37.賢者の授業
リフカ・ラスリエストの弟子になって最初に教わったことは、魔法という言葉の意味だった。
魔法とは人智を超えた現象であり、同時に人為的に超常を起こすことでもある。賢者からしても、その力は人が御しきれる範疇に無く、半ば神の領域に入り込んで理を捻じ曲げる所業だと言う。
「――そも、最初に生まれた神がどうやって世界を創ったか、その答えが魔法だ。神は、魔法を使って大地を創り、空を創り、そして人々を創った」
もっと言えば、魔法は一種の法則干渉能力である。
星の生み出すエネルギーを用い、何もない場所から火や水を生み出す事は俺の元いた世界では不可能だった。水とは水素があって初めて生まれるもので、火も物質の酸化現象によって発生した熱などがその正体だ。
この世界ではその限りではなく、神の扱う力の一片をどうにか人間が模倣した事で、人々は叡智を手に入れた。
「じゃあ、ここで問題だ。そんな神の力を、人間はどうやって扱えるようにしたか分かるかな?」
自室にて、リフカ――師匠は本を片手にそう問いかけて来た。
今日は師弟の関係になって初日の講義であり、彼はまず俺の魔法と魔術に対する知識を試すことにしたらしい。とは言え、この質問は既にモニカから何度もされている。
「言霊――つまり言葉に力を籠める事によって現象を定義し、一定の法則性を持たせました。それが現代に続く魔術の雛形でもあります」
「正解。人は言語という形に魔法を当て嵌め、制御する術を見つけたんだ。それが観測出来る範囲では凡そ五千年前の事だね」
「その後、今から八百年前にファルメナ王国の祖である魔導王ユピテルが、過去の魔術師の創った言語を再定義した……ですよね?」
「そうだね、ユピテルは偉大だった。自ら構築した魔術理論を啓蒙して、現代に再び多くの魔術師を生み出した魔法界の英雄と言うべき人物だ」
故人であるユピテルだが、この言い方だと恐らく師匠は面識がある。それどころかもっと親しい間柄だった可能性も考えられるだろう。
「ただ、その古代魔法と現代魔法との間の数千年間の間に、人々の間から魔術の知識の殆どが失われた空白の期間があることは?」
「……いえ、寡聞にしてそのような話は初めて聞きました」
「それがユピテルが偉大たる所以でもある。なにせ一度無くなった魔術という一つの技術体系を再び築き上げたんだからね」
モニカやリリアナに頼み、取り寄せられる限り多くの魔術師の論文を取り寄せて読んだが、現代魔術が生まれたのは古代人と今の人間のオドの性質や肉体の構造が異なるからだという見解であり、そもそも一度知識が失われていることすら書かれていなかった。
「――と、ここまでが表の歴史の話だ。この先はその裏側、暗黒時代に生きた魔術師たちの話をしよう」
「もしかして、今のですら普通の歴史の話だったんですか?」
空白の期間も魔術師の殆どは知らない事実だ。それを表の歴史の話と言うのだから、これからされる話はもっと凄い。
「ユピテルが王となる以前、人々から魔術が忘れ去られた時代にも、密かに継承し続けていた地域もあった。一子相伝の秘術としてや、俗世から離れて生きる魔法使いなどにだ。僕は後者、色々あって師匠に拾われた身だった」
曰く、空白の期間の間に魔術は失われ、それらは超常現象とされるようになったらしい。
「今の子は知らないと思うけど、当時を象徴する言葉に"魔女狩り"というものがある。大陸全土に広く浸透して、国家の運営にすら関わっていた"シス教"と呼ばれる宗派の教えで、魔術は邪悪な技法であるとされていたんだ」
「魔女狩り……」
本当の意味ではこの世界の魔女狩りは知らないかも分からないが、その言葉は俺のいた世界にもあった。反吐が出る程に忌々しい――人間の無知に対する恐怖心と、他と違う物を排斥する習性が生んだ最悪の歴史だ。
「魔術という当時の人々にとっては超常の力を、同じ人間の姿をした者が扱っていたから、彼らはそれを悪魔の力と信じて魔術師を迫害した。特に暗黒時代には、力の大きい古代魔法を主とする魔術師も多かったから、余計にね」
「ということは、師匠も?」
「そうだね。僕の師は、磔にされて生きたまま火炙りにされたよ。それも、師の魔術によって助けられた人々の手でだ」
「……すみません、余計なことを聞きました」
「いいんだ、それだけ魔術師は異端で、悪とされていたってことさ」
「今の時勢からは考えられませんね、魔術が悪だなんて」
「僕も当時の生まれだから、何故魔術が廃れて迫害されるに至ったかは分からないけど、友人が言っていた言葉は良く覚えてる。
"未知に好奇心を抱くのは人類の持つ特権である。それを恐怖と先入観で否定することは、人類の進歩を止める事に他ならない"――と」
――――つまり、悪いのは魔術でも魔術師でも当時の人々でも無く、未知なる力に恐怖し、邪悪と断定した人間の心の弱さである。師匠はそう付け足した。
「自分の知らない、分からないことは怖い。それは僕だって同じさ。子供の時、床の軋む音を聞いて、ベッドの下に何かいるのかもと想像して眠れなくなったことが何度もあった」
暗闇の中には恐ろしい怪物が潜んでいるかもしれないし、本当は何もいないかもしれない。人間とは想像力のある生き物だから、そういう未知に対して恐怖の妄想を働かせてしまう。
魔術という不可思議な力を持つ者も同様に、人々は恐ろしく思ったのだ。
「だからこそ、それを単なる技術の一つであると、根拠と実証を持って世界に知らしめたユピテルは凄かったよ。特に古代魔法と違って、現代魔法が誰でも扱えるという部分は再び世界に魔術が広まる大きな要因だった」
「古代魔法は人を選ぶということですか?」
「そう、大分話が逸れたけど僕の一番言いたかったことは、現代と古代の魔法及び魔術の違いについてだ」
師匠はそう言うと、懐から指輪を取り出した。魔力を帯びている辺り、魔法が施された道具だろうことが分かる。
「現代魔法は、ユピテルが意味合いを若干濁したり原典の言葉から改変を施して、誰でも制御がし易いように性能低下させた魔法言語を用いる。これも魔術に対する耐性を持たせる刻印魔法が施されたものだ」
それを弄びながら、更に言葉を続ける。
「対して古代魔法は神の扱った力をそのまま言葉に落とし込んだ――真言と呼ばれる魔法言語が使われている。此方は制御が難しい反面、現代魔法とは比較にならない威力が出せるのが特徴だ」
と、その直後に指輪が強い力によって楕円に変形を始めた。相変わらず師の体からはオドの奔流は感じられないが、指輪自体に魔力による負荷が加わっている。
「今使ったのが現代の魔術式による魔法。次に使うのが古代魔術だから、良く見ておいて」
「はい」
オドの失せた指輪を手に、師匠は居住まいを正して咳払いを一つ。
「《星の血気よ》《煮え滾る胎動の残滓を》《此方に与ん》」
俺の知る魔法言語に似た――それでも決定的に違う言葉を唱えた師の周囲に、俺の仙瞳が可視化出来る程にマナが渦巻く。そして、それは一瞬で指輪を圧縮して、俺の小指の先ほどの鉄屑に変えた。
「見れたかい? 魔力の流れと、さっきの術式との効力の差」
「は、はい……確かにこれは比較になりませんね。たった三節で、耐性のある指輪をこうまでするなんて……」
規模は小さいが、今まで学んだどの魔法とも比べ物にならない。現代魔術でこれを成そうとするなら、恐らく十節以上の詠唱は必要だろう。
「キミがこれから学ぶのはこっちだ、一旦今までのことは忘れた方が良い」
ゲームに登場した古代魔法と言えば、隠し要素として出現する敵の技やマップのギミックに用いられていた程度だった。正直想定を超えて来たし、これは文字通り世界が変わるかも知れない。
鳥肌が立つというのか、古代魔法を扱えるようになった自分を想像すると俄然気持ちが高まって来た。