4.魔法との邂逅
明くる日。
朝食を終え、メイド達が忙しなく家の事をし始める頃。サラとジェーンの監視を撒いて、一人自由になった俺は屋敷の中にある書庫へとやって来た。
――――最悪の未来を回避する為、やるべきことは色々ある。
最も重要なのは領内にいる魔族の密偵の摘発だが、まだ一歳とちょっとの俺に出来ることは無い。アランに相談しようにも、こんな子供の言うことはまともに取り合ってくれないだろう。
俺が今のうちから出来ることは、自分を強くすることだ。その為にはまず"魔法"を覚える必要がある。
何故かと言うと、原作マギブレでアビリティと呼ばれていた技の数々は、キャラによって使えるものも属性も違うが――とりわけアーミラは魔法に関連した特殊な技が多かった。
具体的に言うと『物理攻撃に入るものも半分魔法ダメージに変換される』ものや、逆に『魔法攻撃であっても物理防御が低いとダメージが上昇する』ような変則的な性質を持っている。
その技の全ては魔法に分類されるので、アーミラというキャラの性能を100%引き出すには、俺も同じように魔法が使えなければお話にならない。
彼女は武器として剣も使えたが、今の歳から訓練するのは難しい。剣を触るのは体がもう少し成長してからにするとして、先に幾つか魔法の習得を終わらせるべきだ。
この世界では貴族が魔法を学ぶのは割と普通のことで、リリアナやアランも同様に学んできた筈。書庫になら、恐らく魔導書の一冊や二冊くらいはあるだろう。
「んしょっ」
小さい体で脚立を動かし、本棚を端から調べていく。
魔導書で一纏めにされていればいいのだが、ここを一番良く使うアランが整頓出来ない人間なので本の順番もジャンルもぐちゃぐちゃだ。続き物であっても、一巻の次に五巻とかが当然のように並んでいる。
最初の棚を調べ終わり、次の棚へと移り、途中でちょっとアレな本を見つけて箸休め。成程この世界にもこういう本を書く人はいるらしい。
「ふむ、趣がありますな……」
内容は身分を隠し、男装をして偽名を名乗り夜会に参加することが趣味のお姫様が、公衆の面前で王太子から婚約破棄された侯爵令嬢と恋に落ちるという話だ。はじめはその場で令嬢を庇う為だった行いが、次第に本気になっていく様子が細かに描かれ……非常に趣深い。
「……って、読んでる場合じゃないや」
それから棚を三つほど調べたところで、ようやくそれらしき本を見つけた。題名は『新約・はじめての魔法魔術理論指南書』、著者は――リフカ・ラスリエスト。それなりに分厚く、また装丁も美しい。
留め具を外して本を開き、目次を飛ばして本文へと移る。
「どれどれ――――魔法とは、[オド]あるいは[マナ]と呼ばれるエネルギーが現象として発現したものである。それらを制御する術が魔術であり、私がこの著書に纏めたものはどちらかと言えば後者に寄っているかも知れない……と」
マナとは、大気中に満ちる魔法の源となる力。オドとは、生命の内側で生成される魔法の源となる力。両者を纏めて[魔力]と呼ぶ。どちらも性質的にはほぼ同じだが、オドの方が生物には制御しやすい。
そしてこれら魔力を出力したものが魔法であり、魔法を出力する為の技術が魔術なのだと。第一項では、その魔術を構築する為の理論と式が説明されている。
「あ、そういうことか」
そこまで読み進めてから、俺はこの世界がどういうものなのかをようやく理解した。存在しないゲームシステム。単なるフレーバーとしてではなく、理論として存在する魔法と魔術。
以前にステータスが表示出来なかった時点で考えてはいたが、アニメ版ではなく――これはもしやこっちが原典なのではないだろうか?
地球の誰かがこの世界の存在を知って、それをマギブレという作品にした。もしくは『こんな世界あったらいいな』という想像が、無限に存在するパラレルワールドの中の一つと偶然恐ろしいほどに一致してしまったのかもしれない。
この本に書かれている内容は、魔法という概念に対する説明としてゲーム内にも存在している。ただ、魔法なんて特に何も考えなくても使えたし、一々そんな設定を気にしているプレイヤーはいなかった。
ならば、その設定は一体何処から湧いて来たのかを考えると――やはり偶然とは思えない。それに神様が俺の願いを叶えてくれたのだとして、たった一人の為だけに世界を丸々一つ作るような真似をするのもおかしな話だ。
どちらが先にあったかと問われれば、俺はこの世界が先に存在していたという説の方が自然だと思える。けどやっぱり本当のことは分からない、一体どっちなんだろう、俺の心の中のボブは訝しんだ。
……分からない事を考えていても無駄なので本題に戻るが、マギブレで魔法を覚えるには魔導書を読む必要があった。本を開けば設定されている魔法を習得し、直ぐに使えるようになっていた。
この世界でも同じように魔導書を読むわけだが、それは学習的な意味合いでのことだ。ゲームのように開いただけで魔法を使えるようにはならず、一つの学問として修めなければならない。
これこそがマギブレにおける、魔法の本当の形なのだろう。
「いいな、これ」
魔法に関して楽は出来ないと理解したというのに、俺は何故か嬉しかった。きっと、遊び慣れたゲームの魔法を、確かな技術として手に入れられるからだろう。
設定だけでしかなかった理論を現実のものとして、それを理解し魔法を行使する。ただアビリティの名前を口にしただけで発動するより、よっぽど原作ファンには嬉しい仕様だ。
「それで、まず魔法を使えるようになるには……」
――――実際に魔法を使う為には、魔力の存在を知覚することから始まる。
マナは空気と同じように世界に満ちており、魔力を持つ生命体はそれを感覚として知覚出来る。オドは瞑想などによる深い集中状態にあると体内で循環し、その状態になるとはっきりと知覚出来る――と。
俺は文面に従うように、その場で胡座を掻いて目を閉じた。
咳き一つ立てず、ゆっくりと深い呼吸を繰り返す。視覚が閉じられたことで他の感覚が鋭敏になり、紙とインクの匂いが鼻に、書庫の中で停滞した温い空気が肌に感じられる。
やがて産毛の一本までに感覚が行き渡るようになり、じんわりと手足が熱を帯びて脱力し始めた。
「……あ」
それから暫くして集中状態に入った俺は、なんの前触れもなく温度とは違う感覚が肌を撫でるのを知覚した。それは触感の無い布のような、まるで水が揺蕩うような鷹揚さで空間を巡っている。
(これがマナ……?)
次いで自分の体内――とりわけ心臓から下腹部までを血とは違う何かが巡っているのも感じ取れた。血液のように一定の感覚で体内を循環し、新たに生まれた余剰分が体外へと放出されている。
(……こっちがオドか)
大気に混じったオドは次第に溶け込み、マナと同化した。
それに伴って段々と自分と世界との境目が溶けて無くなり、全てが一つになったような感覚さえした。しかも不思議なことに、魔力の流れによって目を瞑っているというのに世界が見える。
まるで透視をしたように、壁を超えて何があるのかが見える。本棚や机の形が認識出来るし、扉を境にマナの質が変化しているのも見えた。
(凄い……)
隣の部屋に、マナとは違う別種の流れが二つ。これは人だろうか。一体何処まで見えるのか、知覚範囲をもう少し広げて確かめ――――
「ゔぉっ……!?」
どこまで見えるのか確かめようとした瞬間、頭を金槌で殴られたような凄まじい痛みが走った。それと同じくして、俺はあらゆる物を知覚し――宇宙を見た。
空間の揺らぎ、営みの足音、鳥の羽ばたき、梢の声、地中で蠢く微生物たちの呼吸から何まで。雲の流れる方向、見たことも無い景色、知らない誰かの笑い声、大きな鐘の音。
星の身動ぎ、大地の奥底を流れるマグマの胎動、全てが見える。
ただ、この情報量はあかん。脳みそが受け入れるのを拒否して、意識が段々朦朧としてきた。
「あふんっ」
そうしてとうとう耐えきれなくなった俺の思考はシャットダウンされ、最後に視界に飛び散る真っ赤な血を見ながら床へと沈み込んだ。
【TIPS】
[概念:魔力]
星の呼吸とも言われる
惑星が胎動した際に生まれるエネルギーの残滓
長い歴史の中で星の力を浴び続け、生命は生まれながらに
体内に魔力を生み出す器官を宿すようになった
その弊害か、力の根源に近いマナを用いる魔術は廃れて久しい