67.桜炎の刃
嘗て古代に戦場となった遺跡群は、今や不気味な地響きが鳴動し、何かが引き摺られるような音が耳朶を叩く魔境と化していた。その原因である巨大な魔物は、今も何かを待つように沈黙を守っている。
アーミラの従者であるジェーンを含め、分断された者たちと合流する為に出立した捜索班は、遺跡群を静かに進んでいた。
「あんた、本当に良かったのか?」
「何がだよ」
その先頭を歩くジョンが、備に周囲を警戒するドランヴァルドへと声を掛けた。その目には懐疑――と言うよりかは、何処か確認するような色彩が浮かんでいる。
「あの気障男……マルクスとは仲が悪いんだろ。それを態々自分で助けに行こうなんて、殊勝だなと思っただけだ」
「アイツらの他にも逸れた奴はいるじゃねえか、何も特別不思議でもねえ」
「良ければ何があったのか聞かせてくれないか? 冒険者同士のいざこざは長く引き摺ると引っ込みが付かなくなるからな、俺で解決の為に力になれる事があったら手伝いたい」
「……お前、お節介焼きってよく言われるだろ」
ドランヴァルドは呆れた様子で肩を竦めるが、それでも一拍を置いた後に事の発端――マルクスとの確執について少しずつ話し始めた。
「今、アイツのパーティーにいる奴らは元々俺の仲間だった。俺が一人ずつ、パーティーの相性を考えて選んだ面子だ。それを、あの男――マルクスが奪って行ったのさ」
ぽつり、と呟くように告げ、強面が悲壮に歪む。
「お前さんも知ってるだろ、『赤の魔剣士』って二つ名を」
「いや、知らん。なんだそれダサくね?」
「そ、そうか……なら教えてやる。アイツはたった二年でBランク冒険者まで上り詰めた、スーパールーキーなんだとよ。今じゃリガティア支部最強、なんて噂まで立ってるぐらいだ」
「ふぅん」
「自分から聞いといて興味無さげだな、おい」
何処か生返事なジョンに、ドランヴァルトは半目で灰髪の男を睨んだ。
「だって、それは所詮噂だろ。さっきの戦闘を見てれば、お前のほうが強いことくらいはすぐに分かる」
「何だよ急に、そんな褒めても何も出ない……って、話を逸らすな逸らすな。それでだ、まあ良くある話っちゃ話かも知れないが――引き抜かれたんだよ、俺の仲間はアイツに」
「ま、実際有りがちだな」
冒険者は、所属しているパーティーに余程な害を被らない限り、脱退も移籍も本人の自由意志で決めることが出来る。当然加入の際に契約などをしていた場合、それを遵守する必要はあるが、ドランヴァルトは無闇に仲間を縛ることを由としなかった。
「もう三十も過ぎて衰えていく一方のおっさんと、新進気鋭の二枚目冒険者のどっちが安泰かなんて分かりきった話だけどよ、理解は出来ても納得は出来なかった」
結果として、今後更に名を上げていくであろうマルクスに、パーティーメンバーを全員奪われてしまったのだ。
「ずっと一緒にやって来た。それなりに信頼も積み重ねて来て、アイツらも育ってきた時にこんな事が起きて、俺はどうすれば良いのか分からなかった」
何年も苦楽を共にして来た仲間たちが薄情だと罵れば良いのか、拐かしたマルクスに怒りを向ければ良いのか。ドランヴァルトにはそれすらも分からず、ただ呆気に取られるしかなかった。
「急に一人になってもよ、働かなきゃ食っていけないだろ? そんでどうするべきかあれこれ悩んでる内に、完全に手遅れになっちまったってわけだ」
借りている宿場の部屋が減り、月ごとに払うべき金と入ってくる金も随分と変わった。一人で仕事をすることになれば必然的に効率は落ちるし、生活の質も下げなければならない。そんな現実的な問題を片付けた頃には、もう「仲間を返せ」なんて怒鳴り込む気力すら失せていた。
「だからせめてもう関わらないよう避けてたのに、ギルマスの奴が同じ仕事にブッキングしやがって……」
「そりゃあ……随分な災難だったな」
同情するようなジョンの声音に、ドランヴァルトは乾いた笑いを漏らす。
「しかし、なら余計に分からない。あんたに奴らを助ける義理なんて無いだろう、あの子の為だったとしても態々志願するか?」
「ま、それとこれとは別の話ってことだよ。どれだけ嫌ってようが、それで助けられる相手を見捨てるような人間に俺がなりたくないだけだ」
「やっぱりあんたいい奴だ。俺がもしアイツらの立場だったら、マルクスじゃなくてあんたを選ぶだろうな」
「俺なんて、しょうもねえいざこざをずっと引き摺ってるような男だろ」
今のは照れ隠しだったのか、男の顔は何処か満更でも無く、少し赤くなった頬を掻いた。
「そうか、それなら尚更巻き込んで悪かったな」
「ん……? 何のことだ?」
何処か意味深な発言に、ドランヴァルトが訝しみを覚えて聞き返したとほぼ同時、捜索班の頭上に影が差した。斥候がいち早くそれに気付き、上を見上げたが――口を半開きにしたまま固まってしまう。
「あの魔物……いや、異界の怪物は俺を狙ってここに現れた」
「おい、急に一体何を言ってるんだよ、訳が分からないぞ!?」
「あ……そんなことよりドランヴァルトさんたちも、上、上見てくださいッ!」
漸く正気に戻った斥候の声に、その場にいた全員が頭上へと視線を向けて何が起きているのかを察した。
「おや、見つけたはいいけど魔女じゃあなくてそっちか。厄介な方を先に殺したかったんだけどね」
大の大人二人程もあろうかという、鋭い顎牙を持った怪物――紫の大百足の顔が冒険者たちを睥睨していたのだ。その上頭部には人型の何かが乗っており、外套の下に隠した口からノイズ混じりの声が放たれた。
「いいか、色々と聞きたいこともあるだろうが、詳しい説明は後だ」
「約束だぞ? 何も知らないままおっ死ぬのなんて御免だからな?」
状況を把握出来ないままだが、先頭の二人は一早く剣を抜いた。ともすれば塔程の高さのある巨大な相手に対し、臨戦態勢を取った。
「先にこれだけは言っておく。ジョン・スミスは偽名で、俺の本名はルフレだ。騙してて悪かったな」
「そりゃどうも、偽名ってことは最初から分かってたよ!」
そのやり取りの間にも巨大な百足は鎌首を擡げ、その紫色の顎牙を不気味に鳴らしながら攻撃の体勢に入った。
「ついでにアレが何なのかも簡潔に教えてくれると助かるんだが!?」
「魔族っているだろ? その選民思想の連中が集まった国、パンディガの協力者ってところか。ここには多分、リガティア建国当時の遺物、兵器を探しに来たんだろう。そして俺はそれを止めに来た、OK?」
「………………よし、要するに敵ってことだな! 良く分かった!」
ドランヴァルトが半ば投げやりな返事をし、百足が二人をめがけて突っ込んで来る。それに反応してそれぞれ左右へと飛び退こうとした直後、巨体の側面に爆炎が飛来した。百足は耳障りな悲鳴を上げ、黒い煙に包まれる。
「今のは、火球……?」
その軌道を追えば、少し大きな瓦礫の上に立つ赤づくめの男と取り巻きが立っていた。
「ハハハ! どうだ、諸に入ったぞ!」
「マルクス! 生きてやがったか!」
その男――マルクスは気障ったらしい仕草で前髪を掻き上げると、ドランヴァルトたちを見下ろす。
「なんだドランヴァルトか、お前は手を出すなよ。こんな大物を狩ったとなれば、Aランクへの昇格は間違い無しだ。そこで私の活躍を指を咥えて見ているがいい」
「お前、また性懲りも無く……」
この男の野心に呆れはするが、今しがた放たれた火球の威力は確かなものがあった。先程のオーク相手であれば、容易に一撃で倒せていた程度には。
「私はもっと名を上げなければならないのだ。少なくとも、お前程度と張り合うようなレベルから脱却するくらいにはな!」
「マ、マルクスさん、あれ……!」
だが、その台詞とは裏腹に、黒煙の晴れた先にいた百足には傷一つ付いていなかった。その目は自身を害した人間を捉え、明らかな怒気を放っている。
「チッ、しぶとい奴め。これならどうだ! 『渦巻く双炎!』」
「おい待て! お前の魔法じゃ奴を怒らせるだけだぞ!」
ジョン――改めルフレの警告も無視し、放たれた二つの火柱が再び大百足へと命中。生き物の焦げる嫌な臭いが広がり、マルクスは勝利を確信して口角を吊り上げた。
が、
「ッ……!? 無傷だと!?」
先程よりも大きく舞った煙の中から大百足が勢いよく飛び出して来たことで、その余裕の表情は驚愕に変わる。
「馬鹿な! 今のは私の最強魔法、全く効いてないなんてそんな……!」
大百足はマルクスを標的に定め、速度を緩める事無く突っ込んで来た。耳障りな音を立てる顎の中には鋭い牙が覗き、人の体くらいならば紙切れの如く食い千切る事は想像に容易い。
「クソッ! クソッ! 『強固なる防壁』!」
苦し紛れに出した結界も一瞬で砕かれ、いよいよ打つ手が無くなった。あと数拍もすれば悍ましい顎牙が体に届く筈だった。
「…………?」
腕で顔を覆い、恐怖で目を瞑ったマルクスは、一向に痛みがやって来ない事を訝しんで細目を開ける。すると、眼前に立つ巨躯の男の背中を捉えた。更にその先には、額を剣で押さえつけられた大百足が藻掻いていた。
「ぐッ……おおッ……!」
「ド、ドランヴァルト……!?」
あと少しで死ぬという状況で、ドランヴァルトに庇われたのだ。
「何故お前が、私を……」
「今は、そんなことッ……どうだっていいだろ! 早く逃げろ、俺も長くは保たねぇ!」
「しかし、それではお前が――」
「五月蝿ぇ! 助けられた分際でしかしもクソもねぇだろ! このまま二人して死にたいのか!?」
ドランヴァルトの怒声に、マルクスは跳ねるようにその場から距離を取る。なれど、庇った当人にここから逃げる余力も、殊更押し返す余力なんてものも存在しない。
「畜生……なんてパワーしてんだこの化け物!」
素手の取っ組み合いであれば、トロルまでなら組み伏せた実績のある男でも、この巨大な百足の力には叶う道理は無かった。多大なる質量とそれを支える筋力は、並の生物のそれではない。
「ドランヴァルト、後少しだけ耐えろ。俺がソイツを斬る!」
「あ!? マジか!? 出来れば二秒以内で頼む!」
鍔迫り合い、隙の生じた大百足の側面に回り込んでいたルフレがそう叫ぶ。同時に剣の柄を握り、深く腰を落とす。大百足もそれに気付くものの、防御に絶対の自信があるのか、避ける素振りは見せない。
「神鉄流火性の最奥、[桜華龍煌]」
抜き放たれた剣は刀身が黒く、赤の鈍色を放つ波紋の上から更に桜色の炎が燃え盛る。その圧縮されたエネルギーが闘気となって龍を模り荒れ狂い、周囲の大気さえも焦がしていく。
「な、なんだあれ……ただのエンチャント――どころか、魔法でもない……!?」
「あの炎、まさか――」
ドランヴァルトには、ルフレの刃が纏う炎に心当たりがあった。剣士を志す者なら誰でも一度は聞いた事がある、古い英雄譚の中に現れる英雄の振るった剣が、丁度このような桜色に燃ゆる炎を纏っていたという。
そしてそれは、神鉄流という流派において奥義の先に隠された秘技、最奥と呼ばれたものの内の一つでもある。
本物では無いにしろ、それに瓜二つの剣技を扱うルフレに、ドランヴァルトは興奮から手足に鳥肌が立つのが分かった。組合の建物で見合った時から感じていた、強さの片鱗を垣間見たことによる畏怖と憧れが胸を支配していた。
「一応言っとくが虫公、避けた方がいいぞ」
ルフレが大百足にそう告げると同時、なんの予備動作も無く剣が横に弧を描いてその頭部へと振り抜かれた。炎が宙に美しく軌跡を描き、そして分厚い甲殻に覆われた質量が舞う。
「やるね、ナダ=トの外殻をこうも簡単に真っ二つにするなんて」
「冗談言うな、柔らかすぎてパンでも切ってるのかと思ったぜ」
「マ、マジで二秒で斬っちまいやがった……」
頭部を失い、自重で大地に沈もうとする大百足――ナダ=トを見上げ、黒い外套で全身を覆い隠した何者かは感心を顕にそう告げる。
「まぁ……危険度で言うときみも相当だね。早く処分しないと、今後の計画に支障が出るなぁ」
「それはこっちの台詞だ。その正体、ここで暴かせて貰――」
ルフレが言葉を言い終えるより先に、その肩を鋭い何かが抉った。
「……ッ」
「油断禁物、なんて。まぁ、ナダ=トは頭を失ったくらいじゃ死なないからね」
服とその下の鎖帷子を裂かれ、出血に至らせた物の正体は落とされた筈のナダ=トの口吻から射出された棘の一部。人の腕程もあり、全体にびっしりと小さな返しがついている為、凄まじい速度で飛来したそれが纏っていた金属ごと肉を抉ったのだ。
「お、おい大丈夫か!?」
「チッ……再生持ちか、厄介だな」
断面から新たな頭部を再生させたのを見て、ルフレは忌々しげに舌打ちを鳴らす。直後にその視線の死角の胴体から、更に棘の弾丸が発射された。数瞬置いてその気配に気付くも、既に回避できる程の猶予はない。
「全く、これだから未知の魔物の相手は嫌なんだ!」
せめてもと腕で急所を庇って防御の姿勢を取り、痛みに備える。なれど、攻撃がルフレに届くより前に、ほぼ見えない透明の壁のようなものに阻まれて棘が明後日の方向へと四散した。
「――――やれやれ、トーテムが壊れたから見に来て見れば……まさかの展開ですね」
しかして、先程まで誰もいなかった方向から鈴鳴りのような声が響く。
「嬢ちゃん、何でここに!?」
青銀の髪を風に揺らし、涼やかな青い瞳を剣呑に細めながら、仕立ての良い服に身を包んだ少女は大きな溜息を吐いた。
「私としては不本意なんですがねぇ、面倒事に巻き込まれる才能でもあるんでしょうか?」
「あ、そっちも来たんだ。探す手間が省けて丁度良かった」
「ともあれ、この感じ……私不在で勝手にイベントを進められるのも如何なものかとも思うわけでして、来ないという選択肢も無かったんですよね」
何処か嬉しげな外套の人物に視線を向けながら、少女――アーミラは右の指を鳴らす。そうすると、落とされて尚動いていたナダ=トの頭部が、青黒いスパークを伴って何処かへと消失した。
「取り敢えず、そこの目障りな虫をぶち殺してからお話を聞きましょうか?」
そう言って少女然とした、少女ではない何かは愛らしい笑みを浮かべて、背後から白銀のオーラを立ち昇らせ始めた。
このお話に出てくるルフレは、以前作者が書いていた小説の登場人物とは別人です。同じ世界観を共有するお話ではありますが、あくまでifなので知っている方はそういう認識でお願いします。