50.きな臭さを残したまま
「しかし、肝心の質問には答えて貰っていないのですが?」
「……誤魔化しは効かんか」
確かにブリジットが地神の巫女の末裔であることは分かったが、それで何故クレーデル家を狙ったのかは言っていない。俺が知りたいのはそこであり、理由を知ればどういう立ち位置の相手なのかも判明する。
「ただ、これを知れば貴様は私の背後にいる方に目をつけられる事になるぞ」
「あの方が一体どの方かは知りませんが、どのみちいずれ敵対してることでしょうし構いませんよ」
寧ろこうなった時点で認知はされるだろうし、いっそ俺がこういうやり口をする勢力とは敵対する事を今回の件で伝えたい。相手がどこの誰であろうと、罪のない子供を相手に呪殺を行う連中は敵だ。
「良かろう、では教えてやる。精々その名をしって震え上がらんことだな。私の雇い主の名は――」
「――――反現王政派閥、それだけを覚えていれば今は十分です。アーミラ様」
ゼダの若干呆れを含んだ声音は途中で遮られ、代わりに扉の前に立つ男――ランドルがその言葉を接いだ。
「いつからそこに?」
「えっと、アーミラ様がブリジットお嬢様の解呪を行った辺りですかね」
「……かなり最初からいたんですか」
「すみません、声を掛けるタイミングを見失ってしまって。しかし、解呪専門の呪術師としてでも食べていけそうな程見事な手腕でしたね、流石と言うべきでしょうか」
そう屈託のない笑みを浮かべて喋る優男の目は笑っていない。誤解のないように言うと、若干こちらを警戒するきらいがあるだけだ。
「私の記憶によると、文書の複製や覗き見も得意でしたけど、いやはや多芸ですね」
「……あ、その説はどうも。あなた方がどちら側か分からなかったもので、お仲間に迷惑を掛けてしまいました」
既に察しているかもしれないが、ランドルはただの文官ではなく――秘密警察とでも呼ぶべき組織の人間である。俺もとある機会に拝借した文書の中に、丁度ランドルという名前があったのを憶えていたから直ぐに気づいた。
「それで、今回は白煙から何か唆されてここへ?」
「白煙? 知らない名前ですね。私は知人に頼まれて、ブリジット様とお茶会をしに来ただけですよ」
「……成程、そういう事にしたのですか。分かりました、ならこちらも都合を合わせましょう」
何だか少し思わせぶりな発言が頻発し、俺は良く分からないと言った面持ちで首を傾げる。いや、何を言っているのか分かってはいるのだが、ここでそれを肯定すると色々と面倒なのだ。
今は分からないままにしておくのが一番なので、勘弁して欲しい。
「……と言うか、なんであなたがいてこの有様なんですか。さっさと犯人見つけてとっちめれば良かったのでは?」
「はは、手厳しいですね。私は一応情報収集を主に行う非戦闘員ですので、これも適材適所かと」
いや、三歳と半年の幼女を戦闘員としてカウントするなよ……ああでもそうか、元々は師匠がこの場に来る予定だったのだから彼の対応は正しいのであって、イレギュラーはこっちだったな。
「まあ、正直驚いてますよ。生け捕りにするとは思いませんでしたし、結局賢者を呼ぶものと思っておりました」
「この程度で師の手を煩わせていたら、それこそ何を言われるか分かったものではありませんから。とは言え、完全に面倒事を押し付けられた形になったのはどうにも腑に落ちませんがねぇ」
少し怒気の混じった俺の発言に、ランドルは苦笑を漏らす。マジであの若作りジジイ、帰ったら絶対一発は殴ってやろう。
「では事後処理は此方でしておきますので、お任せください」
「お任せします。私はもう疲れました」
全く、こっちは普通にお茶会するつもりで来たのに、無駄に体力を消費してしまった。こんなことならもっとちゃんと準備して来たし、最初から言ってくれれば良かったのに。
◇
後日。
「お母様!」
久しぶりに王都から領へと戻ってきたクレーデル夫妻を出迎えたのは、今年三歳を迎えた愛娘――ブリジットだった。娘は生まれつき足が悪く、その為ずっと屋敷の中で暮らして来た。
夫妻は娘の病気を治す為に馬鹿にならない治療費を払い続けており、幾らか借金もあった。幸いにしてトエルというブランドを立ち上げ、成功したお陰でなんとか働き詰めで生活は成り立っている。
しかしながら、夫妻は疲れ果てていた。
一番辛いのはブリジットだと分かっていても、人の心には限界というものがある。長男が自立してからましになったとは言え、どれだけ高名な医者に診せても原因が分からず、その度に徒労感に襲われていた。
どうすればいいのかも分からず、妻のレイナはブリジットをこのような身体に産んでしまった事を嘆く始末。夫であり領主であるバイスも、生涯解けない難題を突きつけられたような気分で日々を過ごしていた。
疲労困憊の中、今回も何名か国内外の医者の連絡先を見繕い帰領した所、そこで信じられない光景を目の当たりにした。
「ブリジット……お前、立ってるのか?」
「あなた、私は今夢を見ているのかしら?」
寝たきりで車椅子生活を余儀なくされていたブリジットが、自分の足で地面に立って夫妻に駆け寄って来たのだ。はじめは疲れから見た幻覚と思ったが、二人して顔を見合わせた瞬間にそうではないと分かった。
「は、はは……! なんてことだ……! 奇跡だ!奇跡が起きたんだ!」
驚愕はすぐさま歓喜に変わり、バイスは駆け寄ってきたブリジットを抱き上げて持ち上げる。そのままその場で踊るように回り、地面へと降ろして何度も頬や額にキスをした。
「本当に、本当に自分の足で立ってるのね……!」
涙ぐむレイナもブリジットを強く抱きしめ、髪の毛をくしゃくしゃになるまで撫で回した。
「うん、私もう歩けるの! でも奇跡じゃないわ、アーミラが来て治してくれたのよ!」
「アーミラ?」
不思議がる二人に、ブリジットは何処か得意げな様子で胸を張る。
「アドルナード家の御息女様で御座いますよ、旦那様」
「ランドルか……って、待て待て、今なんと言った!?」
いつの間にかいたランドルの言葉を聞いて、バイスの顔が再び驚愕に彩られる。その様を見た領主代理は、クツクツと笑いをこぼした。
「アドルナード……とんでもないところに借りを作ったな、いやしかし、あの英雄の家系なら納得出来てしまうのもまた……ところで謝礼はきちんと支払ったのだろうな?」
「いや、その……フフッ『謝礼は要らないから、ご夫妻に宜しく伝えておいて欲しい』とだけ告げて帰ってしまわれましたよ、全く豪快で寡欲な少女でした」
「笑っとる場合か! 早く伝書を送れ! 私達が受けたのは生涯に渡っても返しきれん恩だ。ここで『はいそうですかありがとうございます』なんて頷いたら、クレーデル家の恥だぞ!」
「ほら早く行け!」というバイスの声にランドルは肩を竦めて執務室へと戻っていく。
「あのねお母様、私ね、二人が帰ってくる時の為にカナおばさんとクッキー焼いたの!」
「あらまあ、それは楽しみね。丁度長旅でお腹が空いていた所だから、たくさん食べちゃうかも」
「大丈夫よ、いっぱい作ってあるわ!」
今まで良くも悪くも、クレーデル家の中に活気は殆どなかった。
それが実に久しぶりに領主の怒号と母子の仲睦まじい会話が聞こえ、屋敷の使用人たちは皆一様に活気が戻りつつあるのを感じて涙ぐむのであった。




