79.家庭教師は見た
――――冗談じゃない
ラファエラは剣士だ。王国において数少ない神鉄流範士であり、嘗て剣聖からも手解きを受けた事のある熟練の剣士である。二十年程前に家業を継ぐ事を拒んで出奔し、それ以来は傭兵や冒険者として国を流離っていた。
歳は三十も半ばを過ぎてはいるが、未だにその剣筋に淀みはない。その気になれば、竜溜りと呼ばれる国内で最高の危険度を誇る西の大渓谷であっても余裕で踏破できる。
それほどまでに、ラファエラの剣客としての才能と経験は卓越していた。
とは言え現役としてはピークを終え、風来坊を名乗るには歳を取りすぎた。いい加減何処かで落ち着き、子供に剣でも教えながら余生を過ごそうかと考えていたところ――偶然にも国王から第五王子の剣術指南役を仰せつかった。
王族の指南役、というのが今一つ気に入りはしなかったが、ラファエラも元は貴族の長子。最後に一度くらい国へと貢献してから隠居しようと考え至り、第五王子シグルドの師として働くことにした。
シグルドは多少気難しい所はあるものの、素直で飲み込みが早い。ラファエラの教える事をすぐに覚え、自分のものにしていった。ただ、剣術を本気で学ぶつもりはないことも分かっており、良い意味で程々に才能を伸ばしている最中であった。
それが覆ったのは、少々折り合いの悪い相手が王城へとやって来た日のこと。偶然廊下で鉢合わせる事を危惧したラファエラが、中庭に退避して昼寝をしていると、聞き慣れた――剣が空気を裂く音が耳朶を叩いた。
第五王子は才能こそあれど、自主的に練習をするような子供ではない。不思議に思って音のする方へと向かうと、二人の子供が手合わせをしていた。
片方は予想通りシグルドだったが、その相手をしている少女は初見。年の頃は大体王子と同じくらいで、静かに輝く月白色の髪が印象的だった。それから目元が知り合いに良く似ていて、思わず一瞬眉を顰める。
それも直ぐに光景の異常さで持ち上がり、驚愕に目を瞠ることとなった。
「……なんだ、これ」
やっていることは普通の組手だ。剣と素手という異種対決にはなっているが、魔術や身体強化も無しの純粋な力比べ。だが、その当たり前のように成立している組手こそが異常だった。
五歳かそこらの子供同士で、片方が剣を持った状態で行う試合など普通はまともな内容にならない。一方的に叩かれて終わり、もしくは剣を持った側が相手を追いかけ回して疲れ果てたり――と、大抵は散々な結果に終わる。
ラファエラは旅の途中に訪れる町々で必ず剣術道場へ顔を出しており、実際そこで師事を受ける小さな子供たちの大半はそんな感じだった。
それを、あの少女は剣に対して完璧に防御と回避を成立させている。相当叩き込まれているのか、動きに素人臭さは一切無い。きちんと「どう動くべきか」を考えて、理に適った解答を出している。とても子供の動きとは思えなかった。
ラファエラの知る限りでも、戦闘中にあそこまで理詰めで動ける人間はいない。視野と判断力だけで言えば、既に有象無象の大人を凌駕していた。
唯一、すぐに見て分かった欠点もある。彼女には殴り合いの才能が無い。ここまで理詰めであるということは、逆に感覚で体を動かせないということでもあるのだ。
世界には誰に教えられるでもなく、生まれ持った素質だけで熟練の戦士を打ち負かすような極まった才能の持ち主がいる。そういう者は決まって「頭ではゴチャゴチャ考えない」「その場の感覚で判断する」など、自身の行動理由を言語化しない――或いは出来ない。
その点で言えば、シグルドはあの少女とは真逆の感覚派だろう。無意識で最適の行動を選び、高い身体能力を生かして実行する。フィジカルに強く依存する、生まれついての強者の戦い方だ。
ただ、今戦っている少年は、普段とは全くの別人と言っても過言ではなかった。
あそこまで余裕を失い、無我夢中で剣を振るったことなど今まで一度たりとも無い。何枚も上手の少女に追い詰められたことで、持ち得るポテンシャルを最大限発揮している。その顔は真剣ながらも、とても楽しそうに見えた。
そこまでは良い、剣術を楽しいと思うのはラファエラにとっても好ましい変化だ。問題なのは、シグルドが呼んだ少女の名前。
「――――なあアーミラ、やっぱりアドルナード家って、みんなお前や先生みたいに強いのか?」
冗談じゃない。
何故今その単語が出てくる。
頭を金槌で叩かれたような衝撃に見舞われ、思わずよろめいてしまう。その拍子に足音が立ち、話していた子どもたちの視線が此方を向いた。
件の少女は一瞬驚いたものの、直ぐに何かを察したように目を細めた。それが何を指しているのか、分からない程愚鈍でもない。ラファエラはこの状況からの第一声はどうしようかと、引き攣った笑いを浮かべながら、取り敢えずはヒラヒラと手を振ってお茶を濁すのだった。




