53.お話をしましょう
応接間へと案内された俺は、ブリジットの母であるレイナとも挨拶を終えた。彼女は綺麗な栗毛だったので、どうやら娘の赤毛は父の遺伝らしい。
「しかし、本当に一人で来たのか……大人の人がいなくて大丈夫かな?」
「交渉の権限という話であれば、事前に許可は得ています」
「ああいや、そうではなくて護衛が一人もいないのが……ね? 」
苦笑いするバイスの後ろに控える護衛の男を一瞥し、俺は少し考える素振りを見せる。
下手に半端な実力の護衛では、何かあった時逆に俺が守る羽目になるからな。連れるとしたら師匠や、薄明の騎士クラスでないと話にならない。
ただ、敵に自分の手の内を隠したまま事を終えるという点に置いて、護衛は非常に理にかなっている。命を預けられる程信頼している他人に、敢えて危険を冒させるような度胸が無いから、あんまり考えた事なかったけど。
「特に必要ないんですよ」
「そ、そうか……」
そして結論を簡潔に表すと結局こうなる。今の俺は本気を出せば現職の暗殺者にも勝てるということがはっきりとしたし、勝てない相手でも転移魔法で逃げれば良い。
「ゴホンッ……まあ、それは良いとして、そろそろ本題に移ろう」
「あ、はい」
背の低い机を挟んだ向かいに座るバイスが咳払いをし、居住まいを正した。
「今回きみには到底金額では表せない程の恩を受けた。よって此方の出来得る限りの事を謝礼としたいのだが、何か望みはあるかね? 勿論謝礼金という形でも良いぞ」
「本来なら固辞する所ですが、それではそちらの顔が立ちませんものね。それでしたら……うぅん……何が良いでしょうか……」
ぶっちゃけて言うと俺が要求するものは初めから決まってるのだが、ちょっと今悩んで決めましたというポーズを取っておく。
「そうだ、今うちの領地でもヴェニスという玩具ブランドを作ったので、そちらのトエルと共同で何か商品を開発しませんか?」
「おお、ヴェニスの名前は王都にいた時に耳にしたぞ。きみの父は相当なやり手だな、たった半年でここまで流行るとは私も思わなかった」
「今一番勢いのあるブランドだと、市井の間ではその話題で持ちきりですから」
夫妻が顔を明るくして口々にそう言い、やれ『あの遊戯は暇つぶしに最適だ』とか『頭を使うから眠気覚ましに丁度良い』だとか褒めちぎる。
「此方としてもその提案は嬉しいが……それでは我々にも利益が出てしまうし、謝礼とは言えないな」
「そうですか、ではその話はまた後で詰めるとして……他に欲しいものと言うと、最近直ぐに背が伸びて着られる服が少なくなってきたんですよ。ですからトエル製の物を何着か頂けると嬉しいのですが」
「そんなことならお安い御用だ。数着と言わず、欲しい時に言ってくれれば幾らでも作ってあげよう」
「本当ですか!? ありがとうございます! ずっと欲しかったんですよ、トエルのドレス!」
ドレスと言う部分はさておき、トエル製の服はデザインと機能性に長けた中世と言うより近代的なファッションブランドだ。俺が見ても素敵だと思うような物が多い。
なのでそろそろ一着くらい欲しいと思っていたのだが、完全オーダーメイドなので店舗によっては予約が年単位で先のこともある。因みに実家から一番近い王都支店に問い合わせた所、最速で一年半後だった。
「なに、もしかしてアーミラの服作るの!? じゃあ私が案内してあげるわ!」
「こらこらブリジット、お話の最中だぞ」
「だってお父様、アーミラに助けて貰ったのは私よ? だったらお礼をするのも私じゃなきゃ」
「確かにそれはそうだな、よし! じゃあ自慢の我がトエルを案内してやれ!」
会話がつまらなかったのか、お菓子をつまみながら静観していたブリジットが話に入って来た。それを宥める――と言うか言いくるめられるバイスに、俺は思わず笑顔が溢れる。
「どうした、アーミラ嬢?」
「ふふっ……これからは、親子の時間を沢山作って上げてください」
「……そうだな、今まで一緒にいられなかった分、沢山愛情を注いでやるつもりだ」
子供のためとは言え、同じ屋根の下で共に暮らしていないのはブリジットが不憫だ。もうお金の心配も無くなったし、思う存分一家団欒して欲しいと切に願う。
和やかな空気の中、それから暫く談笑は絶えなかった。
◇
とうとう痺れを切らしたブリジットがアーミラを連れて部屋を出ていった後、残されたクレーデル家当主は大きな溜息を吐いた。
「……想像以上だったな」
「おや、私は予め忠告しておいた筈ですが? ただの子供と侮れば、驚かされると」
「それを超えてきた、と言うことだ」
ランドルにそう言われ、バイスはもう一度小さく息を吐く。
剣聖グラン・アドルナードの孫にして賢者リフカ・ラスリエストの弟子、アーミラ・アドルナード。バイスも噂には聞いていたが、相対した瞬間に彼女が噂以上の只ならぬ存在であることを理解した。
「あれは化け物だ、お前たちも見ただろう」
その言葉に、ソファの後ろへ控えていた護衛たちは静かに頷く。
会話の最中、アーミラは常に護衛たちの仕草やバイスの目線――手の動きに至るまで終始気を配っていた。それは――絶対にあり得ない話だが、仮にバイスたちが少しでも彼女を害するような行動を取った場合に備えてであった。
本職には及ばないがバイスも魔法の心得があり、多少はオドの揺らぎを肌で感じる事が出来る。その感覚によれば、最低でも三つ――実際はどれほどか数え切れない程の術式の気配を察知していた。
諸侯の対話において油断は禁物、用意周到と言えばそうではある。ただ、まだ社交界に出たことも無い子供が、あそこまで相手の動きを警戒することは果たしてあり得るのか――バイスは疑問だった。
しかも同時にブリジットとの親子関係を慮るような態度も見せており、一見矛盾するような二つの言動を両立させていた。
「……どちらも本音なのだろうな」
彼女は誰が相手であっても同じような対応を取る、そんな確信があった。例え肉親であろうとも、一定の警戒と親愛を持って接するのだ。
だが、それは決して悪いことではない。長年この屋敷に仕えた老執事の裏切りも、彼女がいたからこそ発覚し――そして対抗が出来た。ある点では貴族社会を渡り歩く上で、最適な人物とも言えるだろう。
聡明だが時折子供のようなあどけない仕草と態度を混じえて、子供らしからぬ腹の内を持つ少女。かの賢者に見初められる程の魔の素質を備え、実力は折り紙付き。ゼダとの戦闘記録と今回の目測では、恐らく既に協会の定める段位の最高位――もしくは『魔公』に等しい力を持っている。
傑物揃いのアドルナードと付き合うにはそれなりの覚悟がいるが、バイスは絶対に強い繋がりを持っておくべきだと確信していた。
過去には剣聖に与えられた爵位も『英雄をこの国に縛る為のもの』だと言われており、政治の面では一切期待のされていなかったあの家も、彼女が強い影響を及ぼす可能性がある。そうでなくとも、三代目にしてとうとう恐ろしい怪物が生まれたのだ。
「さて……我が王は一体どうするのやら。相当なじゃじゃ馬だぞ、あれは」
この世界においてしばしば存在する、扱い方を間違えると国すら滅ぼす一個人。アーミラは間違いなくそれに該当する。
噂を既に耳にしている筈の王は、一体彼女にどうアプローチを掛けるのか。王家には嘗て海を渡ってこの大陸にやってきた先祖を迎え入れてくれた大恩あれど、もしも判断を間違えたのなら――その時は
一人の隣人として友好関係を築きたい一方で、この先に待ち受ける波乱にバイスは少し胃を痛くしたのだった。




