66.逸れた従者
ムカデ型魔物の出現地点から走って数キロの辺りで、散り散りに逃げていた冒険者たちが集まりはじめていた。結界を張って回る際に人数の把握もしていたが、幸いにも脱落者はいない。取り敢えず此方側に飛ばされた者は、全員生きている。
もう一つ良い知らせとして、あれ以降ムカデが俺たちを追いかけて来ている様子はなかった。あちらに行ったのかとも思ったものの、ここからでも見える奴のシルエットからしてその場から動いてはいない。
それから悪い知らせも一つ、
「おいおいおいおい……」
眼前の光景を見て、ドランヴァルドがどうしたものかと声を漏らした。その先には、城壁のように赤紫の壁――否、ムカデの外骨格が聳えている。しかも二重にとぐろを巻き、まず登攀出来ないような高さの胴が俺たちの行方を阻んでいるのだ。
「……これじゃ、逃げられないぞ」
冒険者の一人が絶望感の混じった声でそう呟く。その言葉につられて、他の面々も溜息を吐いたりその場に座り込んでしまった。
「成程、余裕綽々だったのはこのせいでしたか」
「初めから俺たちを閉じ込めておける算段があったからってわけだな」
そんな中、俺とジョンは冷静に考察を述べている。なにせあの魔物は知能が高いようには見えなかったので、獲物を逃さないよう壁を作るという行動自体が不可解なのだ。
この謎を解かない限り、あのムカデから全員で逃げる術はないだろう。一応俺一人なら逃げられないことも無いが、ジェーンも含めここにいる人達を置いてはいけない。
と、
「……お前はこの事態、どう見る? 俺としてはやはり連中の仕業と思ってるんだが」
俺が声に反応して横を見ると、ジョンが誰もいない空間に向かって話しかけていた。まるでそこに人がいるような素振りで、何なら相槌も打っている。
「あの、独り言が凄いですよ……?」
「ああ、悪い。気にしないでくれ、こっちの話だ」
もしかしてこの人、イマジナリーフレンドでも脳内に住んでいるのか……?
「それより、少しは怖がったらどうだ? 箱入りのお嬢様がこんな状況で顔色一つ変えないと、流石に怪しまれても仕方ないぞ?」
「生憎、トラブルには慣れてるんです。この程度なら――――」
こちら態度を訝しむような発言に返事をしようと思ったのだが、直後にジェーンがいないことに気付いた。俺は思わず絶句し、凄まじい勢いで顔から熱が引いていく。
「まさか、あの時逸れて……いやでも確かにいた筈……」
「おい、どうした?」
拙い、これは非常に拙い。もし、分断された側の冒険者と合流できていればいいが、そうでなかった場合彼女は今一人だ。ジェーンは俺と違って本物の非戦闘民、この危険に対して抗う術を持っていない。
「逃げる際に従者と逸れました、私は探しに行くので皆さんはここにいてください」
逃げてきた方向へと踵を返すと、それを阻むようにジョンとトーマスが立ち塞がった。
「待て待て! こんな状況で、ここを離れさせるわけがないだろ!?」
「そうですぞ。従者なら私共が探しに行きますので、アーミラ様こそ大人しくしていてくだされ」
「そういう訳には行きません。ジェーンは私の従者です、私が助けに行かないと」
「気持ちは分かるが冷静になれ、この場にはお前の他にも人間がいるんだ」
とは言っても、この場で単独行動が出来るのは俺かジョンのみ。下手に人数を割くより、一人で行った方が確実に早いし安全だ。一方でこの場には怪我をした者も多数いて、戦力である二人共が離れるのも駄目。そうなると、どちらが残るかというだけの話になる。
「……すみません、少し取り乱してしまいました」
しかし、だからと言って単独で行動するのも違う。意識の上では冷静なつもりだったが、ジェーンと逸れた事で動揺し、判断力が鈍っていたようだ。
「落ち着いたならいい。幸いここは安全地帯のようだから、待機する班と逸れた連中を探す班で分けよう。斥候の出来る奴は何人いる?」
今ここにいるのは護衛として集められた三つの冒険者パーティー、その内二人がマルクスの側に分断され――現在は都合九人がいる。ジョンの呼びかけに応じたのは三人。いずれも軽装で、探索と偵察に重きをおく装備で身を固めている。
「よし、後は少数での行動に慣れた奴を何人か……」
「俺が行く」
斥候は一人だけ探索班に加わり、残りはこの仮拠点の警戒。それから残りのメンバーをジョンが決めようとした際に、ドランヴァルドがいち早く挙手をした。
「正直アレを相手に戦える気はしないが、いないよりマシだろ。それにここの守りならギルマス一人で十分だ、捜索に人数を回して早く帰るぞ」
「分かった、なら連れていく冒険者はあんたが選んでくれ」
かくして、ジョンとドランヴァルドをリーダーとし、捜索班五名が編成された。俺を含めて残された者の中で怪我人は二人で、十全に動けるのは四人。
こちらの面々は何かあってもある程度俺が守れるだろうが、問題は捜索班の方にある。
恐らくかなりの実力者と見受けられるジョンがいるとは言え、相手は人為的に召喚された魔物だ。どう動いてくるかも分からず、こうして分担することを目的としている可能性すらある。
「あの、出来ればこれを持っていてください」
「ん? 何だこれ? 天使の人形?」
「私が作った御守りです。必ず帰って来れるよう、いっぱい気持ちを込めておきました」
「フッ……ありがとな、嬢ちゃんのことも絶対に生きて帰してやるから安心しろ」
なので、念のため全員に俺の魔力を籠めたトーテムを渡した。この天使を象った小さな人形はブリジットやアイザックが持っている物と同じで、所有者がどこにいるかを感知出来る機能を持っている他、一度だけ致命傷を防ぐ簡易的な防御結界も仕込んである。
もしも彼らが危機に陥り、この何れかが発動した場合は即座に俺が転移すればいい。
「これ、きみが作ったのか?」
「はい、そうですけど」
ただ、違う反応を示した者が一人。ジョンは手のひらに乗せたトーテムを見て、眉根を寄せている。もしかすると、俺の刻んだ術式に気付いたのかもしれない。だとしても、彼にならどのタイミングで実力がバレてもおかしくはないので、特に気にしてはいないが。
「うーーーーん……まあ、今は良い。後でちょっと色々聞きたい事があるから、また話そう」
「余裕そうで何よりです」
「当たり前だ。俺にとってはだが、この程度の状況――朝シャン前の運動とそう変わりはないよ」
彼は肩を竦め、それからヒラヒラと手を振ってから俺に背を向ける。何故かその台詞に何処か違和感を覚えた気がしたが、俺が疑問を抱く前に捜索班が出立した。
「……さて、じゃあこちらはこちらでやれることをやりますか」
まずは、あの魔物の解析から始めよう。見たところ単なる甲殻という感じでは無く、魔法的な効果が付与されている。純粋に外部からの魔力干渉を妨害するのと、甲殻自体の強度を上げる効果があるようだ。
ジョンの方で何かアクションが起きるか、こちらにアプローチが来るまではあの甲殻を破る方法を考えておこう。