2.アドルナード伯爵家
あれから数ヶ月が経ち、外の景色は秋の深まりを感じさせるようになってきた。
「――――ふむ」
豪奢な家具と、幼児用のベッドの並ぶ部屋の中、俺は両足でしっかり立ち、鏡に映る自分の姿を確かめた。
今は丁度、世話係のメイドが昼食を取りに行っている。毎日この時間は一人になった隙に、赤ん坊ムーブを中断して色々と思索する時間なのだ。
俺が産まれてから大体一歳になり、もう既に一人歩きが出来るようになった。というか、俺の場合中身がおっさんなので、意識して体を動かすことを心掛けた結果――肉体的な発達は割と早かった。
ただ、幼児というのは中々に難儀で、体の制御が上手くいかず転ぶことも多い。広い屋敷の中をあちこち走り回り、尻もちを着いたり膝を擦り剥いたりしている内に、屋敷で働く人たちにはお転婆娘のイメージが付いてしまった。
放任主義のアランは「子供は怪我をして大きくなる!」なんて言って、特に注意はしない。問題は母であるリリアナの方で、「外で何かあったら大変だわ」と、未だに屋敷から出してくれないのだ。
俺としては現実になったマギブレの世界を早く見たいのだが、もう少し大きくなるまでは家からは出られないだろう。
その代わり、最近は本を読むようにしている。この世界は律儀に地球と言語が違うので、絵本なんかは言葉を覚える訓練に丁度いい。
赤ん坊の体というのは知識の吸収が早く、勉強の甲斐あってか日常的な会話なら分かるようになって来ている。あと半年もあれば、読み書きの方もマスター出来るだろう。
それと言葉が聞き取れるようになったお陰で、この世界の事も結構分かってきた。まず、ゲームとアニメを履修していれば知っている情報からいこう。
俺が転生したのはリガティア王国という国だ。
政治形態は概ね日本人の思う、中世のそれと同じ。国王の下に領地を運営する貴族がいて、その下に平民がいるスタンダードな感じである。
尚、リガティアのある本編の舞台――アキリス大陸には他に、隣接する魔導大国ファルメナ、大陸北端のルグリオス共和国、東西を分かつように走る山脈の向こうに広がるナーマ帝国が存在している。
この三大国家に加えて海を隔てた先の島国ヒノモトや、魔王率いる魔族の国のパンディガが、一先ず前世の俺も知っていた周辺国家だ。他にも南方にあるキリシア大陸など別の大陸もあるが、かなり遠いので今は特筆しない。
ただ、この大陸にも上述した国以外も存在する可能性は高いし、現実になったマギブレの世界地図はもっと細かく変化している可能性はある。今の俺にそれを知る術がないので、推測の範疇を出ないがな。
リガティアは技術や軍事力に秀でた部分は無く、唯一の特徴と言えば魔法使いと騎士が沢山いる程度。それも能力で言えばお隣のファルメナに劣る為、出来るだけ褒めても『歴史ある国家』が精々だ。
魔王とも完全に対立関係を築いており、北の海沿いの辺りでは常にバチバチの睨み合い状態が続いている。魔族が港を手に入れようと目論んでいるのを、辺境伯諸侯が食い止めている感じだ。
ここまではゲームをやっていれば知り得る情報で、この先からが俺が新たに現実のマギブレ世界で手に入れた知識だ。
まずここ――リガティア王都のほぼ隣に位置する[アドルナード領]では耕作地として、麦を育てている。その農地領民の運営を任された領主がアラン・アドルナード伯爵で、俺はその家の長女――つまり貴族だ。
とは言ったものの、なんの特徴もない田舎貴族だが。王都に程近いのだが、うちは隣国とは真逆の方に位置しているせいか貿易路にもならない。目立った特産品もなく、本当に都会にアクセスしやすい田舎でしかない。
しかもこの爵位だって、元冒険者であるアランの父が二つ武勲を立てて叙爵したものだ。他の貴族から見れば木っ端同然だろう。
実際家がデカいのと使用人がいること以外、俺には自分が貴族であるという自覚が殆どない。アランも祖父の気質を継いでいるのか、社交やらなんやらの面倒くさい事を嫌っている。
唯一母のリリアナだけは両親共に純粋な貴族なので、そういった部分は彼女が一人で切り盛りしていると言っていいだろう。
子育ても使用人にやらせるのが常識らしいが、記憶が戻る以前も殆ど自分でやっていたようだ。
ただ、俺が記憶を取り戻すもっと前に第二子の妊娠が発覚しており、今はもういつ出産してもおかしくないと言った感じなので、俺の面倒を見ている余裕は無くなってしまった。
今は仕方なく、俺の子守は使用人に任せている。お陰ですっかり顔見知りになった専属メイドの"サラ"と"ジェーン"は、顔と名前をバッチリ覚えた。
「アーミラ様、ご飯の時間っすよ~」
――――と、噂をすればなんとやら。
しょっちゅう脱走する俺の対策に作られた柵を跨ぎ、食事の盆を持って二人のメイドが部屋に戻ってきた。
今声を出したのが、茶髪にそばかすのある丸顔が特徴のサラ。俺の子守中に煙草を吸ったり、事ある毎にサボろうとしたりする不良メイドだ。アランやリリアナにバレないようにしている辺り、尚たちが悪い。
そしてその後ろに付いて入ってきたのが、黒髪で切れ長の目のジェーンだ。彼女は割とモテるらしく、最近は見習い庭師のニコラといい感じらしい。
何故俺がこんな話ばかり知っているかと言えば、何処の世でも女はゴシップが大好きだからだろう。
大体俺の周りで仕事をするメイドたちは、やれ『猟師の兄やんがうちのメイド長と』だの『料理長がまた若いメイドに手を出した』だの、キャイキャイと嬉しそうに話している。
「ほーら、椅子におすわりするっすよ」
「むぅ……」
そんなゴシップ大好きメイド筆頭でもあるサラは、俺を抱きかかえて椅子に座らせ、新しい涎掛けを首に巻いた。
二人共それなりに有能で仕事はちゃんとこなすが、どうも俺を実年齢より幼く見ている節がある。一歳にもなれば、一人で幼児用の椅子に座るくらいは出来るだろう。
「はい、あーん」
もう手の筋肉も大分発達してきたので、スプーンだって綺麗に握れる。それなのに、何時まで立っても彼女たちは手ずから俺に食事を食べさせたがるのだ。
一度一歳児らしく「じぶんでたべゆ!」と言ってみたらその時はスプーンを渡してくれたが、何も言わないと基本的にこうなる。
これはこれで楽だからいいんだけど、慣れると外で恥掻きそうなんだよなぁ。それになんか餌付けされてるみたいな感じするし……。
「……あむっ」
さあ食えと言わんばかりに、満面の笑顔で差し出されたスプーンを仕方なく口に含む。
「どうですか? 美味しいですか?」
「んっ」
ふむ、今日は昨日よりちょっとだけ味付けが濃い。それと煮た穀物に混ざって、柔らかい肉も入っている。料理長は少しづつ大人と同じ献立に近付け始めたようだ。
味の方は、普通に薄味のリゾットのようで悪くはない。
中世と言えば味付け最悪メシマズのイメージがあったが、マギブレ準拠のこの世界では杞憂だったらしい。流石にカレーとかラーメンとかは無いだろうけど、食事で困ることは無さそうだ。
「はあぁぁ……一生懸命もぐもぐしてるアーミラ様、可愛いです……」
「ジェーンはほんとにアーミラ様好きっすよねぇ」
そして俺が懐かしの味に思いを馳せている最中、ジェーンは蕩けた顔でこちらを見ている。サラは冷めているが、どちらかと言えば前者の反応の方がこの家ではスタンダードだ。
実際、アーミラは公式紹介文に美少女と書かれる程の美形で、その幼少期ともなれば可愛いのは当然。しかし、こうも猫可愛がりされると俺としてはむず痒い。
彼女たちはこの天使のような幼女の中に、おっさんが入っていることを知らないのでこうしてちやほやするのだ。全部知った上で見ている身としては、申し訳無さすら感じる。
君たちが可愛いと言っているガワの中身はね、実はおじさんなんだよ。異世界美幼女受肉おじさんが、年頃の女の子にあーんされてるん……だよ……?
「あれ、アーミラ様? どうなされました?」
……なんか、自分で言ってて辛くなってきた。やっぱり明日からご飯はちゃんと自分で食べようかな、と言うかそうしよう。見た目は幼女でも、中身はれっきとした大人なのだから。
【TIPS】
[組織:魔族・パンディガ]
魔人と呼ばれる、人間の近縁種たちによる国家組織および大陸名
彼らの信奉する魔神ゼニスの言葉の解釈を違え
魔人こそが全ての生物の中で最も秀でている、という共通認識を持つ
なれど、矮小なる人類を管理するという野望の為
全ての大陸に対して侵略戦争を仕掛けている事が
その力の高さの証明だろう