80.駄目な伯父と第五王子
陰から此方を伺っていた男の、その体格の良さがまず目に付いた。
発色の良い濃いめの金髪を後ろで結い、肌は少し日焼けしている。ポツポツと無精髭を生やしてはいるが、粗野な印象は受けない上品な顔立ちだ。瞳の色は俺と同じ碧色で、その奥に強い意志を感じられた。
(この男、もしかして……)
確証は持てないが、嘗てアランが言っていたことがある。
まだ自分が12歳の時、3つ年上の兄が家を出ていった。それきり音信不通だが、風の噂では『金髪碧眼で、やけに強い道楽剣士』の風評が度々流れて来ると。
これはもしかして、もしかするのではないだろうか。
「お、おうシグルド、お前が自主練なんて珍しいな」
「先生!」
先生と呼ばれたその男は、なんでも無いかのようにシグルドへと声を掛けた。その顔が若干引き攣っているのを俺は見逃さなかったが、シグルドもザーシャも気付いていない。
「紹介する、この人が俺の先生」
「どうぞ宜しく」
「ええ、よろしくお願いします。伯父様」
「……ッ!!」
丁寧な俺のお辞儀を見たラファエラは、目を見開いた。そのまま腕を引かれ、先程までいた植え込みの陰に連れて行かれる。傍から見たら結構な事案だな、おまわりさんこの人です。
「……おい、まさかとは思うが、お前アランの娘か?」
「でしたら何か?」
「何で俺の事を知ってるんだ、名前だって言ってないだろ?」
まあ、顔……ですかね。非常に似ている――とは言い難いものの、個々のパーツをよく見るとしっかり面影がある。それからシグルドの発言はかなりデカい、それでほぼ確信まで漕ぎ着けた。
「チッ……シグルドに口を滑らせたのが悪かったか」
「私は伯父様が、何でそんなに焦っているのかが疑問ですけど」
「アイツから聞いてるだろ……色々」
確かに、大昔に家出したままずっと帰ってこない兄がいるとは言っていた。何度も「自分より剣術の才能があったから、修行の旅に出たのだろう」と。
それが何故こんなところにいるのかは甚だ疑問だ。せっかく王都にいるなら、近所なんだし顔くらい出せとは俺も思う。
「家出して二十年以上経って、今更帰るに帰れない」
「うっ……!」
「家督を弟に押し付けて、自分は悠々と道楽の旅」
「ぐっ……!」
少し話しただけだが、恐らく彼――ラファエラは長男にしては相当駄目な部類だ。貴族の長子として家を継ぐ必要があるというのに、出奔している時点でアウト。更に時々実家に顔を出しているのならまだしも、二十年以上音信不通はちょっと拙い。
「父様、泣いてましたよ。伯父様がいなくなってから、ずっと苦労しっぱなしだって」
「そ、それはだな……俺よりアイツの方が真面目で領主に向いていると思ったから……」
「だからといって、それが義務を放棄する免罪符にはならないと思いますけど?」
俺がそう言うと、ラファエラは返す言葉が無くなって唸った。実際、アランはこの兄よりも真面目で、与えられた仕事はきっちりとこなすタイプだ。それも、次男として奔放過ぎる兄を反面教師にしたからかも知れないが。
「とにかく、俺が今ここにいることは秘密だ。アランや親父には絶対に言うなよ?!」
「父は問題ないですけど、お祖父様は仕事で時々来るのでその内バレるのでは?」
「その時は隠れる!」
「どれだけ会いたく無いんですか……」
いやぁ駄目な伯父って、本当にいるんだなぁ。
「別に、私は貴方がそれでいいなら特に何もしませんけど、皆待ってますからね?」
「……善処する」
兄の代わりに領主をすることになったアランは苦労している。とは言え、それで恨んでいるわけではない。今でも屋敷の一室はいつ伯父が帰って来ても良いようにしてあり、食卓の椅子も2つ余分に置いてある。
「で、幾ら払ってくれるんでしょうか」
「何をだ?」
「口止め料」
俺が手を出すと、ラファエラは露骨に嫌そうな顔をした。
「お前、さっき見てても思ったが、本当に子供か……?」
「失敬な、この世に生まれてまだ五年です」
「はぁ……分かったよ」
「では、具体的な要求はまた後ほど」
強気に出れる相手には強気に出るのは交渉の基本だ。別に大金せしめようとは思っていないが、貰えるものはきっちりと貰う。
◇
その後、ラファエラも交えてのお茶会となり、俺は逆にシグルドから質問攻めに遭っていた。庭園の隅で、白いテーブルを囲んでの様子は嘗て本邸で祖父らとしたものを思い出す。
「賢者さまって、剣もつかえるのか?」
「いえ、あの人剣はてんで駄目です。一度見せて貰いましたけど、シグルドより下手でした」
「そっか、でもアーミラの拳術の師匠なんだろ。おれも教えて貰いたい」
特に賢者や祖父グランについての質問が多く、その方向へ話が行く度にラファエラは渋い顔をしている。アドルナード家の二世たちはあまり師匠に良い思い出が無いようだ。
「シグルドは、もっと強くなりたいみたいですね」
「うん、なりたい。強ければ、それだけみんなが注目するからな」
「何だよ、目立ちたがり屋かお前」
ザーシャの茶々に、シグルドはムッとしたような表情を浮かべた。すぐ人に喧嘩を売るお前が言えた立場じゃないけどな。
「そうじゃなきゃ、父上も兄上たちもおれを見てくれないんだ」
「あ? なんだそれ、誰かに見てもらう為に剣の修行してんのか、しょーもな」
「コラ、ザーシャ。理由は人それぞれですよ」
「ま、そうだな。"誰かに認めて欲しい"って動機は、別に悪いことじゃねえ。クソガキ、お前だって少なかれそういう気持ちはあんだろ」
「クソガキ言うなし!」
シグルドに剣術をやっているのか聞いた際、気恥ずかしさがありながら、嬉しそうな顔もしていた。唯一とは言わないまでも、剣は彼の取り柄なのだ。
暇つぶしに始めたのか、それとも別の理由があったのかは知らない。ただ、それで父――王や兄王子たちから褒められたりしたのだろう。孤立しがちな自分が、他者に見てもらえる為の手段。実に分かりやすい少年の動機である。
「けどそういうことなら、普段からもうちょい真面目に練習した方がいいぞ? お前さん、才能はあるのにそれにかまけてるからな」
「わ、分かってる……けど、剣なんてどんだけ頑張っても、結局将来先生みたいになるんだろ?」
「みたいに、ってなんだお前」
反面、シグルドには「剣なんか頑張ったってどうせ」という気持ちがある。俺も昔、似たような出来事があった分、共感出来る部分は多い。
ある分野でどれだけ頑張っても、自分より上は幾らでもいる。はじめは持て囃してくれた人々だって、実績を積み重ねるとそれが当たり前に思いはじめ、もっと上を望むようになるのだ。結果、更に才能のある人間と比較を始める。
つまり、どれだけ頑張っていても、褒めてくれるのなんて始めの頃だけということだ。
「ま、この駄目伯父を見てると、そう思うのも仕方ないですけど」
「駄目伯父言うなし! 一応王族付きの指南役だぞ!?」
「それ以外が駄目駄目で甲斐性が無さ過ぎるんですよ」
「初対面の姪っ子が死ぬほど辛辣だ……辛い……」
あの祖父でさえも、自分より格が上の師匠を見て挫折した。
何かで高みを目指すということは、いつゴールが訪れるかも分からない階段を登り続けるようなもの。一つ目の前の障害を乗り越えたとして、その先には同じような壁が無限に続いている。それを目の当たりにして、努力し続ける事は難しい。
たかが剣術、たかが魔術と、何処かで適当に折り合いを付けるのが賢い生き方だろう。
「ただ、そのたかがに人生を懸けている人々もいるわけです。何かに本気で打ち込んだ経験というのは、人として大きな武器になりますしね」
「なんだよ、それ。意味が分からないぞ……」
その点を我が家で例えれば、アランは折り合いを付けた側だ。剣術を護身と狩りの為の術と捉え、ある程度の高水準で修め、領主として土地を守っている。
逆にザーシャはアホみたいにギラついて、立ち塞がる壁全てに噛みつくようなレベルでがむしゃらに上を目指している。理由は教えてはくれないが、
「ではシグルド殿下が今日、私に負けた時どう思ったか教えてください」
「……悔しかった。自分より小さい相手で、しかも素手の女に負けたから」
「まあ、極端な話をすれば、それだけなんですよ」
「え?」
挫折せずに延々と努力をし続けられる人間の原動力は、たった1つのシンプルなものだ。
「人生を賭して高みを目指す人々は"勝負に負けたくない"なんて、しょうもないプライドだけで戦っているって話です」
「……ちょっと、よく分からない」
「分かれよ、そこは。強くある事こそが男の存在意義だろ」
「ザーシャ、それはあなたの価値観でしょう」
ま、俺も理解は出来たとして共感は出来ないしな。力とは明確な目的あってこそ正しく振るわれるもので、際限なくそれを求めることは狂気の沙汰でしかない。
尋常ではない強さを求めていると言っても、この辺りが本物の戦闘狂と俺との違いなんだろうな。俺は領地が守れるならそれで良いし、想定外が起きないように強くなり過ぎているだけだ。
ただ、先程も言ったが、本気で何かに取り組む経験は人を成長させる。
「でも、おれもっと頑張るよ。自分があんなに動けるなんて知らなかったし、お前と戦わなかったら多分気付かなかった。どこまでやれるか、一回本気でやってみたいと思うんだ」
「はい、応援してます。私も負けずに、頑張りますよ」
そう言ったシグルドの目は、はじめに言葉を交わした時よりもはっきりと己の意志を示していた。