59.男と断じれない
某日、荷物を取りに実家に帰って来た俺は、何故か部屋の前に待ち構えていたリーンに捕まった。無言で腕を掴まれ、部屋に連行され、そのままソファに座らされた。
「……お姉ちゃん」
「えっ、なんですかその顔」
横に座る妹はジト目でこちらを睨み、怒っているのかほっぺたを赤くしている。実家には簡単に帰って来られるので、二日に一回は夕飯を食べに来ており、構って上げないから拗ねたとかではない筈。
他に何か思い当たる節と言えば「誕生日の前には暫く屋敷にいて」というお願いに対して、まだ返事をしていないことくらいだ。
「お姉ちゃん、ザーシャくんにお弁当作ってあげたんだってね」
「あの、どうしてそれをリーンが知ってるんですか……?」
「ザーシャくんには日誌書かせてるから。昨日届いた奴読んだら、お姉ちゃんの手作りサンドイッチ食べたって」
日誌……? 交換日記みたいなものだろうか? リーンとザーシャはあまり仲が良くなかった記憶があるが、そこまで距離感を縮めたとは俺も知らなんだ。と言うか日記に俺の作ったサンドイッチの感想を書いていたなんて、あいつも中々可愛いところがあるな。
「それからこれはアイザックくんからだけど、とっても手の込んだお弁当を貰ったって聞いたよ」
「……?」
何故アイザックのことまで知っているんだ、段々妹の情報網が怖くなってきたぞ……。
「私もお姉ちゃんの作ったお弁当食べたい」
「なんだ、そんなことでしたか」
ただ、むくれていた内容は可愛かった。同年代の友達の中で、自分だけ仲間はずれにされたと思ってしまったのかもしれない。
「無論、お姉ちゃんがリーンにもお弁当作ってあげます」
「ほんと!? やったー!」
俺がそう言うと、リーンは目を輝かせて喜んだ。たかだか素人の作ったお弁当でここまで喜んでくれると、作り甲斐もあるというもの。ちょっと気合を入れて、女の子受けするような可愛らしい奴を用意してあげよう。
「んふふ、お姉ちゃん大好き!」
「全く、仕方の無い子ですね」
手のかかる子程可愛いと言うが、リーンの甘えたがりなところは正にそれだ。
つい最近までは髪の毛のセットも侍女ではなく俺がやっていたし、お風呂に入るときも「お姉ちゃんとじゃなきゃいや!」と言って聞かなかった。
髪の毛については、編込んだ房で髪を括るサイドテールでお揃いにした時、それが気に入ってしまったのが原因だが。今も左右の違いはあるが、二人とも同じ髪型をしている。
お風呂は……この歳でしかも姉妹だからまだ問題はない。もう少し成長したら、侍女に入れて貰うようにしよう。子供の身体を見て興奮するような性癖は持ち合わせていないとは言っても、流石に中身がおじさんだからな。
その辺の分別はきちんとするのが、俺のポリシーだ。肉体ではなく、精神でどうするかを決めるのだが――
「あれ、その場合公衆浴場とか絶対入れないのでは……?」
「どうしたの、お姉ちゃん?」
「な、なんでもありません。ほら、厨房に行きましょう」
肉体的には女性の俺が男風呂に入れるわけもないので、温泉に行く機会があったとしても入れないことになってしまう。そういう施設に近寄れない身体になってしまったわけだ。お風呂好きの俺としては、ちょっと悲しい。
まあ、温泉なんてヒノモトくらいにしかないし、この辺りで風呂と言えば基本蒸し風呂――サウナだ。アランも無類のサウナ好きなので、実家に専用のスペースがある。
そんなことを考えていたら、何かサウナに入りたくなってきたな。リーンのご飯を作ったら、少し自主鍛錬をしてから汗を流すか。
◇
サウナ室にて、焼けた石に掛けられた水が熱気として充満し、肌に張り付くような蒸し暑さが部屋中に広がっていた。しかしそれは不快ではなく、寧ろ心地よい汗を流させてくれている。
サウナ用に誂えた和装に似た服を着た俺は、同じ服装で全身から発汗して気持ちよさそうにしている師匠と並んで"ととのい"を楽しんでいた。これも転移で屋敷と開拓地の行き来が容易な師弟だからこそ、出来ることだろう。
「で、リーンちゃんのお弁当は結局何を作ったんだい?」
「ハンバーガーっていう、バンズに挽き肉を丸く捏ねて焼いたものを挟んだものです。勿論小麦粉から発酵させて作りました。他にも新鮮な菜っ葉や酢漬けの野菜を挟んで、タレとマスタードで味付けしてます」
「それはなんとも、聞いただけで涎が出そうになる食べ物だね」
リーンにはパテを二枚とチーズ、それからピクルスに新鮮なレタスを挟んだハンバーガーを作った。全行程自作の、オリジナルバーガーである。結構好評だったので、今度ザーシャにも作ってあげることにした。
「ところで、師匠は何故私と一緒にサウナに? 大人と子供とは言え、女性と入るのはマナー違反では?」
「まあまあ、そんな細かいことは良いじゃないか。それに僕は自分が男だなんて一度も言った覚えは無いよ」
「女性とも思えないんですけど」
「声はね。肉体的にはもうどっちでもないから、気にしなくていいってこと」
何だか引っかかる言い方というか、どちらでもないとは……それってつまり師匠には性別が存在しないということなのか……?
「教えて欲しい、って顔してるね。キミは分かりやすいな」
「当然です」
「なんて言ったら良いかな……性別なんて所詮種の中での役割の違いだから、それを超越するともう関係なくなるんだよね。生殖器だって、大分昔に機能しなくなったし。僕に男としての役割は果たせない」
「えっ、つまりEDってことですか!?」
「そのEDが何を指すのか分からないけど、キミがかなり失礼なことを言っているのは分かるぞ」
驚いた、まさか師匠がそんな重大な問題を抱えていたとは……。
「声だって普段は意識して低くしているだけで、ほら――普通に喋るとこうなる」
「……おわぁ」
師匠の声色が変化すると、ハスキーな若干女性らしいものになった。こうなるといよいよ外見も相まって女性にしか見えないが、これは中性と言うべきか無性と言うべきか悩むな。
「肉体なんて所詮魂の入れ物だけど、逆に言えば精神の影響を受けるということでもあるんだ。僕は長く生き過ぎて人間という枠組みから少し外れてしまったから、身体も合わせて変化したということだね」
「精霊などの精神生命体のようにですか」
「本当に精霊化してしまえば、性別の概念自体が消失するけど……ま、似たようなものだろう」
精霊は好きに外見を変える事ができ、時に男の姿で現れ、また別の時には女性の姿で現れることがある。本質的に言うとそれは単に性別を真似ているだけであり、師匠はそこに片足を突っ込んでいるということだ。
「受肉した精霊が祖のエルフ族なんかも、その点で言うと最も性差の概念から遠い種だろうね。彼彼女らは男女で殆ど肉体的な差が無いし」
「それを言うなら、似たような出自のドワーフは男女でかなり差がありますよ」
「あれは、元々石だったものを神が生き物に変えたからね。無機物を明確に生命として定義した故に、性差もはっきりとしているんじゃないかな」
「確かに説得力はありますね」
中性的で誰も似たような外見のエルフと、ずんぐりむっくりだが比較的特徴に差異があるドワーフ。どちらも元は人ですらなく、精霊と単なる石から生まれたとされている。亜人に分類される両者だが、人間により近いのは後者だ。
「ところで、キミはどっちなんだい?」
「……どっち、とは?」
「中身」
そう、俺が師匠の考察に感心していると急に爆弾が投下された。
「いや、見れば分かりますよね?」
「それって、キミの中身も女性でありたいと思ってるってことかな?」
「えっ?」
「だって、もし仮にキミの精神も女の子だったならそれでいいけど、もし元が男ならその姿は大分かけ離れているだろう? さっき話した通り、肉体は精神に多大なる影響を受ける。これは僕の推定だが、生まれた時から既に普通の人間からは逸脱している"転生者"であろうキミは特にだ」
「――――」
「それがとても可愛らしい姿でいる、ということは今のままで満足している。つまりキミは女の子でありたいと……おっ!?」
「それ以上は駄目です、この話は終わりにしましょう」
俺は師匠の脇腹を肘で殴って、無理やり喋るのを止めた。
一体何を言い出すかと思えば、俺が女の子になりたいだと……? これはアーミラというキャラが美少女設定だったから、それに準拠しているだけで、断じて俺自身がそう願っている訳では無いのだ。
……そうだよな?
前世でも性同一性障害ではなかったし、女装癖もなかった。男に生まれ、男のまま死んで、今も俺の心は男……と言い切りたい気持ちではある。
だが、最近は映える可愛い料理を作ったり、女の子とお茶をしながら流行りの遊びやファッションについて話したり、しまいには男の子にお手製のお弁当を用意して――大分ヤバくないか?
気づかない内に、少しずつ女子力が高まってしまっている気がする。俺の考え過ぎかもしれないけど、ちょっとこれからは気をつけようかな……。




