36.嫌な再会
良い拾い物をした気分だった。
出生は今より千と二十六年前、暦の上で言うと皇天暦百三十二年。現代の人間からすると気の遠くなるような時間を生きた賢者は、齢四桁を超えて尚新しい出会いがあるものだと感嘆した。
名もなき魔術師だった時代に不老の水薬を口にして以来、リフカは数多の出会いと別れを繰り返してきた。その中には自らの師もおり、"リフカ"という名もその男から継いだものである。
名と共に次のリフカとなる者を探す義務も背負ったが、空間という属性に適性のある人間は滅多に現れない。
リフカ自身も元々は魔術師を志していた訳ではなく、不慮の事故で次元の狭間に落下したのを師に助けられたことがきっかけである。言うなれば単なる偶然であり、寒村の農奴の三男であった彼を賢者の座へと誘ったのは、運命の神の気まぐれに過ぎなかった。
そして、そのような偶然は二度も起きず、八世紀以上もの間彼は現役のまま後継を探し続けていた。その間には他の賢者の代替わりがあり、現在に至ってはその殆どが当時の顔ぶれではなくなっている。
故に、その少女――アーミラ・アドルナードは良い拾い物であった。
青みがかった艶のある月白の髪に、輝く銀河を切り取ったような深い碧の瞳。女性と呼ぶには余りにも幼い筈が、その面立ちは何処か老獪さすら感じさせた。
不自然な程畏まった口調で話す声音は鈴鳴りのように心地よく、十年後に一体どれだけの男を惑わすのか、想像するだけで恐ろしい程の美貌も備えている。そして何より、纏う気が常人のそれとはかけ離れていた。
聞けば三歳の誕生日を迎えたばかりだと言うが、落ち着いた立ち居振る舞いは大人のそれ。知識量も既にこの国の成人の平均を遥かに超え、今のままでも魔術師として大成出来る能力がある。
その身に宿すオドを裏付けとして、こことは違う理の世界からやって来た存在であると推察したが、正体は賢者にも分からない。
間違いなく天才の部類であったが、リフカは彼女から無理やり幼さや知能の低さを演出しようとするチグハグさを感じた。有り体に言えば、能力が高い割に馬鹿を演じようとしている。瞳の奥に宿す感情も、作られたものが垣間見えた。
アーミラという少女は、その中身すらも欺瞞で取り繕われていた。リフカから見た彼女は『天才少女を演じるナニか』であり、普段のちょっとした仕草や言動すらもらしさがある。
何故、意図して賢人を装う愚者を演じているのか。リフカは彼女の本当の心が何処にあるのか、皆目検討が付かない。
どうしてそのような拗れに拗れた人格が形成されたのかも分からなかった。
ただ一つ分かることは、彼女が面白い存在だということだけ。賢者たちと渡り合うには、二癖あるくらいで丁度いい。
故にリフカは思う、良い拾い物をしたと。
◇
束ねた赤色の髪を震わせ、まるで鳩が豆鉄砲を食ったような面持ちで、モニカが立ち尽くしていた。その両手に持った旅行鞄を音を立てて落とし、代わりに伸ばした腕がある方向を指している。
「リ、リフカ様……!!?」
しかしてその先には、白髪の賢者リフカ・ラスリエストが優雅に佇んでおり、ひらひらと手を振っていた。俺はその横で、なんとなく察した表情で対極の感情であろう二人を眺めていた。
因みにこれは帰領の翌日、アルベルト領に用事があって一日遅れて帰って来たモニカが、俺の部屋にやって来た直後の事。持っていた鞄の中身はお土産か何かだろう。
「やあモニカ、元気にしてたかい?」
「ええはい、それなりに元気でしたけど、え、いや、ちょ……そうじゃなくて、な、なななんであなたがここにいるんですかッ!?」
「そりゃキミが研究所を辞めたって聞いたから、心配して見に来たんじゃないか」
「あ、その節については先生に紹介して貰った職場を勝手に辞めたのは申し訳ないと思ってます……思ってますけど!」
以前モニカに聞かされた話では、彼女は幼少からとある魔術師の側付きとして大陸を旅していたと言う。その後はその魔術師の紹介でファルメナの学院に入り、卒業後もこの国の研究所に斡旋して貰ったらしい。
そして、彼女が師のようなものと言って様々な逸話を話してくれた魔術師は、リフカその人だったということだ。
「成程、お二人の関係が何となくわかりました」
「ああ、キミはモニカから魔法を教わったんだっけ。そりゃ僕の話もするか」
「寧ろ時々私が教わってますけどね……若い子の才能って怖いですよ、ほんと。ところでリフカ様はなんでここにいるんですか、用が無いなら邪魔なので帰ってください」
「ふふ、相変わらず手厳しいねぇ」
リフカの話をするモニカからは、何か昏いものを感じていた。二人の仲が明確に悪く無いにしろ、急に鉢合わせると気まずい程度には何らかの軋轢があるのだろう。
それに今回はちょっとまた関係が拗れそうな話があるし……。
「用事ならちゃんとあるよ、さっき言った通り、今キミがアーミラの家庭教師をしているんだよね?」
「はい、それが何か――」
「今日で辞めてくれないかな?」
「は!?」
やっぱり、いきなりそんな事言われたら当然こういう反応をになるか。
「ほら、ちゃんと説明しないから困惑してますよ」
「うん知ってる、モニカの反応が面白いからつい意地悪しちゃった」
しかもわざとやったことを悪びれもせず、唖然とした表情のモニカが段々不憫に見えてきた――いや、最初から不憫だったな。
「……そのですね、実は私にリフカ様と同じ属性魔法の適性があることが分かりまして、弟子入りの打診を受けたんです」
「丁度モニカから教えられることも少なくなってきたようだし、それなら後は僕が面倒見ようかって話になってね」
「えっ……? ちょっと待って下さい、先生と同じってそれじゃあまさか……」
「そ、キミに教えられなかった空間魔法だよ」
モニカには火属性の適性があり、当然空間属性の魔法は覚えられなかった。術式に対する理解度が非常に高く、魔術師としての成長を見込んで連れ回していたが――弟子では無い。二人の関係は昔、彼女が言った師弟のようなものだった。
「……そっか、なら仕方ないですね」
そんな言葉とは裏腹に、モニカの表情は明らかに曇っていた。
これは俺の憶測だが、モニカは賢者の付き人であっても弟子では無かった事に、強いコンプレックスがあるのではないかと思っている。
空間魔法のことを俺に教えなかったのも、偏属性マナの性質を知っていたから万が一……と考えたのかもしれない。俺にメジャーな属性の適性が無い事は、彼女にとって空間属性の適性があると思わせるに十分だろうし。
まあ……あくまで憶測なので、本当のことは彼女しか分からないが。
「この短い間に私がここまで多くの学びを得られたのは、間違いなくモニカ先生の教えがあったからです」
「アーミラさん……」
ただ、俺は俺でモニカには言葉では伝えきれない程感謝しているのも確かだ。
彼女はたった一年で、魔術師の見習いが何倍もの年月を掛けて学ぶことを全て教えてくれた。それもただ知識を伝えるのではなく、俺が理解して、ちゃんと力になるように考えてくれていた。
「この先何処の誰に教えを請おうと、私の一番最初の先生は貴女で、最も尊敬する人物であることに変わりはありません」
「そうです……ね。私がそんなに大層な人間かは分からないですけど、先生としてあなたが一番成長出来る道を選んで応援してあげるべきですよね」
恐らく子供としては相当な変わり者だった俺に対しても、気味悪がらずに接してくれた。例え賢者の弟子になろうと、俺にとっての"先生"は彼女しかいない。
モニカのことを考えるとこのまま教わり続ける方が良いんだろうけど、それではきっとこの先力不足になってしまう。履き違えてはいけないのは、俺が何のために魔法を学んでいるかだ。
「しかし、これじゃ折角戻ってきたのにとんぼ返りですね……またお仕事探さないと……」
「あ、その件については問題無いですよ。モニカ先生さえ宜しければ、今年からリーンの家庭教師に付いて貰おうと思っているので」
「……そういうことは先に言ってください」
まあ、何はともあれモニカにも話を着けたので、リフカの誘いを断る理由がなくなった。そして俺が魔法を学ぶ理由――強くなって七年後に迫る悲劇を回避する為に強くなるには、是が非でも賢者の弟子になっておきたい。
人間性は兎も角として、これからは世界最高峰の魔術師の元で学べる。俺がどれだけ強くなれるか、自分でもちょっと楽しみだ。