17.川辺での出会い
馬車は順調に進み、正午に差し掛かる前に予定していた距離よりも多少行った辺りで昼食も兼ねた休憩に入った。近くに川のある平原で、魔物や野生動物のマナも感じない。ここならゆっくりとピクニックを楽しめるだろう。
外で食べるのは久しぶりなので、実は結構楽しみにしていたのだ。
貴族のピクニックといえば、外でもテーブルに白いクロスを引いて豪奢な感じをイメージするが、今回は遠出なのでそんな荷物は持ってきていない。原っぱに布を広げ、その上で持ってきた日持ちしない肉や果物などを食べる。
「くそぉ……やっぱりあそこで右に置いておけば良かったのか……いや、でもそうすると左角が……」
アランはパンに肉を挟んだサンドイッチを片手に、悔しげにブツブツと呟いている。先程全敗したのがよほど悔しいのだろうが、まあ弱過ぎるから仕方ない。
「父様は角を意識しすぎなんですよ。当然大事ですけど、それで他の場所を全部取られては本末転倒です」
「そういうものなのか……いや、リバーシというのは奥が深いな……」
最弱の父にアドバイスをし、俺もバスケットからサンドイッチを取り出して小さく一口齧る。今は淑女なので、行儀よく食べなければリリアナに怒られてしまうのだ。
「む……」
このサンドイッチはちょっと味が微妙だな。
調味料は色々と使われているが、肉の味があんまりしないし雑味が多い。思っていたより飯が不味くないとは言え、地球の中世のように防腐に大量のスパイスを使うから味が濃すぎたりするんだよなぁ。
このサンドイッチだって臭み消しのマスタードや胡椒だけで十分美味しくいただける筈なんだけど、もしかして……
「父様、マスタードという調味料はご存知ですか?」
「ますたーど? なんだそれは?」
あ、やっぱり無いのか。
マスタードの原料であるからしはアブラナ科で、この世界でもそれに似た植物は一度見たことがある。川の土手などに良く自生しており、丁度この草原にも川が流れているため探せばあるかも知れない。それに今は丁度結実の時期だし、見つかれば実から種が採れる。
「あ、おいアーミラ!? どこ行くんだ!?」
「少し食後の散歩をしてきます」
背後に聞こえるアランの声にそう返して靴を履き直し、川の方へと向かう。水の流れは緩やかで、水嵩も高くない。急な斜面でも無いため、危険はないだろう。
土手を少し降りて草を掻き分けると、早速見覚えのある草が見つかった。
「……って、これ大根じゃん」
地面に這うように生える大きなギザギザの葉に、茎から広がる白い根は日本でもおなじみ。その辺に割と生えてるのは知っていたが、まさかこの世界でも野生の大根を見るとは……。
自生する大根は根が大きくならないので可食部が少ない。葉っぱは普通に茹でたり炒めると美味しいが、掘るのも大変だし今は放っておこう。
因みにダイコンもからし菜と同じアブラナ科。この様子だと、近くに植生していてもおかしくは無さそうだ。
「からし菜はどこですか~っと……」
前世で生き物に関してちょっと勉強していた時期があるので、こうして野草を探して食べたりしたこともある。なので久しぶりに草むらを歩き回るのはちょっと懐かしくて楽しい。
中々目当てのものは見付からなかったが、タンポポに似た花やノビル――ネギの仲間で一応食べられる食用の野草を発見。もしかすると今の所料理に使われているのを見たことがないニンニクとかも、ある所にはあるのかも知れない。
「お――――」
と、そんな時、漸くからし菜らしき植物を発見。
雑草を掻き分けて目の前まで走って向かうが、その直後に人の気配を察知する。視界の先でも、背の高い白髪の男……いや、女? とにかく性別不詳の人物が川に素足を浸けて、水浴びをしていた。
「わっ!?」
「ん、誰だい?」
驚いて思わず声を出すと、その人は俺に気付いて此方を向いた。横顔でも分かっていたが、美しいという単語が一番に思い浮かぶ程の整った顔立ちをしている。しかし声質は完全に男、世界にはこんなにも美しい男がいるのか。
……いや、それにしてもおかしいのは、この人のオドを感知出来なかったことだ。どうして俺は近付くギリギリまでこの人に気付かなかったのだ? 人間はオドを持つので体の周囲に溢れたそれを右目で認識できる筈が、この人は全くオドが見えない。
「おや、子供じゃないか。どこから迷い込んできたのかな?」
「あなたは一体……」
その人物は川から足を上げて水を拭き取ると、靴を履いて俺の方へとやって来る。近くで見ると尚更背が高いし、放つ美形の空気感が尋常じゃない。
「その服、平民の子じゃなさそうだけど……もしかして、この領の子?」
「いえ、違いますけど……その、あなたは?」
思わず嘘を言ってしまったが、怪しい相手に素性を明かすよりましだろう。
「……ふーん。ま、そんなのどうでもいっか。ところで一緒に水浴びする? 冷たくて気持ちいいよぉ」
「ふ、服が濡れるので遠慮しておきます。それよりもあなたは――」
「そうだ、アドルナードの屋敷ってここからどっちの方角に行けばあるか知ってる? ちょっと道に迷っちゃってさ」
いや、人の話聞けよ!
顔はいいけど、ちょっと話しただけでも性格に難がありそうな雰囲気がプンプンするぞこの人……。
「……迷うも何も、お屋敷のある街ならここから道なりに行けば着きますよ。態々あんな田舎まで、観光ですか?」
「いや、ちょっと古い知り合いに会いにね」
「そうですか」
あの領自体は結構古くからあって、誰も貴族が統治してないから王政が代官を立てていたんだっけか。その繋がりから、先祖代々暮らしている人も多い。高齢化が進んでいるとも言えるけど。
「……成程ねぇ、これがあの鼻垂れの」
「どうしました?」
「ん、なんでも無いさ。道を教えてくれて助かったよ」
俺が首を傾げている間にも、男は踵を返して俺の示した方角へと歩き出す。
そこでその人は旅人の筈なのに、旅装どころか鞄の一つも持っていない事に気付いた。唯一手には錫杖に似た杖を携え、よく見るとまるで虚無僧のような出で立ちをしている。
「お礼はまた今度でいいかな? じゃあね~」
「結局名前も言わないんかい」
見る見る間に遠ざかっていく姿に、俺は肩を竦めて溜息を吐いた。
「……戻ろ」
俺も馬車に戻ろうと、来た道を引き返し始める。
マナも見えなかったし、一体何者だったんだろう。うちの領に用事って事は、暫く滞在するのかな? それならまた会う機会があるかもしれないし、名前とかはその時聞けばいいか。
「あ、からし菜」
そうして半分くらい歩いた所で、目的のものを完全に忘れていたのを思い出してまた逆走するのだった。