今日は村にお肉を買いに行ってくるわ。あなたの分もたくさん買ってくるから、良い子にして待っていてね」
腕にぶら下げた籠の中には薬草がいっぱい詰まってる。
狼は返事を一鳴きするとルーシェを見送った。
窓から様子を伺い、ルーシェの姿が完全に見えなくなると狼は扉を開けて出て行く。
そして森の中へと消えて行った…。
夕方になりルーシェが家に帰ると彼女の元気がなかった。狼は近づき、隣に腰を掛ける。
「狼さん。慰めてくれるの? 村へ行くと毎回意地悪い言葉を言われて、とっても疲れてしまうの。 ねぇ、あなたは私のこの髪の色と瞳の色をどう思う?動物だから気にならない? そうだったら、とても素敵」
ルーシェは辛い思いを誰かに聞いて欲しく、自分の境遇を狼に語った。
両親がまだ幼い彼女を残して他界してしまったこと。
思い出が無いので二人の容姿は覚えていない。だが、二人とも普通の外観だったと聞いている。
すでに亡くなった祖父母も普通。
では、どうして自分だけが異様なのか…。祖父母の話によると稀に愛し子と呼ばれる存在が生まれる事がある。その子供は容姿が他者とは異なり、ルーシェは森の愛し子だと告げられた。
実感はなかったが4年前の出来事で、人とかかわる事が怖くなってしまった。
しかし、一人はとても孤独で寂しい。
大人しく話を聞いていた狼は頬を一舐めしてくれる。
気付かぬうちにルーシェの瞳からは涙が流れていた。大好きだった祖父母が亡くなり、急に村人からは敵意を向けられ、過ごす日々は不安に押しつぶされそうで怖かった。まだ彼女は子供だったのに…、誰も愛してくれる人が居なくなり森の中で一人ぼっち。
甘える事が出来ず、この日やっと狼に甘える事が出来た。
そう思うと愛おしくなり狼の首に両腕を回す。
「狼さん…。有難う」
狼はじっとそのまま動かなかった。
ルーシェの治療のお蔭で抜糸を終え、すっかり狼の傷は癒された。
元気になればフラッと一匹で散歩に出てしまうこともある。トイレ事情もあるだろうから自由にさせている。
この日も前足でドアをカリカリと引っ掻くので開けてやると外へ出て行った。
「余り遠くへ行かないで、暗くなる前に帰って来てね!」
と言えば、ワオンと一鳴きして走って行ってしまう。
「あれだけ、体が大きいんだもの。歩けるようになったら運動だってしたいわよね」
いつもきちんと帰ってくるので気にせず洗濯物を始める。
しかし、すぐに狼が戻ってきてしまった。
「あれ?もう散歩は良いの? ちょっと少ないんじゃなぁい? そうだ。これが終わったら一緒に散歩に行こっか! お風呂に入れるリラックス効果のあるハーブを採りに行こうと思っていたの」
急いで洗濯物を洗って干すと一人と一匹は仲良く散歩に出かけた。
今日はラベンダーとレモングラスを探す。
(両方とも乾燥させてお茶にするも良いし、狼さんの蚊よけの為にレモングラスのエッセンスも作りたいわ。 誰かの為に何をすることがこんなに楽しいなんて、久し振り)
ルーシェが頭の中で何に使おうか?と考えながら採取している間、狼は側で横になって彼女の事を見守っていた。
日が天辺に上る。
ルーシェの額にはうっすらと汗が浮かんできていた。それを手の甲で拭うと「もう帰宅をしよう」とでも言うように狼が背中を鼻で突いてきた。
「わかったわ。帰りましょ」
ふと、狼の足元を見ると何か緑の小さい物が付いている。
えっ?と思い、じっと見つめると狼も気付いたのか視線を下げる。
両手、両足にいくつか付いているそれは通称『くっつき虫』と呼ばれるオナモミだった。
慌てて口で取ろうとすると鼻先の方へとオナモミが移動しパニックになっている。
「やだっ、可笑しい。 今、取ってあげるから待って。 ふふっ」
ルーシェが可笑しそうに笑えば、狼はむすっとそっぽを向いた。
笑われた事が恥ずかしかったのだろう。
一つ一つ丁寧に取って、それを森へ返す。
「ねぇ。狼さん。 傷も治ったし、ラベンダーも採ったから、今日はお風呂に入ろっか?」
狼はビクリと体を震わせた。
ルーシェは両手をわきわきとさせる。
後ずさる狼…。
「あれ? でも、あなた余り汚れてないのよね。臭くないし。どうしてかしら」
その言葉に再びギクリとする。
もふもふの背中に顔を近づけて匂いを嗅いでみる。
ほんのりラベンダーの香り。
これはさっきラベンダーが群生している所にいたからかも知れない。
全く獣臭くない…。
「ねぇ。 狼さん。 ずっと我慢してたんだけど…、いい?」
狼はきょとん?として目を丸くする。
しかし、次の瞬間体を強張らせた。
「むふーっ!! たまらぁーん。 もふもふ天国、最高!!」
ルーシェは狼の顎下に顔を擦り付け大きく息を吸い込んだ。
「この、犬吸いが、ずっと! ずっとやりたかった!」
狼を保護した日からずっと犬吸いならぬ、狼吸いをやりたくてたまらなかった。
もふっとした毛に顔を埋めて息を吸えば、優しいラベンダーの香りがする。
狼は暴れてルーシェを引き離そうとする。
両足キックもプラスして離そうとコロンと横になれば胸元を大きく吸われた。
カチンッ
狼は石化したように固まる…。
一瞬遠くへ行った魂を呼び戻し、慌てて起き上がり離れると「ヴァオン!!」と怒ったように鳴き、彼女を置いて逃げてしまった。
「吸うくらい良いじゃない…」
(;^ω^)ヒドイ…
季節無視しました
夏のラベンダーやレモングラスを出したのに、オナモミまで登場してしまいました…。
オナモミは秋らしいです。
でも犬に、あ、狼ですが、犬にくっつき虫付いてるの萌えるー。
何やってるのぉー?キューンってなるから…
書きたかったのです(。ノω\。)
すみませんm(_ _)m