47.呪いの主
屋敷の外にある庭園は、多様な種類の草花が咲き誇った見事なものだった。色合いも良く、しっかりと季節の花を全面に出している。
見ているだけで一日潰せるだろうし、また時間のある時にゆっくりとここでお茶でもしたいものだ。
「ほら、凄いでしょ!?」
「ええ、これは確かに素晴らしいですね」
「……花とか興味ね~」
車椅子に乗って自慢気に話すブリジットを、ゼダと俺は生暖かい目で見る。少し離れた後ろを歩くザーシャは、ポケットに手を入れたまま退屈そうな顔をしている。
因みにランドルは「是非この庭園を管理している人と会って見ると良いですよ」と言って執務室へと戻っていった。その言葉通り、今は庭園の先にある小屋まで花を鑑賞しながらゆっくりと歩いている。
しかし、改めてこの庭園を作った人は本当にセンスが良いな。鉄の格子屋根に蔦や葉が絡まって天然の日除けが出来ていたり、薔薇のアーチや小さな溜池を覆うような色とりどりのスイセンなど見ていて飽きない。
他にもまだ開花はしていないが、紫陽花なども植えられていた。もう少しで訪れる雨季になれば、綺麗な藍色の花を咲かせることだろう。
そうして薔薇のアーチを潜り、少し開けた場所に出ると小さな小屋が見えてきた。人が一人住むには十分な大きさの、それも煉瓦造りのお洒落な小屋だ。
「あそこにね、カナおばさんが住んでるのよ」
「乳母、でしたっけ。彼女がこの庭を?」
「そうよ、なんだっけ……えっと、じつえきをかねたしゅみ? だって」
成程、ここまで凝ったガーデニングも出来る器用な乳母というわけか。
「私、カナおばさんの育てるお花が大好き! とっても綺麗で、見てるだけで幸せなの」
「そうですね。私も、この庭園は見る人の事をちゃんと考えて作られていると思います」
道は綺麗に舗装され、まるでブリジットが車椅子に乗って通りやすいようにと言わんばかり。植えてある花々も座ったまま見られるように工夫されているし、これは外に出られない彼女に向けた庭園でもあるのだろう。
「――――あらブリジット様、お散歩ですか?」
俺が庭園の美しさに惚れ惚れしていると、小屋の裏手から女性が姿を現した。
「アーミラ、この人がカナおばさんよ!」
件のカナおばさんは、暗い栗色の髪を一つに束ねた、少し陰のある三十代後半くらいの綺麗な人だ。乳母と言うからもっとこう……恰幅の良い肝っ玉母さんみたいなのを想像していたが、線の細い薄幸美人だったらしい。
御伽噺に出てくる魔女のようで、何処か妖しい雰囲気も纏っている。
「そちらは確か、今日来られると言っていた……」
「ブリジット様のお友達の、アーミラ・アドルナードです」
「とも……そうよ、友達! 私の友達!」
「あらまあ、ブリジット様にお友達が出来たのですか。それは大変嬉しいご報告ですね、自分のことのように嬉しいですわ」
ブリジットは一瞬ポカンとした後、ちょっと照れながらそう胸を張る。俺が友達と言ったのがよっぽど嬉しかったのか、一々可愛いな。
「そうだ、丁度クッキーを焼いたのでいかが?」
「勿論頂きます、この庭園を作った方と是非お話がしたいと思っていましたから」
俺がそう返事をすると、カナは微笑を浮かべて小屋の扉を開いた。それを見て、ゼダと一度アイコンタクトを交わし、徐に彼女の城へと足を踏み入れていく。扉をくぐると、少し香ばしい香りがした。
最後に小屋に入ったゼダは、カナに悟られぬように閂を閉める。もしこの場に犯人がいたとして、逃さないようにするためだろう。
「散らかっておりますけど、机と椅子は無事ですから」
「カナおばさんは片付けるのが下手だから、いつもママに怒られてるわ」
「ふふ、そうなんですね」
小屋の中はお洒落なリビングが広がっており、カーテンの仕切りで寝室と分けられている。反対側の奥には浴室があるようで、完全にワンルームで完結しているタイプの部屋だ。
「この広さは一人で住むには狭くないですか?」
「私、昔から狭い空間が好きなんです。使わないのに無駄に広いと何だか不安になりますし、それにこういう秘密基地みたいな部屋も案外悪くありませんよ」
「あ、それ分かりますね。私も狭い部屋に自分の物を敷き詰めて生活したいタイプです」
「実は前までお屋敷の本邸の方に住んでいたんですが、広さが合わなくて……旦那様に我儘を言ってこっちに移させて貰ったんです」
この部屋も手の届く範囲に必要な物が全部あって、一見足の踏み場も無いように見えて実は考えられて配置されている。一人暮らしだから出来ることだな。来客があった時に恥ずかしくならないメンタルがあれば後はどうでもいいのだろう。
「じゃあ、今お茶の用意をしますね」
台所へとパタパタ走っていったのを見届け、俺は改めて部屋の中をゆっくりと観察する。大概は庭いじりに必要な物か生活必需品だが、その中に少し風変わりなものが幾つかあった。
最も目を引くのは、干してある花束――所謂ドライフラワーという奴だ。壁には乾燥した薔薇や名称不明のキク科らしき花がぶら下がっている。
積み上がった本は薬草学や調合などのレシピ本、それから魔術に関する書籍の幾つか。それから薬研にすり鉢、すりこぎ棒と調合に必要な道具が無造作に作業机の上で転がっていた。
「その……失礼ですが、カナさんは貴族の出身なのでしょうか? こちらの魔導書は、決して安いものには見えないので、気になってしまって」
「いえ、違いますよ。私は平民です。ただ、親が学校に行かせてくれたので、こうして魔術や礼儀作法を学べたのですよ」
どうやら彼女は、平民の中でもそこそこお金のある家に生まれたようだ。そうでなければ魔術を学ぶのは難しいし、こうして貴族家に仕えることも出来ない。それに商家であれば、そちらの繋がりの多いクレーデル家への奉公もあり得る。
「それから、失礼ついでにもう一つお尋ねしても宜しいでしょうか……?」
「ええ、何でも構いませんよ」
「カナさんの扱う魔術は、どのような物なのか教えて頂きたいのです」
俺が少し遠慮がちにそう聞くと、台所に立っていたカナはクッキーを皿に乗せてこちらへ戻ってきた。正直この手の質問は魔術師に答える義理が無いため、秘密にされることも覚悟している。
「錬金術――と言えば聞こえは良いですが、薬草に魔力を籠めてポーションを調合する程度の魔法です。庭園を作ったのもポーション作りの材料に使うので、どうせなら見た目も綺麗にしようかなと」
ついでと言うには余りにも手が込みすぎているが、彼女にとってはさして苦ではないらしい。
「ブリジット様のお薬も、私が調合しているんですよ」
「……あの苦いやつね、私は嫌いだわ」
「良い薬は総じて苦いものなのです、我慢してください」
と、そこで少し気になる発言を聞いて、俺は居住まいを正す。
そもそも彼女は乳母としてではなく、薬草学と魔術の知見を持つ人間として雇われている。それはクレーデル家の女性が昔から虚弱体質がちなのが理由らしく、ブリジットもその例外ではなかった。
部屋を出る前にゼダから聞かされた話によると、この屋敷で魔術師と呼べる人間はカナ以外にいない。消去法でブリジットに呪いを掛けているのは彼女の可能性が最も高いらしく、今はさり気なくその証拠を捜すように言われている。
「それはいつ頃からでしょう?」
「確か……ブリジット様が生まれた直後からですね。生まれた時はとても体が小さくて、直ぐに熱を出していましたから」
生まれた直後であれば、ブリジットがまだ歩くようになる前だ。生まれつき足が悪かった事にするには問題ない。薬に見せかけた呪いの触媒を口にさせることも可能だろう。
「そう言えば、奥様が妊娠された際にもお薬を作っていた憶えもあります。とても体調を悪くされていた時期があったので、お腹の中のブリジット様に影響が出ないようにと頼まれて調薬していました」
しかも母親の方にも薬を飲ませていたとなると、疑わしいと思うのが普通だ。俺としてはそれが証拠になり得るとは思っていないが。
「そのお薬を見せて貰っても?」
「構いませんよ、少しお待ちください」
「色々お尋ねしてすみません、私も魔術師としてその手の物に興味が尽きないので……」
「お気持ちは分かりますよ、魔術師とはそういう人種ですから……あ、ありましたよ」
カナが再び席を離れて棚へと向かったと同時に、ゼダがこちらに一瞥をくれてから立ち上がった。念のためという意図があるのを伝えたかったのだろうが、傍から見ると若干早急のようにも思える。
いや、と言うか今のアイコンタクトはそもそもミスリードで――――
「――――全く、まさか私の呪術を看破する者がいるとは」
薬の瓶を手に戻ってきた彼女が、脱力してその場に崩れ落ちた。手から滑り落ちた瓶が地面に当って砕け、硝子片と透明な液体が周囲に散らばる。
「お陰で計画は破綻、ガキ共をこの場で殺すことになってしまったではないか」
何が起きたのか分からないブリジットは目を見開き、動揺してティーカップを倒した。
「えっ……爺……? なんで?」
「だが、この密室は都合がいい。あの男の目もない、遠慮なく仕事が出来る」
倒れたカナの背後には老執事が立っており、無感情に意識の無い乳母の事を見下ろしている。俺はそれを見て即座にブリジットを庇える位置まで移動し、並列思考で構築していた術式を二つ完成させた。
「――――『呪毒』」
「……ッ!」
だが、それより先にゼダが魔術を行使した。
急激な不快感と脱力感と共に鼻から血を流し、次いで喉の奥から鉄の味の液体がせぐりあげる。
「ゲホッ……」
「アーミラ!?」
「おい! 大丈夫か!?」
してやられたとは言いたくないが、予想以上に行動が早かった。来るなら、俺が彼女を犯人と断定するような素振りを見せてからだと思っていた……と言っても、想定内の事態ではある。
ブリジットに呪いを掛けた真犯人がカナではなく、老執事――ゼダであることは。




