5.歴史の再現
次に目を覚ましたのは、直ぐ目の前から俺へと向かってくる誰かの足音を捉えた時のことだった。正確に言うとそれが足音ではなく、人の纏うオドを感じていたことは後々分かった。
ともかく、近付いてくる誰かに気付き、部屋の床に転がっていた体を起こした。その直後、扉が開いて誰かが入ってきた。
「うげ……」
口の中が鉄臭い、鼻の辺りを擦ると乾いた血が皮膚から剥がれ落ちる。気絶する直前に脳みそが熱暴走して、鼻血を出したようだ。
「あ、アーミラお嬢様! こんな所にいたんっすね」
俺が顔を顰めるとほぼ同時に、頭上からよく覚えのある声が聞こえた。顔を上げると、サラが不思議そうな顔でこちらを見ている。
「あれ、これ魔導書っすか?」
「ん……?」
ただ、どうにも視界が妙だ。彼女の体の周りに、波立つ青いオーラのようなものが見える。幻覚かと、目を擦ってからもう一度凝らして見ても変わらない。
ゲームとかにこういうのあった気がするけど……。
「サラって、もしかして気の使い手だったりします?」
「……アーミラ様、何言ってるんすか? そんな冗談言ってないで、早く本棟に戻るっすよ。奥様が探しておられ――――」
しかしながら、溜息を吐いて呆れたサラが俺の顔を見た瞬間、先程まであった青いオーラが消えてしまう。それどころか、彼女は目を見開いて固まったまま動かない。
「サラ?」
「あ、アーミラ様、その目……ど、ど、どどどどどうしたんすか!?」
「目……?」
確かに変な物が見えているが、目が一体どうしたというのか。今ひとつ要領を得ない俺が小首を傾げて見せると、サラは慌ててエプロンのポケットから手鏡を取り出した。
「ほ、ほ、ほらこれっ!!」
そう言って向けられた鏡の先には、まだ輪郭の丸い幼い少女が映っている。ここ最近はもう見慣れた顔だが、一つだけいつもと違う部分があった。
「えっ?」
青かった俺の右目が、色素を抜き取ったように白く変貌していたのだ。瞳孔も眼球も水晶のような透明感を帯びている。
「うわぁ――――」
これが、この先延々と降り注ぐことになる災難の内の始まりであることを、俺はこの時まだ知らなかった。
◇
「――――こりゃ失明しとりますな」
俺の瞼を無理やり広げ、瞳の様子を観察していた白衣の中年男――領内で働く医者のマルクスは淡々とそう述べた。
「そんな……」
「奥様、気をしっかり……!」
ベッドに腰掛けた俺を不安気に見守っていたリリアナはその言葉によろめき、メイドに体を支えられている。アランは厳しい顔で宙を睨んでおり、今しがた診断を下した医者の言葉を咀嚼しているようだ。
「眼球に傷も無ければ、筋肉も正常なようですが、強い光に瞳孔が反応する様子がない。少なくとも物は見えとらんでしょうな」
「間違いはないんだろうな」
「まあ……何分はっきりとは言えませんわ。急に倒れて、意識が戻った時にはこうだったということは、外的な要因は考えられんでしょうし。長く医者やってるワシでも初めて見ますからなぁ……」
――――マルクス先生の言葉から分かるように、俺は右目を失明した。
あの後異変に気付いたサラが直ぐにアランへと報告し、屋敷を下った先にある街に住むマルクスを超特急で呼び出したが――はじめに俺の目を見た彼は眉根を顰めた。
目がまるで水晶のようになり、痛みもなく、ただ光を捉えることが出来ない。そんな症状は極めて稀で、今まで症例がないらしい。
俺の両目は開いていても視界が半分塞がれたように見えており、左目を閉じると普段の風景は暗闇に閉ざされる。普通に物を見れていないことは確かだろう。
ただ、俺の右目は別の何かを捉え続けている。
体の輪郭に沿うように、薄ぼんやりとしたオーラのようなものを認識していた。右目を閉じるとそれが消え、逆に右目だけを開くと――オーラだけが見える。
マルクスに左目を閉じさせられた今も、人の形をしたオーラが暗闇の中に浮かんでいた。
「それと……どうにもお嬢様の眼球は、オドを帯びてるんですわ。まるで魔晶石のように、一箇所にオドが集まっとります。魔眼の一種かもしれんですが、それにしたって失明したって話は聞かんですからなぁ」
マルクスはそう言って、ルーペのような物越しに俺の目を凝視した。恐らくこれは、魔力を視覚する為の道具なのだろう。
「ま、体の方に特に影響は無いようなのが幸いですな。痛みも訴えておらんで、暫く様子を見ましょうや」
「分かった。それで、最後に一つ聞きたいのだが……アーミラの視力が戻ることはあるのか?」
父アランの問いに、氏は徐に首を横に振る。
「ワシにはちょっと分かりかねますわ。もしどうしてもというのなら、一度王都の研究機関に診てもらうとええかと思います。あそこは魔法の研究が盛んですけん、何か分かるやもしれんです」
それから幾つか文言を交わし、眼帯を着けさせた後マルクスは念の為の薬の調剤に街へと帰っていった。それをアランが見送りに行き、部屋に残されたのはリリアナとメイドが数人。
「大丈夫、きっと良くなるわ」
リリアナはベッドに座る俺を抱きしめてから、部屋を後にした。まだ少し他人の気が拭えない母親だが、ちゃんとアーミラを愛しているのは伝わってくる。
しかし本当の意味でリリアナの娘なのは、リーンだけなのだ。本音を言えば俺のことよりも、リーンのことを構ってあげてほしい。
いやね、ここまで大事になったけど、俺としては別に失明なんてどうでもよかったりするからね。
「ふはあぁぁぁ……」
リリアナに次いでメイド達が退出し、部屋に残されたのが俺とサラだけになって――漸く詰めていた息を吐くことが出来た。
「なんとかやり過ごせました……」
「全く、旦那様も奥様も凄い心配してたっすよ……」
呆れ顔のサラに、俺は苦笑いで返す。
「問題無いですよ。だってこれ、別に病気じゃないですから」
「……それ、ほんとなんすか? アーミラ様の目、凄いことになってたっすけど」
「ほんとです」
実際、俺のこの右目の異常は、アニメを履修している人間からするとごく自然なことだった。寧ろ今が本来の彼女の姿に近いと思うはずだ。
そもそもこの世界のアーミラは、俺の記憶と外見が異なっている。
髪の色もそうだが、本来の目とは違う色合いの魔眼を持っているオッドアイという設定だった。
デザインの問題で若干差異はあるが、ゲームでは白金の髪に真紅と黄金のオッドアイ、アニメでは濃い金髪にゲームと同じ色合いの瞳を持っている。
俺の目がそうなったのは、恐らく魔導書に従ってオドを知覚しようとした時、その膨大な情報量に体へ何かしらの異変が起きたからだ。それが形として現れ、俺は通常の視覚を失い――代わりに魔力を見る力を得たのだろう。
アニメでもアーミラは初めて魔法を使った際に事故を起こし、それが原因で魔眼を開眼させていた。
やはり歴史は正しい方向に進むのか、それとも偶然俺が似た行動をしてしまったのかは不明だ。色も違うけどまあ、誤差だ誤差。俺がオッドアイになっただけでも、十分原作を再現している――と思いたい。
ただ、魔眼というには性能も微妙で、ある程度魔力の濃度が濃いものしか知覚できない。それこそ人間が有するオドなど、肉体に魔力を有する生き物ならはっきりとその動きを見ることは可能だ。
だから両目で物を見た時、左目で見えている光景と右目で見えている魔力が重なる。
「それでもこの事が母様に知れれば、魔法の勉強を止めさせられた可能性がありましたから」
「だからって、あたしを脅す必要はあったんすか……?」
「あります」
実はサラは買付けの担当だからといって、アランが好んで吸っている煙草をちょろまかし、それを運び屋へと横流していたのだ。この前偶然その現場に居合わせ、俺はこの事を黙っていてやる代わりに共犯へと仕立て上げることにしたのだ。
「そ、それは……あたしが約束守ったんすから、アーミラ様も守ってくれるっすよね……?」
「勿論、あなたが私を裏切らない限り、私はあなたのことも売りません。秘密を共有し合った時点で私たちは運命共同体です、分かりますか?」
「は、はいっす!」
俺が微笑を浮かべてそう言うと、サラは畏まって返事をした。
サラに口止めしたのは、失明の原因が魔法にあると知れば、過保護なリリアナは恐らく俺から魔導書を取り上げるからだ。
娘が大事だからという理由からくるのは分かるが、俺の目的を邪魔されるわけにはいかない。
故に現場を見ていたサラだけは、若干本性を知られてでも共犯に仕立て上げる必要があった。何も言わずとも黙っていてくれた可能性もあったが、こっちのほうがより確実だ。
「アーミラ様って、やっぱりみんなが思ってるより頭いいっすよね」
「ただの子供ですよ」
寧ろ、この辺りで誰かを味方に引き入れて、色々と手伝って欲しいところだった。
そんな所に現れた、軽犯罪を働く小狡いメイドなんて丁度いい。
「あてぃし、とんでもないのに目ぇ付けられたっす……」
これからはサラ以外にも仲間を作り、段々と俺の影響力を増やしていき――いずれは領地の運営に口を出せるところまで行く。
当然それが本懐ではなく、魔族の密偵を炙り出すことが目的だ。そこに至るまで年単位で時間がかかるだろうが、俺は必ずやり遂げてみせる。