34.賢者の来客
絹のような白髪を布で覆った男の、その下で伏せられた瞼が徐に開かれる。
「これは提案だ、受けようが拒もうがキミの自由だけど……僕としては是という返事を願っている」
少し洒落た家具の置かれた客間にて、白髪の賢人――リフカ・ラスリエストはそう言って微笑んだ。
ともすれば絶世の美女と見紛う面立ちだが、その声音ははっきりと男であると告げている。そしてその身から放たれる上位者としての風格は、場にいる者を圧倒して余りあるものだった。
「えっと……すいません、ちょっと考え事をしていて聞いていませんでした。なんでしたっけ?」
その中でただ一人、青銀の髪を指で弄って遊ぶ少女のみが、涼しい顔で紅茶を啜っている。まるで意に介することのないような態度を見て、リフカは益々その笑みを深めた。弧を描く口角からクツクツと言う笑い声を漏らし、組んだ足を入れ替える。
「では、もう一度問うよ」
超然とした賢人の眼差しが、銀河のような幼子の瞳と交錯した。
「アーミラ・アドルナード、僕の弟子になれ。さすれば、頂点の景色を見せてあげよう」
かくして世界でたった十人、人間を超越した存在である賢者からの提案に、少女は眉の根を微塵とも動かす事無く、それでいてはっきりと――――
「あの、頂点とか別に興味無いです」
そう告げたのだった。
◇
今回の王都の滞在時間は凡そ二週間に及んだ。
実は進捗について全く触れていなかったリバーシの件が、帰る間際にちょっと大変なことになったりもして伸びてしまった。
有り体に言えばリリアナの社交界での普及活動の甲斐もあって、正式に商品として売り出すことが決定したのだ。特に娯楽に飢えている貴族の食いつきが良く、試供品として作った物が全て完売するほどの盛況ぶり。
今後は貴族に向けたちょっとお高めの奴と、平民でも買える物の二種類を製作、販売していく予定だ。商品には偽造防止に我が領の銘が付き、アドルナード家の名義で売られることになる。
貴族家御用達の商人などに流通を任せ、その指揮をルーシィが取ってくれることにもなった。利益の分配とか色々細かい話は得意な人に任せるとして、俺は取り敢えずこれからも普及活動を続けて行けばいい。
アレクサンダーの行方については、サラに情報収集を頼んでいたが、これと言って有力な情報は無し。ハーゼシュタイン家とも連絡が付かず、割と困ったことになっている。
これは俺だけの問題ではなく、もしも本編同様の未来を辿った場合――この国を再建する人間が不在の状況になってしまうのだ。
とは言えリガティアには剣聖であるグランもおり、軍としては並だが個としてなら大陸有数の戦力が何人も存在する。そうそう本編通りに滅んだりはしない可能性だって考えられるだろう。
もう既に正史から外れている為、何がどうなるかは分からない。唯一確かなのは、強くなればなる程俺の生存率が上がるということだけ。その為に二週間ずっとグランから武術の基本的な技術を教わってきたのだ。
たかが二週間と思うなかれ、付け焼き刃だとしても以前より格段に体の動かし方はスムーズになった。何故か遊びで参加したリーンの方が動けてたけど……それはまあいい。ともかく、これで数年後にアランから剣術を教わる際、一々初歩の初歩からやらなくて済む。
かくして二週間ぶりに帰領し、新たにザーシャというお荷物――ではなく護衛と、動植物の専門家であるゲイルという男を屋敷へと招き入れた。
ゲイル氏は灰色がかったボサボサ髪に細身の、如何にも研究者と言った出で立ちだ。元は貴族家の子息だったが、生き物が好き過ぎる為に廃嫡を願い出て研究に没頭している変わり者らしい。
お世辞にもコミュニケーションが得意という感じではなく、話を振っても二言くらいで会話が終了することもままある。ただ、専門分野に関する知識は本物で、俺が絵を書いて見せただけでそれがラザフン――俺の世界で言うからし菜であると当てて見せた。
龍脈のせいで植生が大陸毎にかなり差があることや、この地域にアブラナ科の植物が育たないことも知っており、既に有能であることをしっかりと見せてくれている。
そのゲイルが宛行われた客室へと向かったのを見届け、荷解きを任せて部屋に戻ろうかと言う時。
「旦那様方、少々お待ちを」
留守を任せていた家令に呼び止められた。
「何だ、不在の間に問題でもあったのか?」
「いえ、そのようなことは御座いませんでしたが、実は王都へと向かわれた旦那様方と入れ違いになる形で客人が来ておりまして」
「客人? 先触れも無しにか?」
「――――僕が先触れを出して遊びに来たことが今まであったかい?」
その背後には見覚えのある男が立っており、胡散臭い笑みを浮かべていた。
「げっ……」
「あなた、領境の川辺で会った――」
背が高く、白髪で美形、それだけで人目を引く容姿だというのに、どこか超然とした雰囲気も漂わせている。間違いなくあの川で出会った男に間違いない。それからアルベルト子爵邸にいたという話も、アイザックから聞いたか。
「リ、リフカ様……!?」
驚愕してリリアナが思わず叫び、リフカと呼ばれた男は肩を竦めた。
「久しぶりだね、銀麗姫。最後に会ったのは子供の頃だったけど、とても美しくなった」
「そ、そんな……リフカ様こそ昔と変わらず麗しいお見目で……」
「おいこらお前人んちで勝手に人の嫁口説いてんじゃねーよ馬鹿アホ間抜け妖怪男、しまいにゃ斬るぞ!?」
しかもまるで憧れの男性を見るような顔で、頬まで赤らめている。こんなのは普段のリリアナからは考えられない。それにリフカ、という名前は何処かで……。
「お父さん、この人だあれ?」
「お前の祖父さんの古い知り合いでな、色々あって付き合いも長い。一応偉い魔術師なんだが―――」
「賢者」
「おや」
そうだ、思い出した。
「あなたは星天十賢者、ドクター・リフカ・ラスリエストですね?」
「その通り、良く知っているね。この前ぶりのお嬢さん」
「アーミラです」
「そうか。宜しく、アーミラ」
「此方こそ」
この男は大陸で十人しかいない最強の魔術師の内の一人。例によって設定資料集と小説版の一部にのみ名前が載る、本編には深く関わらないが――しかし現実では途轍も無い存在。
書庫で見つけた魔導書にその名前が載っていたことから、ちゃんと実在しているのは察していたが……川で会った時は名乗らなかったので、名前しか知らない俺からすると分かる筈もなかった。
しかし成程なぁ……グランの知り合いということは、過去の戦争で共に戦った賢者とは彼のことだったのか。
「それで、一体俺の領地に何の用だよ……冷やかしならとっとと帰れ」
「うん、やっぱり来て正解だったね。ところで場所を変えないかい? 僕ちょっと喉が乾いたし、お茶でもしながらゆっくり話すとしよう」
「相変わらずこっちの話を聞かねぇなお前はよぉ」
……それから話を聞かないのも昔からのようだ。




